吸血鬼
こちらの世界にやって来て早3日。
少しずつ宮殿での生活にも慣れてきた頃。
僕はテラスで日光浴を嗜むヴァレンティナに率直に尋ねてみた。
「ヴァレンティナはいつも宮殿にいるけど、学校とか行かなくてもいいの?」
「あん?学校だと?この私がか?」
「うん…いつも宮殿の中にいるし、学校とかは行ってないのかなって」
「何故私が学校なぞに行かねばならんのだ」
彼女はけだるそうに答えると近くに置いてあったドリンクを口にした。
考えたら僕もこの世界に来てからは学校行ってないや。
そういえば今頃元の世界ではお母さんやお父さんは心配してるかな。
たまに遊びに来てくれていた学校のお友達も、今頃はどうしてるだろう。
僕は少し心細くなった。
そんな僕の様子を横目で見てか、ヴァレンティナが尋ねて来た。
「なんだ。もしや貴様は学校へ行きたいのか?お前にとって学校はそんなに良い所だったのか?」
「行きたいって気持ちはあるよ。僕はずっと病院で入院生活をしていたからあんまり学校には行けてなかったけど」
ヴァレンティナはデッキチェアから身体を起こし、僕の方を指さしながらこう言った。
「そうそう。それについて聞くのを忘れていたな。お前の言う病気とやらは一体どういう症状がある?見る限り発熱や痛みは無いようだが、それ以外の症状について詳しく述べてみよ」
「症状は全く分からなくて…お医者さんからは原因不明の病だって言われてる。それくらいしか僕も聞いていないんだ」
「ほう?原因不明の病とな?それは興味深いな」
そういうとデッキチェアから降りて、僕の方へ歩み寄ってくる。
「脱げ」
「え?」
「良いから来ているものを全て脱げ」
「え、で、で、でも、こんな広い場所で、他の人達もいるのに…」
「えぇい!やかましい!さっさと脱がんか!」
「は、はいぃっ!」
彼女の気迫に圧倒され、僕は下着まで全てその場で脱がされた。
ううぅ…。
執事のヴィンセントさんはともかく、この場には他にメイドさんたちもいるのに…。
両手で大事な所だけは隠してはいるものの、ヴァレンティナはそんな事もお構いなしに僕の身体を上から下までじっくりと観察している。
しばらくすると彼女は僕の後ろへ回り「そのまま正面を向いてじっとしていろ」と言う。
僕はどうしていいか分からず言われたままその場に立っていると…。
―――カプッ。
ヴァレンティナは僕の首筋に嚙み付いたのだ。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?え、ちょっ、ヴァ、ヴァレンティナ!何してるの!?」
「ううはい。ふほひははっへいお」
噛まれたところは少し血の気が引く感覚があった。
もしかして、血を吸われてる?
え?
なんで?
こんな、まるで、吸血鬼みたいな…。
しばらくすると「……ぷはぁ」とお腹いっぱいになったかの様な声を出す。
「あ……、終わった……?」
「あぁ終わったぞ。ちょっと多めに吸ってしまった気もするが、些細な事は気にするな」
「えっと、僕に何したの?」
「ん?お前の病気を治すついでにちょっと血を吸わせてもらっただけだ」
当たり前のように「血を吸った」というヴァレンティナ。
だが、それ以上にもう一つのフレーズの方にも驚いた。
「治ったって…僕の病気が…?」
「あぁそうだ。お前の身体はもうどこも悪くないぞ」
ほくそ笑んだ顔でハッキリと彼女は言う。
本当に治ったの…?
元々自覚症状が全くなかったから、治ったという自覚も全くない。
自分の全身を隅々まで見定める。
いや、外見にも症状は何も出てないんだけど。
「…なんだ?治ったという私の言葉が信じられんか?」
「だ、だって…首筋に嚙み付いただけで原因不明だった病気が治るなんて…」
少し冷めた表情でこちらを見るヴァレンティナ。
「そうか。なら、目で見える様にしてやろう」
そう言うと、彼女の右手の爪が鋭く伸びる。
―――ズバァ!!
50㎝はあろうという彼女の爪は僕の上半身をザックリと切り裂いた。
「……!!!うわぁあああああああああああああああっ!!!」
上半身には5つの大きな裂傷ができ、勢い良く血が噴き出す。
僕は身をかがめて呼吸を荒げて、涙を流す。
「あっ、あっ、あっ!…うわああああああああああああっ!」
しかし大慌てしている僕をヴァレンティナだけでなく、ヴィンセントさんや他のメイドさん達も含めて、皆何事も無いような顔でこちらを見ていた。
そして僕は改めて視線を下げ、自分の身体を見た時、彼女らの表情が何を意味しているのかを僕は悟った。
ヴァレンティナに引き裂かれたはずの僕の上半身は完全に完治していたのだ。
僕は泣きじゃくった顔のまま、困惑した。
「なんで…傷が治って…?あんなに血も出ていたのに…」
その様子をみたヴァレンティナは「はぁ」とため息を漏らした後、こう言った。
「簡単な話だよ。私に血を吸われた事でお前は私の眷属になったのだ」
「…えっと『けんぞく』って何?」
「まぁ簡単に言えば私と同じ吸血鬼となったという事だ」
「え…吸血鬼…?僕が…?」
「そうだ」
「もう人間には戻れないの?」
「そうだ」
「死ぬまで一生吸血鬼って事?」
「そうだ」
「……。」
「なんだ。吸血鬼になる事がそんなに嫌だったか?病気でいつまで生きられるか分からない身体の方が良かったのか?」
僕は身体を震わせながら今起きたすべての事を何とか理解しようとした。
ヴァレンティナは僕を助けようとした結果として、僕を吸血鬼にした。
けど、もう人間には戻れない。
一生吸血鬼として、化物として生きていかなければならないんだ。
お父さんやお母さんとも違う。
人間ではない、化物。
俯いたまま暗い表情をしていた僕にヴァレンティナは声をかけてきた。
「お前が今私のした事に対してどのような感情をもっているかは推し量れん。だが、少なくとも私はお前を救いたいと思い、今回の行動を起こしたまでだ。感謝こそされども、恨まれる理由はないはずだが?」
彼女の言葉に嘘はない事は僕も十分承知している。
そう。
彼女は僕を助ける為に、僕を吸血鬼にしたんだ。
彼女を恨むのは筋違いだ。
「いや、恨んだりなんてしていないよ。ただ、突然吸血鬼になった事に戸惑っちゃっただけ。ありがとう、ヴァレンティナ。僕を助けてくれて」
「ふん。分かれば良い」
こうして僕は意図せずして吸血鬼になった。
原因不明の病が治ったのは良かった。
お父さんにもお母さんにも報告できないのは残念だけど。
さようなら、人間だった小宮山ハルト。
僕はこの日決意した。
僕はヴァレンティナたちと一緒に生きていくって。
吸血鬼として生きていくって。