第44話 いつ告白するの?
時刻は放課後。文化祭に向けて劇の練習が始まった。
俺は原案を提供した。それ以上演劇には関わらなくて済む――はずだった。
「そう! それでいいの! 今の動き忘れないで!」
女子がビシッと人差し指を伸ばす。指の先端を向けられたのはこの俺。何故か壇上に脚を立て、汗に額を撫でられている。
演劇部の部員をリーダーに据えた演技指導。クラスメイトが頑張る中、一人先に帰る罪悪感に縛られた。女子に声を掛けられたのはそんな時だ。話の流れで演劇の練習を見学することになり、自分自身の役を押し付けられて今に至る。
もう原案を提供したからお役御免だ、なんて言える空気じゃない。クラスメイトのやる気を侮っていた。俺一人サボりたいなんて口にしたら、村八分ならぬ室八分にされそうだ。
嫌々自分を演じたのも最初だけ。今は何だかんだ楽しめている。振り付けはともかく、発声の方は何度か褒められた。短いながらも放送部として活動した経験が活きている。
休憩の指示が出た。俺は教室の壁に背中を付けて一息突く。教室内を一瞥すると、クラスTシャツを付けたクラスメイトが道具の制作に勤しんでいる。
文化祭が終われば、演劇の衣装を着用する機会はない。お役御免になれば消えるだけの在り方は花火に似ている一方で、クラスTシャツは思い出の品として残る。
それらをまとった人影が、俺と奈霧の思い出を再現するために動いている。嬉しいような、こそばゆいような、むずむずして教室から逃げ出したい衝動に駆られる。火照った体を覚ましたいと言えば、校舎の外に出ても許されるだろうか。
「喉乾いたねー」
「誰か飲み物買ってきてー」
チャンスがやってきた。俺は腕を上げて名乗りを上げる。丁度いい、外の澄んだ空気を吸ってリフレッシュしよう。お願いする声をBGMにして廊下へと踏み出す。
「あ、待って市ヶ谷さん、私も行くー!」
げっ、と飛び出しかけた声を寸でのところでこらえた。小畑さんだ。また聞きたくもない自分語りと愚痴を聞かせるつもりか。
そうはさせん、そうはさせんぞ。
「いや、俺一人で十分だ、じゃあ行ってくる!」
急ぎ足で廊下に踏み出す。
「あ、ちょっと!」
「領収書忘れないでねー!」
声を背中で受けながら廊下を疾走する。急な飛び出しを警戒しつつ階段を駆け下り、昇降口のロッカーに上履きを投げ込んで下履きに足を挿す。振り向いて人影がないことを確認し、ほっと息を突いて昇降口を出る。
ベンチに腰を下ろして小休憩。中庭で見つかった時のような愚は犯さない。今座したベンチは校舎の陰になる。窓ガラス越しに発見するのは困難な場所だ。
「あ、サボりだ! いけないんだー!」
「っ⁉」
背筋が伸びた。息を呑んで振り返る。
「いや違くて、これは劇の練習で疲れてただけで、まず小休憩してから買い出しに……」
言葉を連ねる内に気付いた。意地悪な笑みを向ける少女はクラスメイトじゃない。ついでに言うなら友人ですらない。
「糸崎、さん?」
間違いない。渋谷で俺に臆さず語り掛けてきた女子だ。
「覚えててくれたんだー、意外」
「どうして? こう言っちゃなんだけど、記憶力には自信があるぞ?」
俺が『愛故に』と知っていて物怖じしなかった相手だ。そう簡単に忘れられるわけがない。奈霧と遭遇した出来事も相まって、今も強く記憶に刻まれている。
「でも麻里のことは忘れたんでしょ?」
糸崎さんが瞳をすぼめて口端を吊り上げる。
俺はバツが悪くなって目を逸らす。
「誰から聞いたんだ?」
「麻里以外にいると思う?」
「いいや」
告白された時は俺と早乙女さんの二人だけだったし、芳樹にすら喋っていない。糸崎さんが知っているなら、それは麻里さんの口から広められたとしか思えない。
「私言ったよね? 奈霧さんの代わりにしてたらどうしようかと思ったって」
「代わりにしたわけじゃないけど、多少不義理を働いたのは認めるよ。だから、ごめん」
俺は糸崎さんの目を見据える。やましいことは何もしていない自負がある。視線越しに誠意を伝えようと試みる。
糸崎さんの表情が崩れた。ぷっと吹き出したのを皮切りにして、同級生がお腹を抱えて破顔する。
「嘘嘘! ごめん、実はあんまり怒ってないんだ。事情は麻里から聞いてるから」
「理由って、どこまで知ってるんだ?」
風間さんの件は俺達しか知らない。下手に広められると、俺の悪評をもってしても抑えが効かなくなる。自棄になった人の犯行を未然に防ぐのは難しい。抑えるには別のアプローチを考えなければならなくなる。
「麻里がストーカーに付きまとわれてたから、市ヶ谷さんが恋人の振りをして諦めさせたんだよね」
俺は内心ほっと胸を撫で下ろす。
風間さんの『か』の字もない。俺達に弱味を知られているとはいえ、いまだ彼には失う物が山程ある。この程度の話なら自暴自棄にはならないはずだ。
「それで、市ヶ谷さんはどうしてここに居るの? 買い出し?」
「ああ」
「だったら一緒に行かない?」
どうしよう、行きたくない。
糸崎さんが苦々しく身を震わせる。
「そんな嫌そうな顔しないでよ。大丈夫だって、もう意地悪しないから」
「言質取ったからな」
俺は渋々ベンチから腰を上げる。糸崎さんと並んで校門をくぐり、スーパーへの道のりを進む。
「ところでさ」
「ん?」
「奈霧さんには、いつ告白するの?」
何の脈絡もなくぶっ飛んだ発言を投下された。