第37話 金瀬さんとのお出かけ
晴天の下で人の流れを眺める。
渋谷駅前に立つのは二度目だけど、相変わらず人が多い。ハチ公像から離れて佇んでいると、視界に華美な人影を見た。魅惑的なラインを描く上半身がふんわりとしたカーディガンに隠れ、腰下は千鳥柄のショートパンツと膝下丈のブーツで飾られている。秋に合わせたシックなカラーリングに金髪が映える。
帰宅途中に話した通り、先日夜中にチャットをした。尾形さんへの贈り物は衣服を考えているらしい。
以前この辺りは早乙女さんと練り歩いた。うろ覚えだけど、どこに何の建物があるかは把握している。衣服を売っている店舗も見た。金瀬さんの希望に合う場所のはずだ。
一方で、どこにどのファッションブランドが入っているかは分からない。最近知ったけど、衣服にはブランドの概念があるらしい。ブランドが違うと、販売される衣服の雰囲気や種類も変わるようだ。
俺は奈霧と違ってファッションに興味がない。尾形さんがどのブランドを好むかなんて知る由もない。協力するとは言ったけど、やっぱり金瀬さんの役には立たなそうだ。
「お待たせ市ヶ谷さん。待った?」
「いや、今来たところだよ」
定型文を返して靴音を鳴らし、肩を並べて喧噪に混じる。思い描いたルートに靴裏を刻み、一度早乙女さんとくぐった建物の入り口を通過する。
そっと横目を振る。お洒落な店舗が並ぶ空間。気後れしそうになる俺とは対照的に、金瀬さんは胸を張って歩いている。
慣れているなぁと感嘆した矢先、揺れる手元がちらついて視線を落とす。
「金瀬さん、ネイル落としたんだ?」
金曜の放課後に見た時は、金瀬さんの爪は翡翠色を帯びていた。今日は自然なピンク色だ。
「あ、気付いてくれた? 久しぶりに自然な色を楽しもうと思ったんだ。どう? 似合ってる?」
「ああ、似合ってる。金瀬さんを見てると、お洒落にも色んなアプローチがあるんだなって気付かされるよ」
手首で照明を反射するブレスレット、衣服のカラーリングに合わせたショルダーバッグ。俺が知らないだけで、着飾るためのアイテムは他にも色々あるのだろう。無難に黒白青でまとめがちな俺からすれば未知の領域だ。
「市ヶ谷さんは嬉しいこと言ってくれるね。佐田と尾形はそんなふうに誉めてくれないよ」
「照れてるんじゃないか? 同じグループだし、別クラスの俺とは事情が違うだろう」
「んー同じグループなら褒めやすいと思うんだけどなぁ。恋人じゃないんだし、気軽に誉めてくれてもいいのに」
「やっぱり言葉にして褒めた方が印象はいいものなのか?」
「もちろんだよ。何かしらの反応がないと不安になるし、私のことはどうでもいいのかなって思っちゃうもん」
「さすがに佐田さん達もそんなことは思ってないと思うけど」
最初に新宿を歩いた時、奈霧も同じことを思っていたのだろうか。自分勝手な思い出作りだったとはいえ、ポニーテールを解いた時の奈霧の気持ちを考えると申し訳ない心持ちになる。
でも佐田さん達の気持ちも分かるんだ。同じ男としては、女性の身なりを褒めるのは気恥ずかしい。理由を問われても困るけど、喉を震わせようとすると何かがつっかえたように声が出なくなる。
どうでもいいと思っているなら、それこそ適当に言葉を発する。芳樹に筋肉自慢をされた時のように、あー凄い凄いと言えば事は済む。
金瀬さんが通路を曲がる。
違和感を覚えた。衣服売り場の場所を網羅しているわけじゃないけど、金瀬さんが進む方向にメンズの店舗はなかったはずだ。
歩を進めると案の定。色鮮やかなショップの前に辿り着いた。我を見よと言わんばかりにポージングを取るマネキン。ガラス張りに囲われたプレミア感あふれるコーデ。そこらのショップでは目にすることも叶わない、高級な雰囲気が演出されている。
それだけならいい。問題なのは、視界を彩るカラーに特色がある点だ。淡く、上品で、ひらひらした輪郭が目に付く。俺の身を覆う衣服どころか、俺という存在の場違い感が凄まじい。
「金瀬さん、ここってレディースの店舗じゃないか?」
「うん」
「尾形さんの誕生日プレゼントを買いに来たんだよな?」
「そだよー」
「もしかして尾形さんって、女性だったりする?」
もしくは女装趣味か? 尾形さんは顔立ちが整っている方だし、背丈も佐田さんよりは高い。化粧を施せば、それなりには様になるかもしれない。
金瀬さんが目を丸くして、ぷっと吹き出す。
「何言ってんの? 市ヶ谷さんおもしろーい!」
「そんなこと初めて言われたよ」
「本当に? こんなにおもしろいのに、みんなセンスないんだね。じゃあ行こ?」
「ここに入るのか? プレゼントは?」
「プレゼントなんて後でいいよ。せっかくここまで来たんだし、わたしもお買い物したいもん」
金瀬さんが入口の方に踏み出す。一人外で待機する訳にもいかない。俺は覚悟を決めて金瀬さんの後に続く。
周囲の視線が気になる。デートで彼氏が衣服を選ぶのはよく聞く話だけど、俺は金瀬さんの彼氏じゃない。店内には他にも客がいる。変に思われていないだろうか? せめて髪を黒に染めておいてよかった。プリン頭だったら食って掛かられていたかもしれない。
「市ヶ谷さん! これどうかな?」
金瀬さんが満面の笑みを浮かべて衣服をかざす。細い指に握られているのはベージュのニット。ダークブラウンのショートパンツに合っているように見える、が。
「ニットなら今着てるよな?」
金瀬さんの上半身はカーディガンとニットに覆われている。上着はともかく、ニットの方はベージュ寄りの色合いだ。はっきり言ってカラーリングが似ている。わざわざ買い直すほどの物には見えない。
「うん。でもこっちの方がパンツに映えるんだよねー。今着てるのは少し色が暗めだから、ダークブラウンが死んじゃうって言うのかな。分かってくれる?」
「ああ、何となく」
要するに、ダークブラウンを活かしたいから明るい方が好都合ってことか。
理屈は分かるけど同意はしかねる。素人の俺でも、周りに並ぶ衣服は良質な物ばかりだと察しが付く。買い直すだけでお札が飛ぶんだ。高校生の財布には少々きつい。
金瀬さんがニットをハンガーラックに戻す。客の視線に晒され、金瀬さんとの繋がりが欲しくなった。視界に映る服を見て思ったことを口にする。
「女性用の服の装飾って凝ってるよな。洗ったらすぐ駄目になりそうだ」
「実際にそういうのもあるよ」
「そうなのか? でもこういう高そうな所にはないだろう?」
「どうかな。高い物って頑丈なイメージがあるけど、それは衣服には当てはまらないんだよね。スーツなんかが分かりやすいんじゃない?」
「スーツって、サラリーマンが着るやつだよな?」
「そ。高い品は細い糸を使うんだけど、手入れを怠けるとすぐに変な光沢が出ちゃうの。安物は太い糸を使うから劣化しにくいんだって」
「それは知らなかったな」
請希高校の制服はブレザーだけど、光沢を気にして袖を通したことはない。気が付かない間にみっともない光沢を晒していた可能性もあるわけだ。帰ったら確認してみよう。
「お洒落ってお金が掛かるんだな」
「そうだよー、だから女の子は大変なの。大事にしてくれないとやだからねー?」
「俺に言われてもな」
悪戯っぽい上目遣いを前に、俺は苦々しい笑いを禁じ得ない。俺は相談相手としてこの場に立っている。そんな相手に色々求められても困る。
「金瀬さんは、どうしてそこまでしてお洒落にこだわるんだ? やっぱり服が好きだからか?」
「それもあるけど、自分の新しい一面を教えてくれるからかなー?」
「新しい一面?」
いまいちしっくりこなくて首を傾げる。パーカーやブレザーなど、それなりに色々な服を身に付けてきたけど、自分の新たな一面を発見したことはない。そもそも表現が抽象的でよく分からない。
「店内を見渡してみて」
俺の仕草を気にした様子もなく、金瀬さんが店内を見渡して両腕を広げる。腕の動きを視線で追った先には、色とりどりの洋服が吊り下がっている。
「衣服って色んなものがあるでしょ? カラーだけじゃなくて、ニットやカーディガンみたいな種類も含めれば無限だよ。大人びたコーディネートの次にはガーリッシュなものを選んでみたり、知的なイメージにまとめたら振る舞いを変えて、時々周囲の反応が変わったりするの。外側を変えただけでそうなるんだよ? 面白いじゃん」
「ファッションって奥が深いんだな」
素直に感嘆した。金瀬さんの見解は、俺が考えたこともないことばかりだ。
今日まで、衣服は素肌を隠すための物だと思っていた。自己啓発に使おうと思ったことは一度もない。
確か、奈霧が服飾に興味を持った動機もそんな理由だった。ミニスカートを履いて俺が挙動不審になったのを機に、ファッションに興味を持ったと告げていた。皆何も考えていないようで、その実色んなことを考えている。
俺だけ人生が周回遅れみたいだ。焦りと寂寥感を覚えずにはいられない。
「新しい自分って言えばさ、市ヶ谷さんも最近似た経験をしたんじゃない?」
「俺が? 特に自覚したことはないけど」
「そうなんだ。わたしから見ると、結構変わったように見えるけどなぁ」
「どんな風に?」
「凄く親しみやすくなった。金髪の時は微笑を絶やさなかったのに、周りを寄せ付けない雰囲気だったでしょ? ミステリアスボーイだなーって思って見てたんだー。プリンになってからは物憂げに沈んでさ、やっぱりミステリアスボーイだなーって思ってた」
「今は?」
「急に子供っぽくなった感じ? あ、別に悪い意味じゃないよ? 自然体になって可愛くなった。急激な変化がミステリアスだねって友達と話してたの」
「結局ミステリアスなままなのか」
もしや金瀬さんがミステリアスボーイの提唱者じゃないだろうな? 金瀬さんは思ったことをズバズバ言いそうだし、口にした言葉を日常に溶け込ませる不思議な魅力がある。グループで使う内にクラスメイトにも伝播しそうだ。
「ボランティアが初対面だと思っていたけど、金瀬さんは結構前から俺のことを知ってたんだな」
「女子の間じゃ名が知られてたからね。かっこいい男子が三組にいるーって」
「へえ」
軽く応じて思い出す。あれはいつだったか、これだからモテ男は、と芳樹が俺を貶してきたことがあった。当時は何言ってんだこいつと思ったけど、俺よりもはるかに周囲を把握していたわけだ。芳樹に負けた事実が心に重くのしかかる。
「それはそうと、服は決まったのか?」
「まだ。ねーねー、これどう思う?」
新しい服がかざされる。俺は思ったことを言葉にして試着を促す。自分の話題は気恥ずかしい。金瀬さんの意識を衣服に向けさせ、長い服選びに付き合った。