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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
4章
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第98話 ビリヤード


「こんばんは才覇様、聡様。ここにおられる市ヶ谷様は、英語での会話が不得手でいらっしゃいます。日本語で意思疎通を図られるのがスムーズかと存じます」

「何だ、まだ英語を喋れないのか」


 威圧感のある風貌が目を細める。


 日本語もまた、英語と同様に流暢りゅうちょうだった。


「市ヶ谷様は短期留学中の身でいらっしゃいます。どうかお手柔らかにお願い申し上げます」

「知らん。貴様達の都合を俺に押し付けるな」


 冷たい声色に一蹴されて、桜色のくちびるが閉じる。


 辛辣な物言いだけど、俺に起因するものではない気がする。先程から白鷺さんに視線すら振らないし、何かしらの確執でもあるのだろうか。


 柔和な雰囲気の男性が手の平を打ち鳴らす。


「まあまあ。今日はせっかく皆で集まったんだし、楽しい一日にする努力をしようよ」


 才覇なる男性が再び鼻を鳴らした。冷たい視線が聡さんから外れて俺を見据える。


「貴様が秀正の息子だな?」


 まだ座ったままだったことに気付いて、俺はソファーから腰を上げた。


 自分の名前を口にしたけど、お返しの自己紹介は続かない。


 冷淡な視線が使用人に向けられる。


「秀正の奴はどこに行った」

「秀正様は先代当主と歓談していらっしゃいます」

「そうか」

「あの、そちらの名前を教えてもらってもいいでしょうか?」


 微かな苛立ちが言葉になって口を突いた。


 冷たい視線に射貫かれて息を呑む。

 

「……フハッ」


 吹き出したような声が空気を震わせた。


 何かまずいことを言ったかと思った刹那、才覇さんの口端が吊り上がる。


「そうかそうか。現当主の息子にとっては、敗北者など眼中にすらないということか! フハハハハッ!」


 楽しそうな笑い声が室内を駆け巡る。


 何がそんなに面白いのか。気にはなったものの、相手に問い掛ける気にもなれない。迂闊に口を開くと拳が飛んできそうだ。


「いや実に愉快だ! 俺は恩義を忘れない男だが、恩義を忘れる奴は忘れてやりたいほどに嫌いだ。市ヶ谷釉だな。その名、覚えておこうじゃないか」


 厄介そうな人物に目を付けられてしまった。やらかした空気をヒシヒシと感じる。


「その辺にしておきなよ。彼が私達に会ったのは物心つく前なんだから、覚えてないのは無理もないって」

「俺は生まれてからの出来事全てを覚えているがな」

「普通の人間には幼児期健忘があるんだよ。普通の人間、にはね」

「それはどういう意味だ?」

「さあ?」

 

 聡さんがおどけたように肩を竦めた。


「そうだ。まだ夕食までは時間があるし、ビリヤードルームで親睦を深めないか?」

「フン、まあ腹ごなしにはなるか」

「準備して参ります」


 二人の側付きがドアの向こう側に消える。


 確定事項みたいな空気に耐え兼ねて、胸の奥から湧き上がった焦燥が口を突いた。


「あの、俺にビリヤードのたしなみはありませんが」

「見て覚えろ。できなければ無様を晒して道化を演じるんだな」


 大きな背中が遠ざかる。使用人の後を追って、ドアの向こう側に消えた。


「そう委縮しなくていいよ。ビリヤードは、あくまで距離を縮めるための遊戯ゆうぎなんだから」

「でも本当に初めてなんですよ? 空気を悪くしませんか?」

「才覇はあれこれ言うだろうけど気にしなくていいよ。彼はいつもあんな感じなんだ」


 柔和な微笑が浮かぶ。


 才覇さんが威圧感にまみれている反動か、凄く優しそうな人に映る。心の壁が氷のように溶けていく。


 聡さんと肩を並べてドアの向こう側に踏み入る。


 想像に違わずシックな内装が広がっていた。壁際にダーツの的が吊り下がり、ビリヤードテーブルがずらっと並ぶ。その内の一つでは、色鮮やかな玉が集まって三角形を描いている。


 俺はキュースタンドから長い棒を引き抜き、手に馴染ませるべくもてあそぶ。


 重くはないけど軽くもない。変な打ち方をしたら先端がぶれそうだ。


 才覇さんがジャケットを脱いで側付きに押し付ける。


 キューを構える仕草に一瞬目を奪われた。真剣な横顔が、これぞ貴族と言わんばかりの優雅さを醸し出す。


 二回ほど軽く腕が引かれ、慣れた動作でキューが突き出される。


 ブレイクショット。白球がまとめられた的球に突撃し、カンッと軽快な音を鳴り響かせる。色とりどりの球体がラッシャの上を転がった。


「まだ先行後攻を決めてないよ? それ以前に、市ヶ谷さんも含めると三人いるんだけど」

「適当で構わないだろう。俺達はプロではない。順番程度で大した差は付かん」

「相変わらず大雑把だなぁ。市ヶ谷さんもそれでいいかな?」

「いいですよ」

 

 順番が回ってきたところで、俺がまともに球を打てるとは思えない。大人しく勉強させてもらおう。


 才覇さんが再度上体を倒す。


 白球が突かれた。1と記された的球が隅の穴に吸い込まれ、2番の球も後を追う。

 

 3番、4番。次々とポケットに追いやる流れは止まる気配がない。


 聡さんが苦々しく口角を上げる。


「何が順番程度で大した差は付かないだよ。さては陰で練習してたね?」

「練習などしていない。仕事の付き合いで打つ機会が多いだけだ」

「このままマスワリにする気でしょ? 市ヶ谷さんもいるのに大人げない」

「何を言う、勝負事で手を抜くなどあり得んだろう。伏倉家の男子たる者、あらゆる勝負事に勝利する義務がある」

「父上みたいなことを言うね。逃げるが勝ち、楽しむが勝ちってことわざもあるのに」

「負け犬の戯言ざれごとだな」


 俺は聡さんの横顔に視線を振る。


「逃げる方はともかく、後者のことわざは聞いたことないですね。アメリカにそういうことわざがあるんですか?」

「ないと思うよ? 私が言いたかっただけだからね」


 俺は口をつぐむ。

 

 笑っていいんだろうか。反応に困る。


「マスワリだ」


 テーブルの上に視線を戻すと、九番までの的球が無くなっていた。


 くくっ、と抑えた声に続き、愉快気な高笑いがビリヤードルームを駆け巡る。


 口角を上げてノーミスを喜ぶ才覇さんの姿は、純粋に遊びを楽しむ子供のように見えた。



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