第83話 空回りと仲直り
カフェでクリスマスメニューなるものを摂っていざ出発。電車を乗り継いで押上駅のホームに靴裏を付ける。
炭酸が抜けた音を耳にして人の流れに乗る。再び外の空気に身を晒して、遠くで天を衝かんと伸びる電波塔を仰ぐ。
十七時付近になると、クリスマスツリーを模したライティングがなされる。それまでは電波塔内の商業施設でウィンドウショッピングを楽しむ。眺めながら談笑するだけだから奈霧の財布にも優しいし、クリスマスを意識して飾られた店舗は見応えがある。つまらない時間にはならないはずだ。
プラン自体は悪くない自負があった。上手く会話が続かなかったり、奈霧の笑みがどこかぎこちなかったりしたけど、最後には合流時に見せてくれた笑顔をもう一度見れる確信があった。
だから、これはきっと運がなかったんだ。
「あれ、奈霧さんじゃん!」
小柄の少女が口角を上げる。隣には黒髪の少女もいる。見知った同級生だ。
「こんにちは。糸崎さん、早乙女さん」
「まさかこんなところで会うとは思わなかったよー」
糸崎さんが駆け寄る。俺に視線を振って、足の動きが徐々に遅くなる。顔を満たす笑みが強張った。
「あれ、もしかしてこれ、呼び掛けちゃ駄目な奴だったのでは?」
「そうだよ糸崎さん! どう見たって特別な感じだよこれ!」
早乙女さんが小走りで糸崎さんに駆け寄る。どこかずれた物言いは相変わらずのようだ。
どうしたものかと思っていると、視界の隅で微笑む気配があった。
「二人はライティングを見に来たの?」
「うん。彼氏いないけど見にいこーぜって麻里を誘ったの」
糸崎さんが品定めするように奈霧を凝視する。
「それにしても奈霧さんお洒落だねー。めっちゃ気合入ってんじゃん」
「ありがとう。ちょっと不安だったから安心したよ」
「何で不安なの? 市ヶ谷さんにも褒められたでしょ?」
「ううん、何も言われてない」
「へ?」
糸崎さんが目をぱちくりさせる。
次いでじとっとした視線が俺を刺した。
「やめろ、そんな目で俺を見るな」
「自覚はあるんだね」
「事故だったんだ」
「ずっと二人きりだったんじゃないの? 言う機会なんていくらでもあったでしょ」
「タイミングを逃したんだよ。そういう時ってあるだろう?」
「褒めるのにタイミングも何もないっしょ」
「糸崎さん、あっち行かない? ね?」
早乙女さんが糸崎さんの袖を軽く引っ張る。糸崎さんの追及から逃がしてくれるのはありがたい。
俺は顔に微笑を貼り付けて手をひらひらさせる。
「じゃあな糸崎さん」
「ちょっと君、自分に素直過ぎない?」
「さらばだ」
「ほら、行くよ!」
早乙女さんに腕を引かれて、不満げな表情が人混みに消えた。
「行こっか」
「ああ」
気を取り直して足を前に出す。
気まずい。糸崎さんが余計なことを言ったせいだ。カフェで感じた時よりも強い焦燥が胸の奥から噴き出て口を突く。
「奈霧」
「ん?」
「その、今日の服、凄く似合ってる」
「ふーん、糸崎さんに催促されたら褒めてくれるんだね」
奈霧が意地悪気に口端を上げる。
何気ない仕草を前に、むっとしたものが胸の奥で渦を巻いた。
俺だって言おうと準備はしていた。そもそも奈霧が外で待っていなければ、俺は順当に服装を褒めていたはずなんだ。この件で俺が責められる謂れはない。
言い返したい。その一心で口端を吊り上げる。
「そんなこと言っていいのか? 俺に会いたくてたまらなかったくせに」
「いつ私がそんなこと言ったの?」
「店内で待ち合わせていたのに、わざわざカフェの前で待っていたじゃないか。一秒でも早く顔を見たかったんだろう? あれが無かったら、俺はちゃんとできてたはずなのに」
声色がちょっと喧嘩腰になってしまった。
飛び出た言葉は引っ込められない。これがきっかけでこじれたらどうしよう。内心戦々恐々としながらも、口はプライドに縫われて開かない。
「悪かったね。そうだよ? 秒でも早く会いたかったから外で待ってたの。彼女が彼氏を待ち望んでたら悪いの?」
拗ねたような声色が空気に溶けた。表情を繕わんとするプライドをよそに、耳たぶが仄かに熱を帯びる。いかにも喧嘩が始まる空気だったから身構えたのに、急にそんなことを言われたら反応に困るじゃないか。
互いに沈黙する。つんざくような冷気がぽかぽかした頭から熱をかっさらう。
ああ、そうだった。
こういう時どうすればいいのか、俺はよく知っている。
「悪くないよ。俺だって今日を楽しみにしてた。たくさん調べて、ルートをチェックして、会ってからの流れをシミユレーションしてデートに臨んだんだ。だからタイミングを逃してペースが乱れて、上手く会話を回せなかったと思う。でも似合ってるって思ったのは本当だ。見惚れるくらい着飾ってきてくれたのに、すぐに誉めてあげられなくてごめん」
長い弁解だったけど、奈霧は言葉も挟まず聞いてくれた。
亜麻色の髪が左右に揺れる。
「ううん、私こそ意地悪なことを言ってごめんね。ちょっと気合入れすぎたかなって思ってたから、だんだん恥ずかしくなっちゃって」
奈霧が足元に視線を落とす。
人は恥に弱いとよく耳にする。
奈霧の場合は、それが特に突き刺さる。渋谷ハロウィンのように視線が集まる場を避けるくらいには、小学校での出来事が尾を引いている。いっそ軽度のトラウマと言い変えられるレベルだ。奈霧が耐えていた恥ずかしさは俺が察するに余りある。
気合を入れてきたのは俺だけじゃない。ここにいる人の大半が今日に賭けて仕上げて来ている。小学校の教室とは違う。奈霧のスカート姿を嗤う連中はどこにもいない。
俺は腕を差し出し、地面に向けられた視線を断つ。
「行こう。今日はまだこれからだ」
「……うん!」
陰った表情がぱっと華やぐ。欲しかった笑みより嬉しそうな笑顔を得て、俺はデートの続きに臨む。