見えなくなった彼ら【実話、夏目友人帳第7期の放送を勝手に祝う者より】
夏目友人帳の第7期放送開始(2024年10月7日24時〜)に、いてもたってもいられず書き上げた話。
※ほぼ実話です。
綾乃が彼らの存在に気づいたのは、8歳の頃だった。
家の近くには犬の散歩コースがあって、夕方になると、色んな人たちが犬を連れて歩くのが日常の風景だった。柴犬にゴールデンレトリバー、トイプードルにパグ、甲斐犬を3匹も連れている人までいた。その中で、特に目に留まったのは、白い毛の小型犬を連れた女性だった。彼女はほぼ毎日のように散歩し、よく家の玄関の前で立ち止まっていた。
当時は、そんな光景が当たり前だと思っていた。何も疑問に思わず、「今日もあの白いワンちゃんと一緒だ」と、何となく思っていただけだった。
ある日、母と一緒に外出しようと玄関を出た時、いつものようにその女性と白い犬が立っていた。綾乃は無邪気に母に声をかけた。
「お母さん、今日もあの白いワンちゃんが来てるね。可愛いね。」
しかし母の反応は予想外だった。
「ん?何言ってるの?犬なんてどこにもいないじゃない。」
綾乃は驚いた。そこにいるのに、見えているのに、どうして母には見えないんだろう?
「え、ここにいるよ。お姉さんと白いワンちゃんが…」
指をさしても、母はただ戸惑った表情を浮かべるだけだった。
「変なこと言わないで、さあ、行くわよ。」
母は私の手を引いて玄関を後にした。けれど、振り返れば、彼女と白い犬はまだそこに立っていた。
その時、初めて「自分にしか見えないものがある」ということに気づいた。彼女も、ずっと横断歩道に佇むあの男性も、帽子をかぶったおじいさんも…彼らはすべて、綾乃だけの目に映る「存在」だったのだ。
最初は友達にもそのことを話したり、実際に見せてみた。でも誰も信じてくれなかった。「何言ってるの?」「そんなのいないよ?」「嘘つきだ」「目立ちたがり屋だ」と笑われ、気味悪がられるだけ。母も同じだ。「変なこと言わないで」「気でも引きたいの?」と真面目に取り合ってくれなかった。
どうして誰にも見えないんだろう? どうして私にだけ見えるのだろう?私がおかしいのか?幻覚なのか?
そんな疑問と不安が次第に彼女の心を締め付け、誰にも理解されない孤独が大きくなっていった。
その中で、唯一の救いは父だった。父もまた「見える人」だったのだ。ある日、綾乃の不安を感じ取った父が「お前も見えるのか?」と優しく言ってくれた。
「お父さんも見えるの?」
「そうだよ。おばあちゃんも見えてたんだ。そうか、似ないでほしかった所まで似ちゃったか。」
父は複雑な顔でそう言ったが、綾乃は少しだけ心が軽くなった。自分だけが異常ではないんだ、と少しだけ安心できた。
それに、そうした存在に疑問と不安はあるものの、恐怖は無かった。彼らはただ「そこにいる」だけで、自分に害を与えるわけでもなく、日常の一部のように感じていたからだ。ただ、世界が自分にだけ別の顔を見せているようで、それが奇妙だった。
でも、それはある日を境に変わってしまった。
10歳の時、家族で用事を済ませた帰りに、お墓参りに行くことになった。だが、用事に時間がかかってしまい、お墓に着く頃には、日が暮れ、空は茜色に染まっていた。――「黄昏時」、昼と夜の境目、人ならざるものに出会いやすい、「逢魔が時」と呼ばれる時間帯だ。
薄暗くなりかけた空の下、綾乃はいつものようにお墓を掃除し、墓石に水をかけ、花を添えた。そして、線香に火をつけ、手を合わせて祈りを捧げた。
その時、目を開けると、そこにいた。
長い髪、白い服、そして異様にギョロついた瞳。膝から下が消えていて、なにより全身が血まみれだった。その存在は綾乃を一瞥すると、スーッと動き、通路脇のゴミ箱の中を覗き込み始めた。何かを探しているようだった。その光景に、幼い綾乃は凍りついた。
「何かいる!何かいる!」そう叫んでいたのは覚えていない。いつの間にか、意識を失っていた。
その日を境に、綾乃に見える世界は恐怖そのものになった。あれほど慣れていたはずの彼らの姿も、突然恐ろしくなった。
『どうして私だけにこんなものが見えるの?どうして誰にも信じてもらえないの? どうして? どうして? どうしてあんなものが見えなきゃいけないの? 私は見たくない。見たくない。あんなもの、もう見たくない!お願いだから見えなくなって……』
綾乃の心はそんな願いでいっぱいになった。そうして次第に、彼らは見えなくなっていった。
完全に見えなくなったわけでは無い。時々、ぼんやりとした霧のような気配を感じたり、奇妙な寒気が背筋を駆け上がったり、金縛りの最中に実体を見ることはあっても、常日頃から実体を見ることはなくなった。
見えなくなったことで、ほっとした…はずだった。
だが、成長するにつれ、綾乃は気づいてしまった。彼らの姿が消えたことに安堵する一方で、もう一度彼らに会いたいと、いつの間にか願う自分がいることに。
それに、気づいてしまった。彼らは恐ろしい存在ではないことに。彼らはあの地に縛られ、成仏できないでいる、悲しい存在、虚しい存在だ。
散歩していたあの女性と犬は今どこにいるのだろう? 横断歩道に立ち尽くしていた男性はまだあそこにいるのか?帽子をかぶったおじいさんは、もう成仏しただろうか? それとも、まだあの場所に縛られているのだろうか?
それにあの日、恐怖を感じさせた彼女は、あの後どうなったのだろうか。探していたものは見つかったのだろうか…
気づけば、綾乃はもう一度彼らを見たいと願ってしまっていた。
だが、何度願っても彼らは見えない。 もう見えないのなら、せめてその存在を忘れたいと何度も何度も願った。けれども、一度見てしまったものは、見えてしまったものは、忘れることなんて出来なかった。彼らは今でも自分の記憶の中に、あの日のまま存在し続けているのだから。
綾乃はかつて、自分だけが見える“そういう存在”を煩わしいと、日々解放して欲しいと思っていた。でもいざ失ってみると、それは解放ではなかった。
綾乃は彼らをもう一度見たいと思ってしまっている。それがどれだけ奇妙な感情かは分かっている。だけど、あの場所に縛られている彼らを、再び目にしたいと思っている自分がいることも、また事実なのだ。
この感情を一体なんと呼べばいいのだろう……
[完]
※私の心を凍りつかせた彼女は、成人した今でも年一で会います。
人ならざる存在、幽霊、妖怪は、本当にいるのか?いないのか? よく話題になりますよね。
私個人は“いる”と思っています。ただ別に“いない”とする人のことを否定する訳でも、拒絶する訳でもありません。私が見たその存在は、全て幻覚だったのかもしれないし、私の頭がおかしかっただけなのかもしれません。
それに“いない”と思える方が、見えない方がいいに決まっています。
ただこの想いを書き殴りたかっただけなのです。
★ 最後に不躾なお願い失礼いたします。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございました!