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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
3章
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第56話 誓い


 や ら か し た。


 俺がやらかしたことに気付いたのは上演後だった。カーテンコールを済ませて戻るなり、クラスメイトに生温かい視線を向けられた。男子はニヤニヤして、女子は黄色い声を上げた。


 理由を聞いたら芳樹から茶化されて、俺はようやく自分がやらかしたことに気が付いた。


 俺は体育館から逃げた。教室で私服を脱いで制服にそでを通し、自分の荷物をまとめて速やかに教室を後にした。


 人気のない廊下を疾走し、人目を忍んで昇降口に踏み入る。


 ハッとして足を止めた。


「あ、実行委員の仕事」


 忘れてた。頭からサーッと温かみが引く。


 文化祭実行委員には後始末がある。校舎内のごみを拾ったり、出し物のセットを片付けたりと人手がいる。


 今頃他の実行委員は作業に当たっているはずだ。文実仲間に背を向けて帰るか、戻って赤っぱじに耐えながら作業に取りかかるか。二つの選択肢が心の天秤をグラグラさせる。


「やっぱり来たね」


 口から心臓が飛び出すかと思った。バッと振り向いた先にはたおやかな立ち姿がある。


 喉が渇く。


 何か話さなきゃと思うのに思考がグルグルしてまとまらない。


 公開告白は聞かれてしまっただろうか。直接聞いてなくとも友人経由で耳にした可能性がある。


 痛いところを突かれる前に言うか? 俺は羽桐はぎりと叫ぶつもりだった、間違えただけなんだと。


「帰るの?」


 問われて天秤が傾いた。俺は観念して肩を落とす。


「戻るよ、文実の作業があるし」


 奈霧も実行委員だ。こんな所にいる辺り、俺を探す役割でも担わされたに違いない。完全にサボって心証を損ねるよりはマシか。


「手伝いはしなくていいってさ」


 思わず目をしばたかせる。


 あまりにも都合のいい言葉だ。何か裏があるんじゃないかと勘繰ってしまう。


「誰がそんなこと言ったんだ?」

「会長だよ。菅田先輩が許可を取ってくれたの。エンディングセレモニーまでは自由に動いていいみたい。その、積もる話もあるだろうからって」


 奈霧が視線を逸らす。


 一難去いちなんさってまた一難いちなんだ。早速自分がしたことに向き合わざるを得なくなった。


「釉くん、少し歩こうよ」


 奈霧が背を向けて廊下に踏み出す。


 逃げ出すわけにもいかない。俺はしぶしぶ後に続く。


「壇上での格闘戦すごかったね。釉くんがあんなに動けるなんて知らなかったよ」

「中学の頃に空手をやってたからな」


 佐郷の身柄は警備員を介して警察に引き渡される。じきにパトカーが駆け付けるだろう。


 演劇を観た観客は、佐郷の介入をパフォーマンスか何かだと勘違いしていた。警察の人が来たらギョッとするかもしれない。


「中学の頃、ね」

「意味有り気な言い方だな」

「うん。もしかしてなんだけどさ、空手って私が逆上した時の備えだったりする?」

「それは……」


 言い訳が思い付かずに言い淀む。


 奈霧の予想は当たっている。入学当初は奈霧を復讐の対象と定めていたし、自棄やけになって飛びかかって来たら空手で沈めるつもりだった。


 奈霧に拳を叩き込めたかどうかはさておき、そういうプランを立てていたのは事実だ。

 

 小さな笑い声が廊下の静寂をかき乱した。


「ごめん、ちょっと意地悪言った。でもその備えでストーカーを撃退できたと考えると、釉くんに誤解されたのも無駄じゃなかったね」

「そう言ってもらえると助かるよ」

 

 苦笑いするしかない。


 状況が違えば、暴漢を沈めた一撃を受けるのは奈霧だった。誤解されていたことを知って恐怖を覚えなかったわけがない。展望台で見た怯えの表情は今も鮮明に思い出せる。


「私ね、釉くんが庇ってくれた時に小学生の頃を思い出したの。覚えてる? 私が犬に吠えられて動けなくなった時、釉くんがそっと手を引いてくれたよね。ストーカーの前に立った背中があの頃の釉くんに重なったんだ」

「だからあの時俺の名前を呼んだのか」

 

 奈霧が振り向いて目を丸くする。


「聞こえてたの?」

「ああ、すぐ近くに立ってたからな」

「それなら勇気を出して聞けば良かったかな?」

「どうだろう。水族館で昔話を聞かされたから口が軽くなったわけだし、廊下で問われてもすっ呆けて終わったと思う」

「そっか。じゃあ水族館に行って正解だったんだね」

「クラゲも見れたしな」


 踊り場を経て新たな段差に足をかける。


 窓から差し込むオレンジの光が温かい。まるで俺たちを労っているみたいだ。


「ごめんな、あの時は逃げ出して」

「いいよ、終わったことだし。でも待ち合わせをすっぽかされた時はさすがにこたえたかな」

「待ち合わせ?」

「ほら、図書館とファミレスだよ。加藤さんがセッティングしてくれたでしょ?」

「あーいや、あれはちゃんと」


 時間前に来ていた。そう告げようとして口をつぐむ。


 過ちを洗いざらい吐き出しても得することはない。先輩に教えてもらったことだ。知らぬが仏、知るが煩悩。この世には優しい嘘というものがある。


「もしかして来てたの?」

「……はい、テーブルの下に隠れてました」


 罪悪感に負けて白状した。先輩の教えを、こんなよこしまなものでけがすことははばかられた。


「テーブルの下って、何でそんな所に?」

「奈霧が見えたから隠れなきゃと思ったんだ。隙を見て脱出しようと思ったけどそのテーブルに奈霧が来て、そのままと言いますか」


 奈霧が振り向いて足を止めた。栗色の瞳がすぼめられて、透き通るような白い頬にほのかな茜色が差す。


「……えっち」


 ぎゅわっ! と噴き上がるものがあった。


「ち、違う! よこしまな考えがあってテーブルの下に隠れたわけじゃない! それは信じてくれ!」

「そこまで疑ってるわけじゃないけど……見たの?」

「見てない。天地神明てんちしんめいに誓う」

「仰々《ぎょうぎょう》しい言葉を使うところが怪しいなぁ」

「本当に見てないんだって!」

 

 それは事実だ。俺は自分に打ち勝った。


 形のいい太ももは見たけど、それだって凝視したわけじゃない。奈霧の懸念は事実無根だ。


「ま、そういうことにしてあげましょうか」


 実際そういうことなんだけどな。


 口を突きかけたその言葉を呑み込んで廊下の床に靴裏を付ける。


 奈霧が足を止めた。俺と並んだのを機に再び階段に足をかける。


 今の話でのぞきを警戒されたのだろうか。その可能性が脳裏をよぎってお風呂でのぼせたように頬が火照る。


 仕切り直しの意図で咳払いした。


「どこまで行くんだ? できれば教室には戻りたくないんだけど」

「恥ずかしいんでしょ? 分かるよ、私もすっごく居辛いづらいもの」


 声色は嫌味成分たっぷりだった。


 体育館で公開告白した俺は言わずもがな、奈霧も大衆の面前で「俺の女」呼ばわりされた身だ。


 元々俺達の関係は注目されていたのに、今回の件で周囲がさらに色めき立った。おめおめと教室にも戻れない。


「俺は頑張ったと思うんだ」

「そうだね、すごく頑張ったと思うよ。最後は明後日あさっての方角に全力ダッシュしたけど」


 その物言いにむっとした。抑えきれなくなったもやもやが口を突く。


「それを言ったら奈霧だって努力の方向性を間違えたじゃないか。芳樹に仲裁ちゅうさいを頼まずに直接俺のクラスまで来ればよかったんだ」

「よく言うね。校舎で私を見るたびに逃げてたくせに」

「合わせる顔が無かったんだ。いじめられた経験も照らし合わせて、視界に入らないのがベストだと思ってたんだよ」

「それは釉くんの考えでしょう? 結局は私と向き合う勇気が無かっただけじゃない」

「加害者の分際ぶんざいでそんなことできるわけないだろう⁉」

「難しくてもやるのが加害者の責任でしょう⁉」


 互いに言葉をぶつけ合って廊下を賑わせる。


 口喧嘩を交わす内に屋上までたどり着いた。ひんやりとした外気が気持ちいい。そよ風に撫でられて火照った頭から熱が抜ける。

 

 屋上はがらんとしていた。天文部の写真がボードに貼り付けられていたはずだけど、今はボードごと撤去されて跡形もない。


 二人でがらんとした空間を突き進む。


「私達、変わらないね」

「そうだな」


 小学生の頃もどうでもいいことで口論した気がする。佐郷の暗躍がなくても、いつか大喧嘩して疎遠になった可能性は否定できない。


「関係が変わっても、ずっとこのままかもしれないね」

「そうかもな」

「私達、上手うまくやれるかな」

「できるさ。悪意に引き裂かれても、俺達はこうしてめぐえたんだから」


 和解した現在でも口論は絶えない。何かがきっかけで決裂することもあり得る。


 それでも俺達は肩を並べて立っている。けじめを付けて関係をっても、心の奥底で共に歩む未来を望み願ってきたからだ。


 その気持ちを互いに抱き続ける間は、何度ぶつかり合ってもまた歩み寄れる。俺はそう信じている。


 幼馴染を視界の中央に据える。


 空気の変化を感じ取ったのか、奈霧も体の向きを変える。


「壇上では勢いで告白しちゃったけど、あの気持ちに嘘偽りはない」

「自分で言うのも何だけど、私結構面倒な女だよ?」

「知ってる」

「きっと喧嘩もするよ。ちょっとしたことでねたり、ふとした弾みで言っちゃいけないことを言うかもしれない。そんな私でも、いいの?」


 力強くうなずいた。


「それでも奈霧がいい。奈霧じゃなきゃ、駄目なんだ」


 初恋が悲惨な形で終わっても眼前の幼馴染は曲がらなかった。過去にとらわれずに今を生きて、未知を恐れず服飾の世界に手を伸ばした。


 素直に格好良い。尊敬できる。


 同時に悔しいと思うからこそ、俺も負けたくないと奮起ふんきできる。


 復讐に囚われて時間を無駄にしても、そのことで不貞腐ふてくされることなく前を向ける。そんな相手は奈霧だけだ。他にはいない。

 

「奈霧こそいいのか? 俺はわるだぞ。変な異名がくっ付いてるし、最近一部の女子を敵に回したばかりだ。変なトラブルに巻き込まれるかもしれない」

「いいよ。釉くんが誤解されやすいことは知ってるもの。そういうことをわざわざ言ってくれる生真面目きまじめさも、不器用だけど優しいところも大好きだから」

 

 奈霧がふっと微笑む。


 俺は右足を前に出した。そっと腕を伸ばして愛しい笑顔を抱き寄せる。


「私のこと、離さないでね」

「離さないよ。もう、二度と」


 互いにくちびるを突き出して口付けを交わす。


 夕焼けの下、高所にて。


 シチュエーションの類似がトリガーになって、渋谷スクランブル交差点を見下ろした時のことが脳裏をよぎる。


 当時も、あの瞬間こそが人生において最上の時だと疑わなかった。今も同じことを思うけど、これから先も最幸さいこうな思い出が更新されていくのだろう。


 だとしても腕の中にある温かさを、くちびるから伝わる瑞々《みずみず》しい感触を。


 そして泉のごとくわき上がるこの幸福感を、俺は一生忘れない。

読んでくださりありがとうございました。


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