第36話 金瀬さんとの帰り道
昇降口で金瀬さんと落ち合い、肩を並べて空の下に出る。夕焼けは夜闇に浸食され、オレンジと藍色のせめぎ合いが頭上を飾る。部活帰りの奈霧と何度か仰いだ色合いだけど、奈霧以外と肩を並べてみるのはこれが初めてかもしれない。
「林間学校のボランティア以来だね」
「ああ。佐田さんと南さんは元気?」
一緒に林間学校でボランティアをした男子と女子。あれから一度も顔を合わせていない。大病を患ったとは聞かないし、健在ではあるのだろう。理由がないと会いに行かないし、疎遠になるのは仕方ないけど、夜にボーイズトークを交わした身としては寂しいものがある。
「二人は元気だけど、尾形に関しては聞かないの?」
「会議室で見たからな。そういえば尾形さんはいないみたいだけど、今日は一緒に帰る約束をしてないのか?」
二人とも会議室にいたし、てっきり打ち合わせていると思っていた。ボランティアで見た時は仲が良さそうだったし、意表を突かれた感がある。
「尾形は奈霧さんに用があるんだって」
「奈霧に?」
あの二人って接点があったのか。ボランティアで宿泊したキャビンではルッキズムの権化を自称していたし、もしやそっち方向の理由なのだろうか?
胸の奥でモヤっとしたものがこみ上げる。
「気になる?」
「いいや?」
「駄目っ、今はわたしを見てくれないと。ところで市ヶ谷さん髪染めたんだね。プリン頭可愛かったのに」
「可愛い? みっともなかったの間違いじゃなくてか?」
「そんなことないよ。ちゃんと似合ってたって」
「それ絶対嘘だろう。ああいう奇抜なのが許されるのは有名人だけだ」
ああいう職は目立ってなんぼだ。周りと同じ黒や茶では埋もれてしまう。だから変わった眼鏡を掛ける。髪を不自然な色に染める。一人でも多くの人に覚えてもらうためにイメージを作る。悪目立ちも立派な目立ち。彼らの目的と合致する。
俺は目立ちたくてプリン頭をしていた訳じゃない。自暴自棄になっていただけだ。原因が解消された今、奇抜なプリンカラーを維持する理由は無い。
バイブレーションが鼓膜を震わせた。ズボンのポケットに手を突っ込み、振動するスマートフォンを引き抜く。画面を確認すると通知があった。チャットアプリを開いて内容を確認する。
奈霧からだ。『一緒に帰らない?』と電子的な文字が記されている。俺は親指をタップし、すでに帰途に就いた旨と謝罪を添えて送信する。
「誰から?」
「奈霧から。一緒に帰ろうって誘いだよ」
「へえ、市ヶ谷さんってグループチャットやってるんだ。わたしが誘った時はチャット嫌いって言ってたのにーっ」
金瀬さんが小さく頬を膨らませる。
その時のことは覚えている。小学生の男子を説得した後の話だ。あの時は奈霧からの罰を待っていたし、佐郷や壬生とのやり取りはチャットアプリ越しに行っていた。正直アプリ自体に良いイメージを持っていなかった。
今は奈霧との繋がりがある。放送室占拠の件は下火になったけど、今度は熱烈な抱擁疑惑が浮上した。早乙女さんとの交際疑惑も重なって、校舎内では顔を合わせて話をしにくい。
その点、チャットアプリでのやり取りなら余計な詮索を防げる。掻い摘んで言えば、必要になったからまたアプリを入れただけだ。金瀬さんだから拒否した訳じゃない。
金瀬さんが風船じみた頬を萎ませる。
「もうチャット嫌いは解消されたの?」
「大体そんなところだ」
「じゃあわたしとも交換しようよ。いいでしょ?」
「ああ、それはもちろん」
元々金瀬さんに対して思うところはなかった。佐郷の知り合いだったとはいえ、俺だって佐郷と交友関係を持っていたんだ。金瀬さんを敬遠する理由は無い。
金瀬さんがピンクのスマートフォンを取り出す。互いに携帯端末をかざし、チャットアプリの連絡先を交換する。
金瀬さんがパッと表情を華やがせる。
「ありがと! これからよろしくね!」
「ああ」
金瀬さんは別のクラスだし、何かと役に立つこともあるだろう。佐田さんや尾形さんとの繋がりもある。現状親しくなれそうな貴重な男子だ。これからも関係を保っていけたら嬉しい。
「市ヶ谷さんって、最近奈霧さんと仲が良いよね。何かあったの?」
「わだかまりが解けたんだ」
「そうなの? もしかして奈霧さんと付き合ってたりする?」
「まさか。昔みたいに友達になっただけだよ」
「そっか。市ヶ谷さんと奈霧さんって幼馴染なんだっけ。いいなぁ」
「金瀬さんにもいるだろう? 幼馴染くらい」
「いるにはいるけど、市ヶ谷さんと奈霧さんくらいドラマチックな相手はいないよ。正直羨ましいなーって思っちゃう。皆も同じことを思ってるんじゃないかな」
「そんないいものじゃないぞ? ドラマチックな人生なんて」
少なくとも俺は小、中学生の時間を復讐心で浪費した。綱渡りじみたギリギリの道を辿って、奈霧との絆だけは取り戻すことができた。悲劇のない人生を選べるなら、俺は迷わずその道を選ぶ。ドラマチックを羨めるのは第三者の特権だ。
「話は変わるけど、市ヶ谷さんは今週の土曜日何か予定ある? もしなければ買い物に付き合ってほしいの」
「買い物?」
「うん。友達の誕生日が近付いてきたから、誕生日プレゼントを選ぼうと思って。男の子の好みがよく分からなくってさ、市ヶ谷さんの意見が聞きたいんだよ」
「それなら佐田さんと尾形さんがいるじゃないか」
金瀬さんの発言からして、プレゼントを贈られるのは男子だ。仮に佐田さんと尾形さんのどちらかが対象だとして、その時はもう片方に呼び掛ければいいだけだ。わざわざ俺に頼む必要はない。
「最初は私も考えたんだけどね、あの二人の趣味は合わないんだよ。佐田は子供っぽいのが好きだし、尾形は気取った物が好きだから」
「それは分かる気がするな。金瀬さんが言いたいことは分かったけど、俺が選んでも同じことにならないか?」
「うーん、でも私一人で選ぶよりはマシだよ。市ヶ谷さんは周りの男子と比べると大人っぽいし、きっと趣味が合うと思うの」
大人っぽいがキーワードってことは、大方贈る相手は尾形さんだろう。それなら佐田さんよりは役に立てるかもしれない。
「分かった。役に立つかどうかは分からないけど、それでもよければ協力するよ」
「ありがとう! 市ヶ谷さんに相談して良かったよーっ!」
小さな顔が歓喜で満たされる。一緒に買い物に行くだけなのに、そんな反応をされるとこっちまで嬉しくなってしまう。
俺は顔が緩まないように努めて口を開く。
「時間と場所はどうする?」
「せっかく連絡先を交換したんだし、それは夜に決めようよ。今はもっと別のお話をしたいなー」
「そうか? じゃあ時間を見てチャットするよ」
「うんっ、楽しみにしてるね!」
俺と金瀬さんの間に共通の話題はないけど、ボランティアで多少交流した間柄だ。普段の過ごし方、爪を染めるマニキュアについてなど、当たり障りのなさそうな会話を重ねて通学路を辿った。