いい加減幻想水滸伝Ⅲを許したいオタクの鳴き声
初恋がルックだった面食いのよもぎです。
以前エッセイで書きましたが、私はまず幻想水滸伝Ⅱから始めてⅠをプレイし、その後ⅢⅣⅤをまとめ買いしてプレイに挑んだ人間です。
事前情報一切なし。
そうしてⅢをプレイした私が抱えたのは感動などのプラスの感情ではなく悲嘆、苦痛、そういったネガティブな感情でした。
幻想水滸伝Ⅲは、Ⅱのデータを引き継げるにも関わらず、Ⅰ・Ⅱそろってバッドエンディング前提で話が進みます。
そうして絶望し瞳を曇らせたルックが紋章の見せる未来を否定するため蜂起するのがⅢなのです。
つまりルックをこよなく愛する私にとっては、幻想水滸伝Ⅲは否定せざるを得ない作品です。
これはプレイ後十年以上経過した今でもそうです。
私はあの作品に二度向き合う勇気を持てていません。
リマスターが出たとしてもプレイしないでしょう。
漫画版ではなんかいい感じになるよみたいな情報も得ました。
しかし私は彼には派手な事はなくとも穏やかに生きて欲しいと願っていました。
レックナートの元で修業を積み、いずれは旅立つとしても、命を捨てるようなことはしてほしくなかった。
今でもⅢのことを考えると思考がぐちゃぐちゃになります。
でも多分一番思考がぐちゃぐちゃなのはルック本人だと思うんです。
ⅠとⅡの主人公に望みを託したのに、彼らは紋章の見せる未来に従うような結末を迎えたわけです。
敗北してるんです。
打ち勝てたのがトゥルーエンディングなわけですが、待って欲しい。
私はトゥルーエンディングのデータしか持ち合わせていないし、それを正史だと思って生きていました。
なのにバッドエンディングが正史だと言われても納得いかないんですよ。
これは同意してくれるファンの方も多いと思います。
いい加減もう幻想水滸伝Ⅲというトラウマを乗り越えたいです。
でも108星を集めてトゥルーエンディングを迎えたはずなのに、密かに生き延びたとかそういう話もなく、ただ辛く苦しい思いを重ねて「死」を直視させられたあの遣る瀬無さは一生消えてくれないんです。
プレイした当時は、いつかは色あせて忘れられるんじゃないか、と思ったんです。
大人になるってそういうことだよね?と。
でも大人になって何年も経過した今でもふと思い出してはやりきれない感情を抱えて苦しんでます。
こんなことになるのなら初めから出会わなければよかったとさえ思うほど苦しい思いをしてきました。
まるで恋愛話のようですが、対象はゲームとそれに登場するキャラクターです。
私はルックがあの結末を迎えたあの日あの瞬間から治らない傷を心に抱えたままです。
いわゆる二次創作というものに手を出したのはその傷を治さんとしてです。
しかしその二次創作を何本も書き上げても現実は変わりません。
傷は傷のまま残り続け、時々うっすらと瘡蓋が被ることはあっても鮮血が滲み続けているんです。
いつか、幻想水滸伝Ⅲの存在を拒絶しないようになる日は来るのでしょうか。
幻想水滸伝Ⅰ&Ⅱのリマスターの発売日を待ち望み、楽しみにすると同時に、時たまⅢを思い出しては未だに開いたままの傷の痛みに呻いております。
ゲームとしては面白かったです。
でも、シナリオそのものを否定せざるを得ないのが苦しい。
あのシナリオが始まってしまうということはルックは結末を避けられない。
それだけでこんなにも胸が痛いし苦しい。
十年以上が経過しても痛みも苦しさも色褪せることがない。
シナリオライターの方は大変優秀だと思います。
人の心にここまでの重たさを残せたのですから。
いつか。
いつか、この痛みや苦しみが浄化された時には、幻想水滸伝Ⅲという作品を改めて評価することができるかもしれません。
あるいは、評価することが出来ないまま生を終えるかもしれません。
あなたにとっての「幻想水滸伝Ⅲ」はどんな作品でしたか?
私にとっては生涯消えないだろう傷を心に残した作品です。
Ⅰ、Ⅱと違って、後ろ向きな感情だけが残ったと言っていいでしょう。
もちろん面白かったと思う方がほとんどだと思います。
けれど私にとっては一生のトラウマを内包した作品です。
名作であることは間違いありません。
そこは否定しません。
だからこそこんなにも辛い。そんな作品でした。
Ⅲのリマスター出たとして多分何か月も悩んで悩んでプレイしないという選択しか出来ない。
あのシナリオと向き合う勇気だけはどう頑張っても今の私にはないですね!