表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
罪には罰を  作者: 原滝飛沫
4章
99/184

第99話 遠い背中


 第二ゲームが始まった。


 一回マスワリしただけでは物足りないらしい。先行は俺の物と言わんばかりに才覇さんがブレイクを打つ。

 

 今度は初撃で失敗した。キューの先端で突かれたボールが無様に跳ねる。まな板の上でバタバタする魚を幻視した。


 俺はとっさに口を押さえた。喉の奥から込み上げる衝動を懸命にこらえる。


 才覇さんのプライドはエベレスト並みに高そうだ。吹き出し笑いなんてしたら何をされるか分かったものじゃない。


「あはははははっ!」


 俺じゃない。


 振り向くと聡さんが腹を抱えて笑っていた。


 才覇さんの額に青筋が立つ。


「覚えたぞ聡。貴様の所業は、俺の記憶にしかと刻まれた」

「怖いなぁ。遊戯くらい仲良くたしなもうよ。ね?」


 聡さんが上体を倒してキューを構える。


 スッと空気が引き締まった。朗らかな表情が鳴りを潜めて、真剣身を帯びた瞳が手球を見据える。


 優しいお兄さんと言ったイメージから一転。鋭利な雰囲気をまとってキューを引くさまは、サーベルを構えた騎士を思わせる。


 キューの先端が手球を捉えた。軽快な音に遅れて、白いボールが別の球をポケットに押しやる。


 刺突が続く。先角が手球を打つたびに、激突した的球が次々とポケットを鳴らす。


 このゲームは聡さんが終わらせる。


 そう直感した刹那、キューの先端が手球の側面を打った。


 逸れたボールが頼りなくラッシャを転がる。最後に残った的球の近くで止まった。


「うーん惜しい、最後の最後で外しちゃったなぁ。次は市ヶ谷さんの番だよ」

「はい」


 左胸の奧が鼓動を打った。


 勝てる。これ以上ない千載一遇のチャンス。一突きで勝てそうだからか、自然とキューを握る手に力がこもる。


 人生初めてのビリヤード。才覇さんと聡さんのプレイを見ていたけど、実際にキューで突くのはこれが初めてだ。


 見よう見まねで上体を倒す。棒を左手の上に乗せて、白いボールの中心を見据える。 


 思っていたよりも狙いが定まらない。突きの勢いを乗せるべく右腕を引くと、その都度先端が明後日の方を向く。


 これは失敗する。ビリヤードプレイヤーが押さえておくべき何かを、俺は知らないんだ。


「いつまでやっている。早く打て」

「そうかしちゃ駄目だよ才覇。彼はキューを持つことすら初めてなんだから」


 後方から靴音が近付く。

 

 振り向くと聡さんが背後に立っていた。


「市ヶ谷さん、少し触るよ」


 聡さんの手が俺の右手にかぶさった。香水を付けているのか、爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。


 大人の男性というイメージを得た直後、左腕で姿勢を矯正された。


「腕全体を引くと目線がぶれやすいんだ。動かすのは肘から下だけ。振り子を意識するとやりやすいかな」

  

 体に触れていた熱がそっと離れる。


 教わった流れを脳内で反芻はんすうする。キューを二回押し引きして、体の動きと想像図を重ね合わせる。


 意を決してキューを押し出す。


 カンッとした音に続いて、勢いづいた手球が九番の球を鳴らした。的球がすーっとポケットに吸い込まれる。


 ほっと一息突くなり、後方で拍手が起こった。


「上手いじゃないか。これは才覇を超えるのもそう遠くないね」

「調子に乗るなよ貴様ら。一回もマスワリしていない分際で」


 何故か俺も睨まれた。やつ当たりだろうか。こんなことで目を付けられるのは勘弁してほしい。

 

「才覇さん、落ち着いてください。聡さんは悪意があって言ったわけじゃないと思います」


 霞さんが仲裁に入った。


 あどけなさのある笑顔に毒気を抜かれるかと思いきや、シックな空間に舌を打った音が響き渡る。


 ルーム内の空気が一気に緊迫した。


「どうした? 普段は隅っこで縮こまっているくせに、今日は随分と饒舌じょうぜつじゃないか。久しぶりにそこの男と会ったから浮ついているのか?」

「い、いえ、そんなことは……」


 霞さんの視線が床に落ちた。


 白菊さんが一歩足を前に出す。


「才覇様、どうかその辺りでお収めください」

「白鷺、何故前に出た? 貴様の主人は変わったと聞いていたが、違うのか?」

「いいえ、才覇様の認識で間違いございません」

「ならば控えていろ。不貞の子の分際で、よもや調子に乗っているのではあるまいな」

「いえ、決してそんなことは」

「その口答えこそ調子に乗った証明だろう。存在を認知されて勘違いしたか? 伏倉に認められたと自惚うぬぼれたか。何と図々しい、身の程をわきまえろ」

「申し訳、ございません」

  

 白鷺さんもうつむいた。聡さんが作った和やかな空気は、すっかり霧散して跡形もない。


 フォローすべきなのだろう。その空気を肌で感じるけど、俺が介入したところで好転する未来が見えない。

 

 存在を認知。


 伏倉に認められた。


 これらのワードを耳にしただけで、俺には口を挟む資格がないと分かる。何も知らないくせにと一蹴されるのがオチだ。


「以後(つつし)め。廃嫡はいちゃくされた男の子女の分際で」


 廃嫡された男。


 その存在について問うべきか迷っていると、キィ……と軋む音が鳴った。


「やぁ皆、何の話をしているのかな?」


 ドアの前に好青年のような笑みがあった。背後には燕尾服の男性が控えている。


 風船のように張り詰めた空気がふっと緩んだ。


「秀正か。何をしに来た」

「僕はここの当主だよ? ビリヤードをたしなむ資格くらいは持ち合わせているさ」


 俺は息を呑む。


 生物学上の父が浮かべるのは笑顔。柔和な雰囲気を醸し出す一方で、その表情はこれまでにない威圧感をはらんでいる。細められた目が笑っていない。

 

「たしなむだと? 貴様は勝負事を苦手としていたはずだが、趣向の変化でもあったのか?」

「まあね。ビリヤードを通じて親睦を深めようと思ってさ。家族は仲良くするに越したことないだろう?」

「よく言えたものだな。優峯ゆうほう僻地へきちに飛ばしたのは貴様だろうに」

「親しき仲にも礼儀ありだからね。その件に関して僕が恥じることは何もないよ」


 冷たい視線がビリヤードテーブルに向けられる。手球がポツンとあるラッシャを見て、薄いくちびるが弧を描く。


「キリが良さそうで良かった。遊戯はそこまでにして、全員食堂に集まってくれないかな?」

「ふん、いいだろう」


 才覇さんがキューを離してスタンドの底を鳴らす。俺も聡さんに続いて道具を片付ける。


 二つのスーツ姿が客間へ消えるのをよそに、生物学上の父が霞さんと白鷺さんに歩み寄った。うつむく二人の肩に手を置いて優しい声色を発する。


 二つの整った顔に微笑が戻った。二人が高い背丈を見上げて言葉を紡ぐ。


 まるで家族のようなワンシーン。


 落ち込む姉妹をなだめる父親の図。そんな言葉が脳裏をよぎって、自然と口元に力が入る。


 計四つの靴先が開け放たれたドアに向けられた。花のある背中を見送って、生物学上の父が振り向く。


「釉も行こう。君の祖父が待っているよ」

「あ、ああ」


 生物学上の父に続いてビリヤードルームを後にする。


 腕を伸ばせば届く背中が、異様に遠く感じられた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ