第41話 魚フライの恨み
食べる。食べる、食べる。
白いご飯と白身魚のフライ。タルタルソースを掛けて無敵になった揚げ物の隣には刻まれたキャベツ。食むと小気味いい音を立てるそれを口に運ぶ。
会話に割く時間はない。俺は食べるのに忙しいんだ。
「なあ、まだ不貞腐れてんのか?」
俺は箸を止めて横目を振る。食堂の賑わいを背景に、友人が呆れ混じりの視線を向ける。
「俺はいつも通りだ」
「嘘付け。さっきから俺の言葉を聞き流してばっかりじゃねえか」
「聞いてるよ。出し物の準備はしなくていいんだろう?」
「原案提供したらな。さすがにあの放送だけじゃ脚本作れねえよ」
「じゃあ脚本担当が聞きにくればいいじゃないか」
「そいつが怖がってるから俺が仲裁してんじゃん」
劇の題材は俺の人生に等しい。俺以外に内容を知る者はいない。昼休みの放送で経緯の一部を暴露したけど、音声に含まれていた内容は決して多くない。
周囲が知っているのは、佐郷と壬生によって俺と奈霧の仲が引き裂かれたこと。俺が二人に復讐を成し遂げたこと。奈霧とほんの少しだけドラマチックに仲直りしたこと。そして俺と奈霧が幼少期にいちゃいちゃしていたこと。断じていちゃいちゃはしてなかったけど、周りは頑なに俺の主張を突っぱねる。より自分達好みの脚本を仕上げるべく、目をギラギラとさせている。
一方で、脚本担当の生徒が直接聞きに来たことはない。俺と目が合うとブンッと顔を逸らす始末だ。俺のことを猛獣か何かと勘違いしているんじゃないだろうか。人の思い出を劇にするくせに失礼な話だ。
「それによ、俺にだって考えがあっての提案だったんだぜ?」
「考えって?」
「お前、まだ一部に怖がられてるだろ? あいつらの悪行を暴露したのも理由の一つだけどさ、それ以上にお前のことを知る機会が無いからだと思うんだよ。くそ真面目な奴だってことを知れば、多少は見る目も変わると思うんだ」
「それは褒めてるのか?」
「褒めてる褒めてる、もうめっちゃ褒め称えてる。要するに、今の市ヶ谷がどういう奴なのかを知らせるのが目的なんだよ。劇という形にすることで、周りの恐怖を和らげる意図があってだな」
「嘘だ。君はそういう知的なことを考えるキャラじゃない」
もっとこう、おバカをやるキャラだ。敢えて口にはしないけど。
芳樹が目を細める。
「お前、俺のこと馬鹿だと思ってるだろ」
「馬鹿とは思ってない」
「違う何かとは思ってんだな」
「ああ」
単純、無神経。誰かのために奔走できる良い友人とは思う一方で、そういった短所もある。演劇を提案した独断専行もその一つだ。手放しには褒められない。
視界の隅に尖った物が映る。鋭利な物が向けられた感覚。本能に基づく体の防衛反応が俺の体を縛る。
先端が尖ったそれは箸だった。進む先には、タルタルソースで飾られた白身魚のフライがある。大事に取っておいた揚げ物が俺の皿から持ち上げられ、友人の口内に消える。膨らんだ頬がもごもごと蠢いて頬袋がしぼむ。
目の前で親指が立った。
「美味かったぜ!」
俺は芳樹の肩をつかんで揺さぶる。
「き・み・はッ! またやったな!」
忘れもしない、芳樹に奪われた俺の唐揚げ。熱々ジューシーな鶏肉の塊が眼前のアホに平らげられたあの屈辱。今度は魚のフライまでもが!
「怒った?」
「怒った、もう許さない。今度はしょうもないうんちくで誤魔化せると思うなよ」
「そういや、唐揚げについてまだ語り終えてなかったっけ」
「言うな! 喋るな、口を開くなっ」
興味ないことを延々と語られる時間は拷問に等しい。値段が高校生の財布に優しいことは分かるけど、そこまで唐揚げに心酔してるなら唐揚げ同好会でも作ればいいんだ。校則で兼部は許されている。俺じゃなくて、同じ志を持つ物好きと終日語り合っていればいい。
ともあれ俺のフライだ。眼前でヘラヘラ笑うこの男、どうしてくれよう。
「おっす市ヶ谷」
揺さぶりを中断して振り向く。尾形さんと佐田さんがお盆を握って立っていた。
「こんにちは二人とも。今から昼食か?」
「ああ、教室での話が長引いちゃってさ。隣いいか?」
「いいよ。座ってくれ」
「サンキュー」
二人がお盆の底でテーブルの天板を鳴らし、フリーになった手で椅子を引く。尾形さんとは休日に顔を合わせた。佐田さんとはボランティア以来になるか。見知った美麗な女子の姿はどこにもない。
「今日は金瀬さん達と一緒じゃないんだな」
「あれ、気になる?」
尾形さんが意地悪気に口端を上げる。人付き合いの経験が少ない俺でも、この笑みが何を意味するかくらいは分かる。
俺は平淡な声色を心掛けて喉を震わせる。
「いいや。いつも一緒にいるから、昼食も一緒なんだろうなと思っただけだ」
「そっか、良いと思うけどなーナナ。めっちゃ可愛いじゃん」
それは思う。裏表がなさそうと言うか、体全体で嬉しさを表現されるとこっちまで嬉しくなる。自由奔放な一方で、しっかりと自分の価値観を持ってもいる。奈霧に似た一面を感じさせるからか、一緒に居ても素の自分で話しやすい。
そんな金瀬さんの魅力を、可愛いの一言で片付けてほしくない。俺はもやっとしたものを言葉に変えて口を突く。
「尾形さんはルッキズムの権化だもんな」
「そう言うなよー同じ志の仲間だろ?」
「違う」
「そう恥ずかしがることないじゃん。人間見た目が八割って言うだろ? 自分が相手にどう思われたいか、周りにどれだけ気を配れるか。それを最も分かりやすく伝えられるのが容姿だと思うんだよ。故にルッキズムに走るのは悪ではない!」
「物は言いようだな。その口上今考えただろう?」
「ああ。てか、今日の市ヶ谷なんか冷たくね? 仲良くしようぜ? ボランティアのキャビンで熱く語り合った仲じゃないか」
自覚はある。今の俺はちょっと変だ。失われた魚フライへの想いもあるけど、尾形さんに対して少なからず思うところがある。休日に奈霧と歩いていたからだろうか。スマートフォン越しに成り行きを耳にはしたけど、二人でショッピングに行った事実がまだ尾を引いている。
視線を感じて顔の向きを変える。芳樹が目を見張っていた。
「何だその顔は」
「いやだってよ、あの市ヶ谷に、俺以外の友達が……ううっ!」
芳樹が右の前腕で目元を隠す。
ぎゅわっ! と頭部に熱が集まった。
「わざとらしく泣き真似するな!」
「泣き真似じゃねえって。俺嬉しくてさっ!」
「やめろ恥ずかしい!」
くくっと我慢する声に聴覚を刺激され、俺は芳樹への要求を中断する。
尾形さんと佐田さんが破顔していた。
「あははははっ! 市ヶ谷がすげえ子供っぽく見える! おもしろ!」
「写真撮ろうぜ、写真!」
「やめろ!」
尾形さんが体をくの字に曲げて大爆笑する。佐田さんに至ってはスマートフォンを取り出す始末だ。俺は腕を伸ばし、佐田さんのフォーカスを合わせを阻止しようと試みる。
尾形さんが姿勢を戻し、指で笑い涙を拭う。
「確かバスケ部の加藤さんだったよな?」
「ああ。俺は加藤芳樹、こいつ唯一の友達だった男だぜ」
「その自己紹介ほんとやめろ」
「加藤さん面白いね。俺達と市ヶ谷さんは、林間学校のボランティアで初めて顔合わせしたんだけどさ、夜中にボーイズトークを交わした仲なんだよ。その時の市ヶ谷さんの様子、知りたい?」
「知りたくない」
俺が代わりに答えてやった。
尾形さんが自重せず言葉を続ける。
「ずっと黄昏てたんだ。まるで自分こそが、この世で一番不幸なんだ! みたいな顔しててさ」
「してなかっただろうそんな顔!」
「いや、してたって。ちょこっと突けば泣き出しそうな顔してたのに、奈霧さんと熱烈に抱き合ってからは毎日めっちゃ楽しそうだもん。もう笑っちまうくらい分かりやすいよなお前」
「おまっ⁉ ここ食堂だぞ!」
周囲はあることないことで黄色い声を上げる。こんな会話を聞かれたらまた学校生活が騒がしくなってしまう。
周囲を牽制すべくバッと振り向いて視線で薙ぐ。
奇妙な感覚があった。
今までにも俺を疎む視線はあった。そういった視線には慣れたし、自分の行動が招いたことだ。甘んじて受け入れてきた。
今回は何かが違う。観察して、視線の半分近くが尾形さん達に向けられていることに気付く。何故彼らが覚えのある視線に晒されているのか、この時の俺には知る由もなかった。