第47話 告白
教室から逃げた足で中庭の歩行スペースに踏み込む。
「ごめんね市ヶ谷さん。面倒なことに巻き込んじゃって」
手を離して振り返る。
金瀬さんが柄にもなく暗い表情でうつむいていた。
「金瀬さんが気にする必要はないよ」
「でも、せっかく悪評が薄まって来たのに! あれじゃ市ヶ谷さんが悪者にされちゃうよ!」
自覚はある。小畑さんの友人から向けられた視線が物語っていた。
女子のネットワークは情報伝達が早い。明日登校する頃には、女子の間で俺の悪口が広まっていることだろう。
金瀬さんが顔を上げる。
「わたし、開示請求するよ。市ヶ谷さんを悪者にはしないから」
「金瀬さん、お願いがあるんだ」
「なに? わたしにできることなら何でも言って」
「開示請求するのはやめてほしい」
「え」
金瀬さんが呆ける。
数秒して、我に返ったように声を発した。
「な、何で?」
「金瀬さん達を対象にした風評被害はじきに収まるはずだ。俺はまだ怖がられてる。佐郷の件で金瀬さん達を叩けば俺を敵に回すことになるんだ。彼らにその度胸はないよ」
「そうじゃないよ! このままだと市ヶ谷さんが同級生から嫌われちゃうよ! 奈霧さんと仲直りしたばかりなんでしょ? 今が大事な時期じゃん!」
「それを覚悟した上でやったんだよ。他人を軽んじてきたツケが来ただけだ」
中傷する書き込みをしたのは複数人だけど、発端になった書き込みは特定した。そのIDが記したコメントには、俺と小畑さんしか知らないはずの内容が含まれていた。開示請求なんてするまでもない。
きっと小畑さんは、俺の髪が金色の時から想いを抱いていたんだ。
当時の俺は筋違いな復讐に囚われていた。接する人を不幸にすると信じて、人を突き離すスタンスを崩さなかった。どれだけ望んでも、小畑さんには俺と接点を持つ機会がなかった。
俺が髪を黒くしてからは、話しかける人が急激に増えた。奈霧はもちろん、金瀬さんみたいな可愛い人も接触するようになった。
小畑さんは焦ったのだろう。その焦燥が限界を超えて、彼女を過激な接近やアプローチに走らせた。だから今回の件は元を辿れば俺のせいだ。嫌われるべきは、俺の方だ。
「市ヶ谷さんは優しいね」
いつの間にか、俺は地面と向き合っていた。
視線を上げた先で微笑と目が合う。
「やめてくれ、俺は優しくなんてない」
「優しいよ。林間学校の時も男児を説得してたじゃん。今にも泣き出しそうな声を絞り出して、胸の内の後悔を曝け出して必死に訴えかけてたでしょ?」
思わず目を見張った。
「見てたのか?」
「うん」
笑みをたずさえての肯定。当時の無様な説得を思い出して頬が熱を帯びる。
「ごめんね。やっぱり気になって後を付けちゃった」
「ひどいな。人の無様なところを見て笑っていたなんて、君はそういう人だったんだな」
「ひどい誤解だよ⁉ わたしは笑わなかったし、市ヶ谷さんのこと格好良いなぁって思ったもん! 他人のためにあそこまでできる人はそういないよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、誤解だよ。あの時も俺は自分のことしか考えてなかった。過ちを無駄にしないために男児を利用しただけだ」
金瀬さんが頬を膨らませた。
俺は自分を下げたのに、どうして金瀬さんがむくれるんだろう。
「じゃあさ、市ヶ谷さんは自慢話をしたことある?」
「小学生の頃なら」
「奈霧さんに対して話盛ったことあるでしょ?」
「多少はな」
何でそこで奈霧が出てくるんだよと思ったけど、話の腰を折らないためにその言葉を呑み込んだ。
金瀬さんが満足げに口角を上げる。
「それが普通だと思うの。わたしだってそうだもん。聞いてる人に驚いてもらいたい、喜んでもらいたい、自分を良く見せたい。少なからずみんなそう思ってるよ。でも市ヶ谷さんはそうしなかった。失敗をこれでもかと吐き出して、あの男の子が失敗しないように導こうとしてた。普通は話を盛っちゃうよ、もう二度と関わらない相手なんだもん。本当にあの子のことを考えてなかったらできないし、それができた市ヶ谷さんは凄いよ」
俺はバツが悪くなって視線を逃がす。
ここまで誰かに褒められた経験はない。それが金瀬さんみたいな女子ならなおさらだ。顔が別の意味で熱くなるのを止められない。
「あ、市ヶ谷さん照れてる! かわいーっ!」
「もう勘弁してくれ」
顔も逸らす。
頬を挟まれた。やわらかな手に顔の向きを矯正される。
「あとちょっとだけ付き合って。これで最後だから」
「最後?」
問いかけて呼吸を忘れた。
正面には、さっき廊下で見た時に匹敵する真摯な顔があった。
「市ヶ谷さんは否定するけど、やっぱりわたしは、市ヶ谷さんは優しい人だと思ってる。不器用なくらい真面目で、誰かのために泥を被れる。そんなあなたが、わたしは好きです」
息を呑んだ。
視界に映る白い頬が、少しずつ茜色に染め上げられる。
「その好きは、恋愛的な意味と捉えてもいいのか?」
「うん」
スカートの近くで指がぎゅっと丸められる。
俺はまぶたを閉じる。泉のごとく湧き上がる感情を噛み締めて、目と口を開く。
「ごめん、金瀬さんの気持ちには応えられない」
桜色のくちびるが引き結ばれる。柳眉がハの字を描き、視線が足元に落ちる。
掛ける言葉を探す内に、金瀬さんが目を閉じた。すーっと空気を吸い込み、顔を上げて笑みを浮かべる。
「あーあ、振られちゃった。やっぱり奈霧さんには敵わないか」
「奈霧は関係ないだろう」
「あるよ。だって好きなんでしょ? 見てれば分かるもん。奈霧さんを前にすると明らかに表情が変わるし」
「そんなこと、ないだろ」
口調がたどたどしくなった。羞恥で耳たぶがぎゅわっと火照る。
金瀬さんがふっと息を漏らす。
「ほんとに可愛いね市ヶ谷さん。これだけ分かりやすいのに、わたしが告白してもあんまり驚かなかったよね。もしかして気付いてた?」
「いいや、気付いてなかった。ちょっと色々あって、自覚的であるべきだと自戒していただけだよ」
俺がどれだけ自分をしょうもない奴だと思っていても、そんな俺を好いてくれた人がいた。自分を貶めることは、そういう人達の見る目を貶すことに等しい。必要以上には自分を卑下しない。そう誓って自分を戒めている。
金瀬さんが眉根を寄せる。
「自覚的って、まるでモテる男の発言って感じだね。むかつくーっ」
「悪いな。告白してくれたのに、こんな男で」
「いいよ。そんな男の子を好きになっちゃったんだもん、後悔はしてないよ」
金瀬さんが微笑む。あまりにも潔い引き下がりを見て、かつて覚えた衝動が湧き上がる。まずいと思う前に言葉が口を突いた。
「どうして告白しようと思ったんだ? さっきの口ぶりからすると、俺に振られるって分かっていたんだろう?」
「うん。でも、何もしなかったらどのみち取られちゃうもん。だったらだめ元で動くしかないじゃん。しいて言うなら自己満足? 諦めるために、やれるだけのことはやったって事実が欲しかったんだ」
「……そうか」
ようやく合点がいった。スーパーの前で奈霧と尾形さんを見た時、俺は胸が締め付けられたような錯覚を受けた。
あれは後悔だ。自信がないことを言い訳にしていたから、尾形さんに先を越された。下手をすれば、二人で下校することも叶わなくなるところだった。その後悔を経験しても、行動するかどうかは別の問題だ。実際に動く場面になれば、俺は怖気づく自信がある。
目の前の少女はそれをやってのけた。金瀬さんだけじゃない。早乙女さんや尾形さんも、何なら年下の男女すら世界のどこかで自らの想いを告げている。
凄い度胸だ、凄い勇気だ。小学生だった頃の俺は奈霧に逃げるなと説いたけど、今ならどれだけ残酷なことを口走ったのか理解できる。
「皆は凄いな」
行動に踏み切ったその強さが羨ましい。足踏みで消えた数年があれば、俺も同じ境地に立てていただろうか。
追い付きたい。俺も金瀬さん達のように、自分で未来を切り拓ける意志の強さが欲しい。
今日を機に変わろう。もう二度と後悔に押し漬されないために、臆病な自分と決別しよう。
まずはその一歩。奈霧と一緒に文化祭を回ろう。出し物を巡って、美味しい物を食べて、演劇の成功を以って雰囲気を盛り上げよう。そしてムードが最高潮に達したその時、奈霧に告白するんだ。
「ありがとう金瀬さん。俺も決めたよ」
「告白するんだね」
「ああ」
「そっか。振られたら言ってね? 私が拾ってあげるから」
「そうならないように頑張るよ」
金瀬さんと苦々しく笑みを交わし、歩行スペースから廊下に上がる。放課後はまだ終わらない。その足で会議室へと歩を進める。