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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
4章
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第87話 新しい理事長


 クリスマスパーティを終えての月曜日。ベッドの上で上体を起こして、妙にそわそわした感覚に襲われる。


 体調に変わりはない。腕や脚はいつも通りに動く。心に至っては今までになく軽いくらいなのに、ざわざわとした胸騒ぎが収まらない。最近幸福成分を摂る機会が多かったし、無意識に反動を恐れているのだろうか。


 馬鹿馬鹿しい。


 俺は懸念を一蹴してスリッパに足を通す。制服に袖を通して廊下の床をスタスタ鳴らし、鏡の前で寝ぼけ眼に冷水を叩き付ける。


 一通り身支度を済ませて外履きに足を挿す。ひんやりとした外気を玄関に迎え入れて、来年まで一週間を切った登校期間に臨む。


 教室のドアを開けると、室内は騒々しさで満ちていた。


 こういう時は大抵ろくでもないことが起こる。俺は経験で知っているんだ。意を決して室内の床に靴裏を付ける。


「よお市ヶ谷」

「おはよう芳樹。この賑わいは何なんだ?」

「理事長が変わるんだってよ」

「こんな時期に? 冬休みまであと数日もないぞ?」

「だから皆騒いでんだよ。このギリギリのタイミングにねじ込んできたんだ。きっと重大なお知らせがあるに違いないぜ」

 

 芳樹がにやっと口端を吊り上げる。暴風で喜ぶ子供のような顔だ。


「楽しそうだな」

「そりゃ楽しいだろ。一種の祭りだぜ? 盛り上がらないと損だって」

「随分楽観的だな。下手をすると学校の方針が変わるかもしれないのに」

「何で市ヶ谷はそんなに悲観的なんだよ? そんなこと言われたら怖くなるじゃねーか」

「……悪い、ちょっとナーバスになってた」


 足を進めて自分の席に荷物を置く。


 俺の胸騒ぎと学校の行く末は関係ない。これじゃ八つ当たりだ。友人を不安にさせてどうする。


 ぞろぞろとクラスメイトが席に着く。


 ドアがスライドして浅田先生が顔を出す。教壇を踏み鳴らして教卓に向き直り、いつも通り連絡事項を口にする。


 理事長が変わるというのは本当のようだ。これから集会が設けられるらしく、お呼びが掛かるまで自由な振る舞いを指示された。


 皆新たな理事長に興味津々のようだ。クラスメイトが浅田先生に問いを投げて室内を賑わせる。


 浅田先生も多くは知らないらしい。四十くらいのイケメンなどと、全く役に立たない情報を盗み聞く羽目になった。


 廊下から別の教師が顔を出す。浅田先生の号令で廊下に整列し、クラスメイトに混じって講堂へ行進する。


 普段と変わらない洒落っ気のある講堂。ツンとした空気を吸いつつ、ストーブの赤みを眺めながら全校集会の開始を待つ。


 理事長交代の話題で盛り上がっているのは、クラスメイトだけじゃなかった。同級生はもちろん、二、三年生もがやがやと声を張り上げる。

 

 脳裏にふと先輩方の笑みが浮かぶ。


 あの人達も芳樹と同じように、トップ交代の話題で喉を震わせていることだろう。登校中に会えていれば、持ち前の騒がしさで胸騒ぎを緩和してくれただろうに。こういう日に限って運が無い。


 マイクを介した声がひんやりとした空間を駆け巡った。講堂を満たしていた騒めきが嘘のように減衰する。


 静まったのを機に、教員の一人が改めて発声した。事務的な言葉が並べられて物々しい雰囲気ができ上がる。


 視界を埋める制服の群れがそわそわする。


 幾多もの背中が言いたいことを物語っていた。御託はいい、そんなことより早く新任理事長を出せ。言葉こそなくとも気持ちは一緒だ。


 教師の語りが終わり、女性教師の声が集会を進行させる。


「なあ、今の話要る?」

「要るんじゃね? 前置き無しに理事長ポンと出されても味気ないし」


 賛否両論の意見が小声となって飛び交う。前置きの重要性についての論述が始まった。


 論述と言えば堅苦しいけど、やることは言葉をこねくり回した遊戯だ。退屈な時間においては立派な愉悦。生徒の大半が教師懸命の語りそっちのけで盛り上がる。


 俺は口を閉じて耳だけ傾ける。


『静かに』を連呼していた教師も、若さ故の関心を抑え切れないと悟って早口になった。コンパクトにまとめて新任理事長の紹介に移行する。


 雑談がスッと空気に溶けて静まり返る。その現金さに内心苦笑しつつ、俺もステージに注目する。

 

 靴音が鳴り響いた。スーツをまとった人型が床を踏み鳴らし、ステージの上に続く段差に足を掛ける。

 

 恥じることなど何も無いと言わんばかりの歩調。前に座す生徒の体でよく見えないけど、響き渡る歩調からは自信満々な在り方がうかがえる。


 姿勢の良い人影が照明降り注ぐ壇に靴裏を付ける。生徒の頭で見えなかった箇所が露わになり、新しい理事長の全身が視界に飛び込む。


 ドクンと、左胸の奧が鼓動を打った。

 喉が詰まったような息苦しさと、収まりつつあった胸騒ぎが俺の胸を掻きむしる。


 浅田先生が告げていた通り顔立ちは整っている。艶のある髪は少し長め。一歩間違えれば軽薄そうな印象を与えかねない一方で、あどけなさの残る顔立ちが少年のごとき純粋さを醸し出す。


 見た目の若々しさには目を見張った。

 何よりも頭部に驚愕を隠せなかった。


 似ている。似すぎている。

 今朝、鏡の前で見た顔と。


「初めまして、東京請希高等学校に在籍する生徒の皆さん。本日より理事長に就任しました、伏倉秀正ふしくらしゅうせいです」


 優し気な響きが広い空間を駆け巡る。


 見るからに好青年のような微笑。俺にはそれが、ヘドロを固めた作った仮面に見えた。


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