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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
4章
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第59話 奈霧の父


「しっぺちゃん可愛かったぁーっ!」


 奈霧が晴れやかに笑む。桜色の間から覗かせる歯の白さが何ともまぶしい。


 伏倉さんとしっぺの尻尾を見送り、俺達は再び通学路を逆行した。もふもふしてからの奈霧はにこにこしっぱなしだ。


「ああ、確かに可愛かったな」


 特に、ぎゅ~~っと言いながらしっぺを抱き締めていた奈霧が。


 正直後悔している。こんな気持ちになるなら、怒られるのを覚悟で写真を撮っておくんだった。

 伏倉さんとは連絡先を交換した。またしっぺの散歩中に遭遇する機会もあるだろう。その時にでも実行するとしよう。


「思いのほかトラウマを克服するの早かったな。まさか抱き締めるところまで行くとは思わなかったよ」

「可愛いは正義ってことだね」


 むふん、と奈霧が得意げに口角を上げる。誇らしげにする理由は分からないけど、機嫌が良さそうだから黙っておこう。


「凄く大胆に撫でてたけど、ずっと犬を撫でたかったのか?」

「うん。登下校の際に尻尾を振ってたり、SNSで見る機会もあったからね。私も撫でてみたいなって思ってたんだ」

「SNSはともかく、実物を見た時は怖くなかったのか?」

「距離があれば大丈夫だったんだよ。さっきもそうだったでしょ?」


 数分前の光景が脳裏をよぎる。

 伏倉さんと話をする時、奈霧は不自然に距離を取っていた。離れてはいるけど安全を確保できる距離じゃない。


「数メートルしか離れてなかったじゃないか。犬なら秒と掛からず詰められる距離だぞ?」

「でも釉くんがいた。もしもの時は守ってくれたでしょ?」


 ね? と奈霧が微笑む。悪戯いたずらっぽい上目遣いが胸の奥をくすぐった。頼られたことの歓喜と、笑顔を引き寄せたい衝動が泉のごとく湧き上がる。

 ああ、今なら数分前の奈霧の気持ちがよく分かる。


「奈霧」


 湧き上がった気持ちに身を任せて腕を伸ばす。


「ひゃっ」

 

 華奢きゃしゃな体がぴくっと跳ねた。甘い芳香と柔らかな感触。腕から伝わる温かみが何ともいとおしい。


「い、いきなりだね」

「ちょっと抱き締めたくなった」

「いいよ。今なら知り合いはいないし、少しだけなら」


 小さな頭が俺の胸に重みを預ける。

 文化祭最終日に口付けを交わしてから、恋人らしい触れ合いは特にしてこなかった。久しぶりに接触で心臓がバクバクしているのに、心は驚くほど平穏だ。


 ずっとこうしていたい。

 そんな思考をクラクションが吹き散らした。互いにぴょんと跳ねて距離を取り、音がした方に視線を向ける。


 タクシーだ。片方のウインカーが一定間隔で光を放ち、黒い車体が道路の隅に停まる。

 後部座席のドアが開いた。すっと突き出た革靴が地面を踏み鳴らす。


 直立したのはスーツ姿の男性。年は三十から四十の間くらいだろうか。中年と言えばひげが口元を黒く染めるイメージがあるけど、姿勢よく立つ男性にそういったものは見られない。清潔感のある雰囲気が、できる男感を醸し出している。


「お父さん」

「え?」

 

 呟いた奈霧に視線を振る。


 靴音が近付いて、俺は改めて背筋を伸ばす。先程までのほわほわした雰囲気は欠片もない。緊迫した空気に締め付けられて、別の意味で左胸の奧が騒々しさを増す。


 俺より高い背丈が立ち止まった。視線を隣にずらして微笑を浮かべる。


「やあ有紀羽。今帰りかい?」

「うん。下校途中だけど、お父さんはどうしてここにいるの? こんな時間にこの道を走っているなんて珍しいね」

「少し早く上がったんだ。今日は外食の予定だろう? 遅れては悪いと思ってね。ところで君は?」

  

 二つの瞳に捉われる。気のせいだろうか、妙にプレッシャーを感じる。

 焦燥に突き動かされて口を開く。


「初めまして、奈霧さんと同じ請希高校に通っています、一年の市ヶ谷です」 


 告げるべき最低限のことは言えた。声は震えなかったし、自己紹介としては限りなく完璧に近いはずだ。


「丁寧にどうも。有紀羽の父のいさおです。自己紹介には含まれてなかったけど、君は有紀羽の友人ってことでいいのかな?」


 変な声が出そうになった。


 ここで友人ですと発するのは簡単だ。俺がすっとぼければ、たぶん奈霧は乗ってくれる。比較的平穏にこの場を切り抜けられるだろう。


 だけど俺個人としては逃げたくない。固唾を呑んで言葉を紡ぐ。


「文化祭前までは友人でした。今は奈霧さんとお付き合いさせていただいております」


 誤魔化すことなく全てを吐いた。

 激高されたらどうしよう。相手は奈霧の父親だし、応戦するのはまずい。身を翻して全力で逃げようか。でもそれはそれで奈霧に格好が付かないし……。

 

「ああ、知っているとも」

「え?」


 頓狂とんきょうな声が口を突いた。

 いさおさんが苦々しく笑む。


「そう可笑しな話じゃないだろう? 私にだって仕事以外の繋がりはある。有紀羽から話も聞いているからね」

「は、はぁ」


 どういうことだ? もしかして俺、試されてたのか? 

 危なかった。友人と誤魔化してたら何を言うつもりだったんだろう。想像して背筋がぞくっとする。

 

 父親って怖い、怖いなぁ。


「市ヶ谷さんは夕食を摂ったかい?」

「いえ、これからです」

「それは丁度いい。有紀羽とファミレスに行く予定なんだが、一緒にどうだい?」

「え、俺がですか?」

「他に誰がいるんだい?」


 反射的に問い返したことを後悔する。この流れで断ろうものなら、俺が奈霧父から逃げた形になる。そんなの印象が悪いし、娘の交際相手として相応しくないと思われても可笑しくない。


 逃げられない。


「君の自宅はここから近いのか?」

「はい。十分と掛かりません」

「それならまたここに集まろう。準備があるだろうし、一時間後でどうかな?」


 どうって、俺はまだ行くとは言っていないし、正直言えば激しく行きたくない。


 でも下手に断って心証を損ねたくない。奈霧と話す時間も確保できる。

 メリットとデメリット。天秤がぐらついて前者に傾いた。


「分かりました。一時間後にここですね」

「いいの?」

「ああ。用事は特にないしな」

「決まりだね。それじゃ私はこれで失礼するよ。有紀羽はどうする? 乗っていくかい?」

「ん~~」

 

 奈霧が俺を一瞥する。俺一人置いて行くことを後ろめたく思っているに違いない。


 俺はこくっと頷く。奈霧が了承の言葉を返して、駆け足でタクシーへと向かう。

 小さくなる背中から視線を外した先で、奈霧父と目が合った。


「急な誘いに乗ってくれてありがとう。では一時間後に迎えに来るよ。高い所に行く予定はないから、身なりは私服で構わない」


 では。言い残して頭一つ高い背丈が後部座席に消える。車道に戻る車体を見送り、俺はほっと息を突いた。


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