第49話 文化祭
文化祭当日がやってきた。
俺は毎朝のルーティンをこなして身支度を整える。鏡の前に立ち、髪型や制服の乱れを確認してスリッパで廊下を踏み鳴らす。玄関のドアを開けて外気に身を晒し、風に吹かれながら通学路に靴跡を刻む。
制服の群れに合流する。
すでに祭の熱気が漏れ出していた。視界に映る表情はどれも明るく、会話は文化祭と色恋の話で持ち切りだ。文化祭マジックとやらは実在するのかもしれない。
そわそわ気分を抱えて校門をくぐり、昇降口を介して自分の教室に足を踏み入れる。
演劇に必要な道具はすでに完成している。奈霧含めた被服部が頑張ってくれたおかげだ。机や椅子は隅に追いやられ、演劇に使う道具が我こそ主役とばかりに鎮座している。クラスメイトは靴に体重を掛けて朝礼を待っていた。
向かい風じみた視線に耐えてスマホをいじること十分。教室に踏み入った担任が教壇の上に立つ。
朝礼は軽めに行われた。室内が騒がしさを取り戻してがやがやする。
談笑で満たされる室内に首が突っ込まれる。移動の合図だ。担任教師が号令を掛け、俺達生徒は廊下に整列する。
講堂へと足を進める。全校生徒が集まったのを機に、広々とした空間を照らす明かりが絞られる。
光が爆ぜた。壇上にのみ降り注ぐ照明はスポットライトのようだ。明るい床を整然と踏み鳴らし、生徒会長の上級生が壇の真ん中に立つ。マイクを片手に、真面目な第一印象を脱ぎ去って子供のごとくスローガンを宣言した。小学生がノリと勢いと、もう何か勢いだけで考えたような標語を皮切りに、講堂が熱狂に包まれる。
生徒会長と入れ違いに、ダンス部の男女が躍り出る。ダンスミュージックとともに躍動し、ド派手な黄色のTシャツと部活動の成果をこれでもかと見せつける。
観客は腕を掲げ、喉を震わせ、体全体で昂りを表現する。感嘆や応援の声が賑やかさを増長させる。
これが文化祭の熱。初めて目の当たりにするけど凄い熱量だ。普段静かにと諭す教師は口を挟まない。
抑える者無きエネルギーが、どんどんその熱量を増していく。迂闊に近付くと火傷しそうで恐怖すら覚える。
佇んではいられない。音響室からの連絡を経てダンスチームが引っ込み、先程の三年生が戻る。
生徒会長ではなく文実委員長としての登壇。肩書きだけが変わった自分をネタにするしたたかさが披露され、危なげなく文化祭が幕開けた。
◇
文化祭は土日の二日間に分けて行われる。
小学校でのフェスティバルは記憶にない。実質人生初めての文化祭だ。鼻歌を歌いながら出し物を巡りたいけど、俺は実行委員の身。課された仕事をこなす義務がある。一般生徒ほど自由な時間は得られない。
学校の敷地内に、私服をまとった老若男女が付け足される。非日常性を帯びた校舎は夢宝溢れるダンジョンのように見える一方で、自分達だけの秘密基地に踏み入られたような寂しさもある。
俺は人混みを避けて廊下を突き進む。
熱に当てられているのは生徒だけじゃない。それでも若さゆえのエネルギーは格別だ。チラシ配り、プラカードをかざした宣伝。お化けのコスプレをした不審者もどきなど、呼び込み合戦があっちこっちで行われる。
午前中に課せられた役目は生徒の監視。各教室で用意された展示物や飲食物を吟味し、安全面や衛生面をクリアしているか確認する。申請内容から逸脱していたら是正する。悪名高い俺には相応しい仕事だ。
「おーい!」
聞き覚えのある声を聞いて振り向く。芳樹がプラカードを掲げて左右に往復させる。
「何でプラカードを持ち歩いているんだ? 演劇は午後からだろう」
「何言ってんだ、宣伝は事前にやっとかなきゃ意味ないだろ? 午後から開演すんだから、午前の内にできるだけ広めておかねえと」
言いたいことは分かるけど、主演は俺だ。題材は俺と奈霧の思い出。観客が少ないに越したことはないし、むしろ0人が好ましいまである。クラスメイトには悪いけど宣伝は控えめにしてほしい。それが言えてたら、そもそも事態はこうなっていないんだけど。
「本当にここまで来たんだな」
「何だよ突然」
「いや、俺の意見は結局汲んでもらえなかったなって」
「そんなに演劇やりたくねえの? あんなに一生懸命練習してたのに?」
「いや、ここまで来たからには全力で臨むつもりだよ。でも民主主義の限界を見たというかさ、複雑な気分なんだ」
「一学校の文化祭ごときでなーに言ってんだお前」
芳樹が呆れ混じりに目を細める。
俺はむっとして言葉を続ける。
「見方を変えれば、学校は小さな社会だろう? そもそも文化祭自体、企画の進め方や他者との連携を学ぶためのイベントじゃないか」
「難しく考えすぎじゃね? 学校でやることの全てが社会に出た時のためにあるとか、俺からすりゃ息苦しくて仕方ねえって」
「学校は学ぶための場所だろう? 生徒を遊ばせるだけのイベントを、学校が設けるわけないじゃないか」
「だとしても祭りだぜ? 何も考えずにパーッと楽しんだ方が楽しいに決まってんだろ」
「芳樹は焦らないのか? その間に研鑽する人がいたら、どんどん差が開いていくんだぞ?」
「お前何でそんなに生き急いでんの? 最近簿記の勉強始めたって聞いたけど、あの頃からずっとそんな小難しいこと考えてたのか?」
「そんなに驚くことじゃないだろう? 俺は君達と違って、小学校から高校までの時間を失ったんだから」
俺が心の傷を癒す間にも、奈霧や芳樹は自身のやりたいことや勉学に励んでいたはずだ。俺が追い付くには、同級生が遊ぶ間に研鑽を積むしかない。
芳樹が頭の後ろをかく。
「あーえっとよ、取り敢えず市ヶ谷が言いたいことは分かった。でもそこまで焦ることか? お前だって、俺達にないものを色々と積み重ねてんじゃん」
「俺が?」
「そ。俺はともかく、毎日長時間勉強してる奴はそれなりにいると思うんだよ。この高校を志望して入学試験に臨んだ奴も大勢いた。お前はそいつらを蹴落として請希高校に受かったし、この前のテストじゃ学年で二番目に高い点数を取った。おまけに奈霧さんといちゃいちゃした思い出があるとか、俺からすりゃ何が不満なんだって話だ……何かムカついてきた。くらえっ!」
プラカードが振り落ちる。
俺はとっさに身をかがめ、白羽取りの要領でキャッチした。
「危ないなっ⁉ これ宣伝用のプラカードだろう! 壊れたらどうするんだ⁉」
「うるせえ! お前ばっかしずるいんだよ少しは痛い目見ろっての!」
「何の話だ⁉ そもそもいちゃいちゃしてないって何度言えば――」
「あの、すみません」
俺はプラカードを握ったまま振り向く。
二人組の少女が立っていた。年は近そうだけど、私服をまとっている辺り客だろう。
俺は表情を繕って向き直る。
「ていっ」
プラカードで頭を叩かれた。俺はカウンターとして腕を振り、芳樹の脇腹に裏拳を叩き込む。
「あ、あの……」
「大丈夫ですよ。何か困ったことでもありましたか?」
「はい。この学校に愛故の人がいるって聞いたんですけど、どこにいるか知りませんか?」
隣でプッ! と噴き出し笑いが聞こえた。
俺は気にせず笑顔に努める。
「ああ、愛遊さんですね。すみません、今日は風邪で欠席してるんですよ」
「あれ、愛故って名字だったんですか?」
「はい。愛遊絵仁って名前の女子です」
練習してきた笑顔でつらつらと嘘を並べた。
俺の異名は生徒のSNSから社会に広まっている。話題の人物を一目見ようとする物好きが、校舎に足を運ぶ可能性は考慮していた。
見世物にされるなんて冗談じゃない。ここまで足を運んでもらって悪いけど、ここは盛大に勘違いをさせて帰ってもらおう。
芳樹が限界とばかりに吹き出した。
「誰だよ愛遊絵仁って! くはははははっ!」
周りを気にしない大爆笑。横目を振ると、芳樹が腹を抱えて涙すら湛えている。
俺はもう一度裏拳をお見舞いして友人を黙らせ、適当に応対して二人の背中を見送る。
「あー面白かった」
芳樹が指で笑い涙を拭った。
「他人事だと思って。少しは自重しろ」
「悪い悪い。とにかくよ、祭は祭で精一杯楽しめって。お前は遅れてねえし、遊ぶのも一種のマネジメントだぜ? 息抜きも今の内に練習しておけよ」
「もういい、分かった。楽しめばいいんだろう?」
「そういうこった」
芳樹が満足げに頷く。
俺は負けた気分になって足を前に出す。
「ちょっと気になったんだけどさ」
「何だ?」
「愛遊絵仁さんって可愛い?」
俺は足を止める。
腕を鞭のごとく振り上げ、一歩前に出た背中を力一杯叩いた。