第77話 後悔せずにいられるのか?
昼休みが終わるなり、宿泊研修のプログラムが始まった。
テーマは自己開示。自分のことを知ってもらうために、二人一組で自己紹介を交わす。後続には、一つ前にペアだった人を紹介していく内容だ。
俺はクラスメイトと自己紹介を交わし、ペアになった生徒の情報をまとめて放浪する。別生徒と顔を合わせて元ペアの生徒を紹介する。
芳樹はゲーム感覚と言っていたけど、やってみると地味に面白い。小中学の話を聞かれる点から目を逸らせば興味深いものだ。
相手を取っ替え引っ替えする内に荻原さんと対面した。
「よっ、市ヶ谷さん。他者紹介いい感じにできてる?」
「ああ。五人紹介した」
「へえ、思ったより積極的じゃん。市ヶ谷さんは人見知りするタイプだと踏んでたけど、実は人と繋がりたくて仕方ないタイプ?」
「そこまでじゃないけど、最近は繋がりを広めてみようと思っているんだ」
「おお、そりゃいいことだな。市ヶ谷と話したがってる奴結構いるし、みんな喜ぶよ」
俺は苦々しく口角を上げる。
無意識なんだろうけど、言い方が浅田先生そっくりだ。
「大げさだな。本当にそう思ってくれているなら、俺の友人はもっと増えてると思うんだけど」
「市ヶ谷が中途半端に悪役ムーブかますからだろ。金瀬さんを庇ったのは分かるけど、一度小畑寄りに立っちゃった奴は話しかけにくいんだよ」
「ああ、それなら分かる」
本当は話しかけたいのに、負い目が邪魔をして近付くのはためらわれる。プリン頭だった頃の俺とそっくりだ。磁石の同極を帯びたようなあの感覚は、意思に関係なく足を遠のかせる。
萩原さんがニカッと笑う。
「ま、俺は一抜けさせてもらうけどな。早速だけど紹介し合おうぜ?」
「いいよ。じゃあ俺からいくぞ。小笠原さんについて――」
顔の前に手がかざされた。
「待った待った! せっかくだし俺達自身のこと紹介しようぜ? 俺は市ヶ谷さんのこと知りたいんだよ」
きょとんとする。
数拍置いて、胸の内でぽかぽかしたものが込み上げる。自分の存在を肯定された感覚は嬉しいけど照れくさい。
「分かった。じゃあ俺自身の紹介をするよ」
「よろしく頼むぜ」
最初の相手に語った内容をそのまま告げる。
奈霧への公開告白は事故だったと告げようとして、逡巡した挙句に止めた。奈霧は恥ずかしがっていたけど、満更でもないような雰囲気も醸し出していた。
つまり見栄だ。彼氏として格好付けた。クラスメイトが真実を知ることは決してない。
「俺からは以上だ。何か質問はあるか?」
「んにゃ。演劇で背景は知ってるから特にないな。強いていうなら、演劇のどこまでが本当のことなんだ?」
「内緒だ」
「うわ、それほとんど嘘ってことじゃん。奈霧さんとちゅっちゅしてたってのは本当のことだったのか」
「君思った以上にグイグイ来るな」
「健全な男子高校生なもんで」
てへ、とルームメイトが片目を閉じる。
茶化す空気を感じて、俺は小さく息を突く。
「質問はないってことだな。じゃ次は萩原さんの番だ」
「あーごめんごめん! 一つだけ聞かして、真面目なやつ!」
「真面目なやつだけな」
「ありがと。市ヶ谷さんってさ、カフェテラスで親父と昼食摂ってたよな?」
俺は口元を引き結ぶ。悪いことをしたわけじゃないのにバツが悪くなった。
「別に変な意味で言ったわけじゃない。ただ、部屋で俺との関係を話した後だったろ? どうしても気になっちゃってさ」
別姓になった父親だ。浅田先生の意味深な発言といい、複雑な家庭環境だったのは察するに余りある。萩原さんから見て、俺の行動が知りたがりに映っても不思議はない。
萩谷さんは仲良くなれそうなクラスメイトだ。こんなことで誤解されたくない。正直に話すことが義務と考えて、俺は耳にしたことを洗いざらい言葉にした。
「ごめん、萩原さん」
「何が?」
「行動が迂闊だったからさ」
「ああ、そういうことか」
萩谷さんが苦々しく肩を揺らす。
「実は俺、ほとんど家庭の事情知らねえんだよ」
「そうなのか?」
「ああ。両親が離婚したのは物心つく前なんだ。お袋に聞いても、元親父が俺の兄をやったの一点張りでさ。それじゃぜんっぜん分かんねーっつーのな」
告げるクラスメイトの表情は晴れやかだ。からっとした笑みからは繕いの色がうかがえない。
「それじゃ請希高校に入ったのは、浅田先生に事情を聞くためなのか?」
「そういうこと。でも中々聞く機会ないんだよなー」
萩原さんが頭の後ろで両手を組む。口調の変わらないその態度に、初めてわざとらしさを感じた。
お節介だろうか。
逡巡して、覚悟を決めた。
「同じ校舎に居るんだ。機会が無いってことはないだろう」
萩原さんが目を丸くする。
「ん、何が言いたいの?」
「言おうか迷ったけど、せっかくだし言っておくよ。君は聞くのが怖いだけだ。違うか?」
「違わない」
飾りのような笑みが鳴りを潜めた。
「怖いに決まってんじゃん。殺したって聞かされてきたんだぜ? なのに警察沙汰にはなってない。警察を騙せるだけの知能犯だったら、下手をすれば俺も消されるかもしれない。そう考えたらすんなりと聞けるわけないだろ」
「随分妄想を膨らませたもんだな。もう十一月だぞ? ずっと浅田先生を見てきて何も思わなかったのか?」
「そりゃ思ったことはあるよ。ものぐさだなぁとか、適当だなぁとか、良い印象はないね」
「自身の子を手に掛けるタイプに見えたか?」
「いいや」
「じゃあ何を怖がるんだ? ここまで来ておいて、話をせず卒業ってのは無しだろう」
萩原さんが肩をすくめる。
「他人事だから簡単に言うけどさ、相手は血が繋がってるだけでほとんど他人だぜ? 少しは言う側の気持ちを考えてくれてもいいんじゃねえの?」
「気持ちなら分かるよ。俺も言いたかったことを言えなかったからな」
「それって奈霧さんへの想いのこと言ってんの?」
「ああ」
「いやねぇ。もしかしてのろけ? 嫉妬しちゃうわぁ~~」
萩原さんが体をくねくねさせた。俺はふざける面持ちを真顔で見つめる。
通じないと悟ったらしい。クラスメイトが渋い顔をした。
「俺はきっかけに恵まれただけだ。何かが一つでも違っていたら、きっと誰かに奈霧を取られていた。浅田先生だって、いつまで請希高校にいるか分からないんだ。仮に転勤が決まっても、浅田先生は俺達には教えないだろう。そうなった時、君は後悔せずにいられるのか?」
萩原さんが床に視線を落とす。
萩原さんの両親が離婚したのは物心つく前。父の顔なんてうろ覚えだろう。
高校生になるまでには十年以上を要する。気付くにあたって写真が役立ったとは思えない。俺と浅田先生の会話を気にしていたし、浅田先生が請希高校で教鞭を振るっていたことと、萩原さんが請希高校に進学したことは無関係ではないはず。言葉を交わせないまま卒業すれば間違いなく後悔する。
とはいえデリケートな問題だ。俺が直接介入してこじれてもまずい。後は当事者の決断次第だ。
「話を逸らして悪かった。自己紹介の続きをしよう。次は萩谷さんの番だ」
「あ、ああ」
萩原さんが戸惑いながらも口を開く。彼の自己開示を耳にして、二つほど質問を投げ掛ける。欲しい情報を得て解散した。