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第三話 すれ違う想い

 アドンの手術は急速に話が進んだ。都にいる名医がちょうど近隣の地方に巡回に出向く予定があり、タイミングが合えば村まで来てもらえるかもしれない、ということになったからだ。アドンの両親は喜び、村の人々も協力して準備を進める。アドン自身も、心のどこかで「ほんの少しだけ期待しないようにしよう」と慎重だったが、それでも次第に胸の奥から希望が湧き上がってくるのを止められなかった。


 「もし目が見えるようになったら、世界はどんなふうに映るのだろう? 空の青さは? 草原の花の色は? そして、ルミアは?」


 アドンは想像するたびに、胸が高鳴るのを感じる。見えない状態でも彼女は優しく穏やかで、どこか儚げな美しさを感じる。ならば、その姿を“目で見る”ことができたらどれほど幸せだろう。


 一方、その話を聞いたルミアはというと、表面的には「よかったね」と言うものの、内心は不安で押し潰されそうだった。


 ――目が見えるようになったアドンが、私の瞳を見てしまったらどうなるの……?


 そう思うと、夜も眠れないほど胸が痛む。彼に嫌われるだけならまだいい。それよりも彼を“石”に変えてしまう危険がある。自分のせいで彼が一生を失うなんて、想像するだけでも吐きそうになる。


 草原で会うたびに、アドンの期待に満ちた声がルミアの心に突き刺さる。


「きっと僕、ルミアがどんな表情をするのか、早く見たいんだ。笑ったら、どんなふうに目が細くなるのかな、とか……。あ、ごめんね。こんな話、聞いても仕方ないかもしれないけど」


 アドンは少し照れながら言葉を切る。しかし、ルミアは必死に笑顔を作ってみせるしかなかった。


「う、ううん……そんなことないよ。むしろ、私も……アドンがそうやって前向きなのは、嬉しい、から……」


 けれど、内心では「やめて……その先にあるのは、絶望かもしれないのに」と叫びそうになる。


 そんなある日、ルミアはついにアドンの家の近くまで行ってしまった。昼間の村は人目が多く、普段は避けていたが、何か落ち着かずにいて、彼の様子を少しだけでも知りたかったのだ。フードを深くかぶり、道端の影に隠れるようにしながら、彼の家の前を通りかかる。


 そこではアドンと両親が、来るべき医師を迎えるために家の周囲を整えているところだった。アドンの両親はやや緊張気味ながらも、嬉しそうに笑っている。村の人たちも手伝いに集まり、まるで小さな祭りの準備のようだった。――アドンは大切にされている。たくさんの人に祝福されて、希望をもって手術に臨もうとしている。私は、その未来を壊すかもしれない……。


 ルミアは胸が苦しくなり、逃げるように背を向けた。


 その夜、いつもの草原で会ったアドンは、一層弾んだ声で話をする。


「医師が明日か明後日には村に着くらしいよ。すぐに検査して、問題なければ手術を始めるんだって。なんだか夢みたいだ」


 心なしか、アドンの手には少し汗が滲んでいるようだった。緊張と興奮が入り混じった感覚に違いない。ルミアはその手のひらの熱を感じるとともに、つい瞳を伏せてしまう。彼が見えないのをいいことに、気持ちを隠すように俯く。


「……よかったね。アドン……」


「うん……ありがとう。ルミアが一緒にいてくれて、すごく支えになったよ。君がいなかったら、僕はこんなに強い気持ちにはなれなかったと思う」


 ルミアはその言葉に堪えきれず、目が潤むのを感じる。アドンにとって、自分はたしかに励みになれたかもしれない。でも、もし手術が成功して彼が視力を取り戻したら、その瞬間から自分は“脅威”になる。


 ――そのとき、私はどうする?


 この苦悩から逃れる術はないのか、と頭の中を巡らせるうち、一つの可能性が浮かぶ。それは、メデューサの力を封印するという禁術だ。自分の瞳の力そのものを捨てることができれば、アドンを石に変えてしまう危険はなくなる。


 でも、それは同時に“自身の視力を失う”ことでもあった。生まれてからずっと見てきた世界の色、光。そんなものはどうでもいいと思ってきたけれど、今になってその価値を思い知る。


 しかし、アドンの未来を奪うくらいなら、自分の光くらい安いものだと、ルミアは思う。もし本当に彼が石になってしまったら、生きていく意味さえ見失うだろう。


「……ルミア?」


 アドンが不安げに呼びかける。ルミアは気づかれないように、慌てて笑みを作ってみせる。


「ううん、なんでもないの。少し考えごとしてた……。ごめんね、大丈夫だよ」


 そう言いながらも、胸の奥で決意が固まりつつあるのを感じる。自分のためにではなく、アドンのために。あの石化の呪縛から、少なくとも大切な人だけは救いたい。


「アドン……。手術、きっと成功するよ。私、ずっと祈ってるから……。だから、安心して行ってきて……ね」


 心とは裏腹に、努めて穏やかな声を出す。アドンは安心したようにうなずき、最後にそっと彼女の手を握ると、優しく微笑んだ。


「ありがとう。君がいてくれるだけで、僕は大丈夫だよ。必ず目を取り戻して、君を見つめるから」


 ルミアはその言葉を胸に刻みながら、夜の闇の向こうにある月を見上げた。――私が“瞳”を捨てたとしても、あなたは私を見てくれるのかな。


 せめて、そうあってほしいという願いが、切なさとともに満ちていく。小さな虫の音と風のざわめきが、草原に沁み入る夜だった。

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