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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
4章
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第84話 手編みのマフラー


 わだまかりを解いてから、奈霧とのぎこちなかった会話が繋がるようになった。


 歯車が噛み合った感覚に任せて商業施設を歩き回る。ウィンドウショッピングと華やかな内装をさかなにして談笑を重ねた。


 ライトアップされた電波塔を見て一区切り。元来た道を辿って新宿駅のホームに靴裏を付ける。


 徒歩で奈霧の自宅へと向かう。


 楽しかった時間はここまで。


 いやもうしばらくは続くけど、奈霧宅には高確率で勲さんがいる。それこそ急に仕事が入ったとかで留守にでもしない限り、俺はあの人と顔を合わせることになる。


 忘れもしない。ファミレスで奈霧を化粧室へ追いやった後に見せたあの表情。大切に育てた娘にくっ付いた変な虫を射落とさんとするあの目。


 俺に感謝したのは本当のことだろう。そこは疑っていない。だけどあのプレッシャーが冗談だったとも思えない。


 憂鬱だ、帰りたい。奈霧宅に誘われてなければ自宅でケーキを食べていたのに。むしろ奈霧を誘って同じテーブルを挟んでいたかもしれないのに。


「釉くん、緊張してるの?」

「してる。それはもう凄まじく」

「そんなに緊張しなくてもいいのに。お父さんもお母さんも、釉くんと話すのを楽しみにしてたよ?」


 嘘付け!


 思わず声を張り上げそうになった。危ない危ない、勲さん渾身の本性を愛娘まなむすめの前で暴露するところだった。

 

 嘘を指摘すれば、きっと奈霧は勲さんを叱る。勲さんから俺への印象が悪化するのは想像に難くない。恨まれるのは御免だ。


「そうか、楽しみだなー」


 適当に言葉を交わして歩を進める。


 奈霧が指を差した。細い指先が指し示した先を視線でなぞる。


 大きな一軒家だ。マンション程ではないものの、他の一戸建てと比べるとパッと見て分かるほど大きい。


 俺もかつては一軒家に暮らしていたけど、当時の記憶はすでにおぼろげだ。建物の中はマンションの部屋とどう違うのだろう。


 門の間を通って玄関の前に立ち、コートをたたんで前腕に掛ける。


 奈霧がスマートフォンを取り出してかざす。


 カチャと軽快な音が鳴った。繊細な手がドアの取っ手を引くなり、内側から温かな明かりが漏れる。


 自分は外にいるのに中が明るい。その違和感で靴裏が地面に貼り付く。


 俺は、この中に入っていいのだろうか。


「どうしたの? 入ろうよ」


 微笑のお墨付きをもらって後に続く。


 スリッパの音に遅れて、廊下の奥から女性が現れる。


 いかにもできる女性って感じの出で立ち。家にいるのにスーツ姿を幻視した。


 十代のような瑞々しい肌。若いうちからケアをしていたのだろう。ラフな格好ながらも美容意識の高さがうかがえる。髪は奈霧と違ってショートだけど、恋人の親族と聞けば納得するだけの面影がある。


「いらっしゃい。あなたが市ヶ谷さんね?」

「はい、市ヶ谷釉と申します。今日はよろしくお願いします」

「ええ。こちらこそよろしくね」

 

 柔らかい笑顔が緊張をほぐしてくれた。


 俺は用意してきた菓子折りを手渡して靴を脱ぎ、勧められたスリッパに足を挿し入れる。


 廊下を歩くと独特な匂いがした。


 落ち着かないけど悪くはない。奈霧が俺の部屋に踏み入った時も似た感想を抱いたのだろうか。非日常的な空気で気が引き締まる。


 コート掛けを勧められてダッフルコートを吊り下げる。


 奈霧母の手に寄ってドアが開かれ、リビングの内装が露わになる。


「やあ、いらっしゃい」


 背筋に緊張が走った。


 勲さんだ。シックな色合いのソファの上で脚を組んでいる。その表情は微笑のていを為している。


 一応はフレンドリーな態度。俺から空気を壊すわけにもいかない。強張りそうになる口角を上げる。


「こんにちは。お邪魔します」

「泊めないからね?」

「分かってますよ」


 苦笑いで応じる内に奈霧が戻ってきた。洗面所で手洗いとうがいをしてきたらしい。俺も洗面所を貸してもらって日常的なみそぎを済ませる。

 

「有紀羽、手伝いはいいから部屋に行ってなさい」

「いいの?」

「いいわよ。手伝いは勲さんにやってもらうから」

「分かった、それじゃ後はお願い。釉くん、行こう?」

「ああ」


 奈霧の両親に会釈して廊下に戻り、上階へと続く段差に足を掛ける。華奢な背中を追ってスリッパを鳴らし、二階の床にスリッパの裏を付ける。


 奈霧がドアノブをひねって振り向く。


「ここが私の部屋。入って」

「お邪魔します」

 

 初めて踏み入る奈霧の部屋。胸の高鳴りを感じながら室内を一瞥する。


 質素な俺の部屋とは違う。所々に洒落っ気がある一方で、パステル調のカラーリングが居心地の悪さを緩和する。アイスを模したハンドメイドを見つけて、意図せず口元が緩む。


 視線を感じて振り向くと、奈霧がじとっとした視線を向けていた。


「女の子の部屋をじろじろ見ないの」

「そんなつもりはなかったけど、不快にさせたなら謝るよ」


 視線を向ける先に困っていると棚が目に付いた。本の背表紙に混じって紙粘土の器物きぶつや段ボール工作が並んでいる。


「図工の時間に作った物だよ。覚えてる?」

「ああ」

 

 小学生の頃に競争の種目としたのは、駆けっこやテストの点数だけじゃない。図工での物作りもその一つだ。


「俺の部屋にも飾ってあるよ。微かに俺のとは違うな」

「同じ物でも違いが出るのはハンドメイドならではだよね」

「そうだな。機械化されたら図工も味気なくなりそうだ」


 授業内容も、作るための機械を操縦する練習になるのだろうか。小学生時代の記憶は疎ましいけど、工作に没頭した時間が後世こうせいに継がれないのは少し寂しい。


 視線を走らせる内に置物の質が変わる。粗雑さと微笑ましさが入り混じった物から一転、素人目にも分かるほど知識と技術が織り込まれている。


「これって、以前帰り道に話してたハンドメイドか?」

「そうだよ。三日前はもっとたくさんあったんだけどね」

「捨てたのか?」

「ううん、買ってくれた人に配送したの」

「ってことは、販売サイトに出品したんだな」

「うん。自分の作った物が売れるのって、何だか不思議な感じがしたよ」


 奈霧は道具の購入で貯金が減る状況をうれいていた。ハンドメイドが売れたのは好ましいことのはずだけど、表情を染める歓喜の色は薄いように見える。


「寂しいのか?」


 奈霧が目を丸くする。

 数拍置いて、整った顔立ちに力ない笑みが浮かんだ。


「ちょっとね。でも嬉しいって気持ちもあるんだよ? レビューも付いてさ、胸の内がぽわぽわってなった」

「意外だな。奈霧は他人の評価なんて気にしないと思ってたよ」

「私もそう思ってた」

 

 奈霧がはにかむ。

 俺はふと思い出してポーチの口を開ける。中から長方形の包装を引き抜く。


「今の内に渡しておくよ。気に入ってくれるかどうかは分からないけど、クリスマスプレゼント」


 小さな顔がパッと華やぐ。


 それもつかの間。奈霧が気まずそうに表情を強張らせる。


「ごめん釉くん。私デートのことで頭がいっぱいで、クリスマスプレゼントを用意してない」


 奈霧の視線が床に落ちる。

 後ろめたさが垣間見えて、俺は小さく笑う。


「いいよ、俺が奈霧に渡したいだけだから。手袋なんて大して高い物でもないしな」

「手袋?」

「ほら、節約で買い控えてるって言ってただろう?」

「覚えててくれたんだ」


 申し訳なさそうな表情が微笑みに上書きされた。


 俺は包装を差し出す。白い両手が包装を挟み、艶のある口元が緩む。


「嬉しい、ありがとう。でも私だけもらうのは気が引けるし、お金払うよ」


 思わず苦々しく口角を上げる。


「相変わらず頑固だな。じゃあハンドメイドのマフラーくれないか? そこの棚にあるやつ」


 奈霧が目をぱちくりさせた。


「いいの? 市場的価値なんて無いも同然なのに」

「俺にとっては価値があるからいいんだよ。今日の俺はマフラーを付けてなかっただろう?」

「うん。寒そうにしてたからずっと不思議に思ってた」

「実は先日コートを新調したんだけど、コートの色に合うマフラーを買い忘れちゃってさ。付けようか迷ったんだけど、結局お洒落の方を取ったんだ」

「なるほどね。じゃあ好きな色を選んでいいよ」

「せっかくだし奈霧が選んでくれないか? そういうの得意だろう」

「分かった。それじゃあね……」


 奈霧が棚の前に立って吟味する。


 恋人が編んだマフラー。手編みのそれを巻いて帰る自分を想像して、聖誕の日に感謝を捧げた。

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