第64話 奈霧と料理
驚きの声が響き渡った。リビングに戻ると、狼男と大目玉がリビングを跋扈していた。
盛り上がるリビングを尻目にお茶の準備を進める。あらかじめ電気ケトルで温めておいたお湯を注ぎ、湯気の立つ番茶をセンターテーブルに並べる。
俺はソファに体重を預けて、友人とセンターテーブルを囲む。
「ところで女性陣のコスプレはいつ解禁されんの?」
「んーただ出すだけだと特別感ないよね」
「お預けかよ。さては市ヶ谷さんの前だから気合入れてきたなー?」
「うん! 可愛い私を見てもらいたいもん」
金瀬さんが無邪気な笑みを浮かべる。そんな直接的に言われるとさすがに照れる。目が合った拍子に微笑まれて視線を逃がす。
視線の反対側に、日光を照射されたような圧力を感じた。
「俺は悪くないぞ」
「誰も何も言ってませんけど?」
「奈霧さんも市ヶ谷に可愛いと思われたいってさ」
「尾形さん⁉」
奈霧が声を張り上げた。予想外の一刺しだったのだろう。むっとした雰囲気が決壊し、笑い声がリビングの空気を和ませる。
「集まってハロウィンするのは初めてなんだけど、皆は毎年どんな風に過ごしてるんだ?」
「特別なことはしてなかったよね?」
「ああ。この年だと、よその家行ってトリックオアトリートって訳にもいかないしな」
「さすがに日本じゃ発砲はされないだろうけど、色々と警戒しちまうよなぁ」
「パレードには参加しなかったのか?」
「一回だけ参加したけど、もう行きたくねえや」
「人が多すぎて疲れちゃうからねー。わたしも特別な時じゃないと参加しないかも」
渋谷ハロウィンと言えば、集会参加を理由に上京するなと警告されたのが記憶に新しい。アメリカでは発砲騒ぎ。渋谷では密集リスク。イベントを楽しむのも命掛けだ。
談笑の盛り上がりに反比例して、番茶の残量が減っていく。
金瀬さんが湯飲みを茶托の上に置く。
「ごちそうさまー。番茶なんて久しぶりに飲んだけど香ばしくて美味しいね。一服したし、そろそろ部屋の飾り付けしようよ」
「ハロウィンって飾り付けするのか? 俺何も用意してないんだけど」
「だいじょーぶ。私と奈霧さんが用意してきたから」
「おおーさすが女性陣」
「遊びに関しちゃ手を抜かないよな」
「失敬な、勉学も頑張ってるんだからね」
金瀬さんが袋の口を開ける。
かぼちゃや蝙蝠を模した折り紙に、三角形の折り紙を連ねたガーランド。オレンジに暗い色を組み合わせた色合いは、まさに俺が想像したハロウィンのイメージそのものだ。
「じゃあ私と奈霧さんで部屋を飾るから、男性陣はご飯の準備よろしくね!」
尾形さんと佐田さんが目を丸くする。
「え、俺達がやるの?」
「俺料理できねーけど」
「わたしだってやったことないよ」
金瀬さんグループが顔を見合わせて目をぱちくりさせる。
ハロウィンの変なテンションでゲテモノを作られても面倒だ。俺は腕を上げる。
「俺がやるよ」
「市ヶ谷さん料理できるの?」
「毎日自炊してるからな。特別なのは期待しないでくれ」
「釉くん、私も手伝うよ」
「ありがとう」
奈霧は文化祭一日目で裏方を担当していた。一般客に出したのだから試食はしたはずだ。味音痴ってことはないだろう。
「奈霧さんの手料理食べれるの? よっしゃ」
「他の連中に自慢しよ」
「こら、尾形と佐田のために作るわけじゃないんだよ? 奈霧さんは市ヶ谷さんのために作るんだから!」
「素直なのはナナの美徳だけどさ、そういうことはあまり言わない方がいいぞ? 初々しいカップルが熟れたりんごみたいになっちゃうから」
「そっか。じゃ口つぐんでるね」
俺は苦々しく笑いながらキッチンに向かう。冷蔵庫のドアを開けて、奈霧と中身を吟味する。
「奈霧は何か案あるか?」
「ハロウィンだし、かぼちゃを使った料理にしようよ。カレーライスはどう? ライスと海苔でジャック・オ・ランタン作れるし、野菜を星型に切れば雰囲気が出ると思うの」
「いいなそれ。カレーにしよう」
奈霧と役割を決めて動き出す。
包丁は種類ごとに勝手が違う。慣れない器具の使用リスクを踏まえて、奈霧には米を研いでもらう。
誰かと分担しての料理。請希高校で行われた調理実習の時間を思い出す。普段話さないクラスメイトと連携して料理するのは、中々に新鮮な体験だった。
不思議と、奈霧とはそういった感じがしない。小さい頃に二人で色々してきたからだろうか。シンクロしているような感覚に心地良さすら覚える。
リビングの方に視線を振ると、部屋の壁にカボチャや蝙蝠が貼り付いていた。弧を描くガーランドが三角を垂らし、運動会じみた催しの雰囲気を醸し出す。意図せず口角が緩むのを感じた。
「どうしたの?」
「何が?」
「釉くん笑ってたから、何か面白い物でも見たのかなって」
「楽しいなと思っただけだよ」
他人同然のクラスメイトとじゃない。何度も言葉を交わし、仲を深めた友人や恋人とパーティを楽しむ。
参加者を変えるだけで、ここまで心が安らぐとは思わなかった。面倒が付きまとう料理もゲームのように感じられる。
「そうだね。でも、これからもっと楽しくなるよ」
「ああ、そうだな」
奈霧と笑みを交わす。カレールー特有のスパイシーな香りが漂い、金瀬さん達が部屋を賑わせる。
家族が出来たらこんな感じなのだろうか。ふと湧き上がった思考を振り払って野菜の皮むきに集中した。