第35話 文実委員会
「こうして市ヶ谷君と話すのは初めてだね!」
「そうだな」
俺は正面を向いたまま応じた。視界の隅で、女子枠の文化祭実行委員こと小畑さんがうんうんと頷く。
ちらっと横目を振ると、上目遣いと目が合った。
「やっぱり、市ヶ谷さんは黒髪の方が似合うよ」
「そうか?」
「そうだって。ねえ、市ヶ谷君って彼女いるの?」
「どうだろうな」
思わず苦笑いが漏れた。ほぼ初対面なのにやたらとグイグイ来る。壬生を想起させる積極性。早くも苦手意識が芽生えそうだ。
最近女子に話しかけられることが増えた。奇抜なプリン頭を胡麻プリンにしてからだ。プリン頭が足を遠のかせていたのは認める。でも髪を染めた瞬間に態度を変えられると、『おめでとう! 君はようやく私達に関わる資格を得たのだよ!』と告げられたようで思うところがある。
特に小畑さんは、友人との会話でよく俺を小馬鹿にしていた。かなり大きな声で喋っていた記憶があるけど、まさか聞かれてないとでも思っているのだろうか。
適当に間を持たせて、集合場所の会議室に踏み入る。四脚の細長いテーブルが四角形を描いている。登校してから教室に閉じ込められていたせいか、教室二つ分ほどの大きさでもその広さに感動する。会議室は職員会議などの用途で使われる。これからここで話し合いをすると思うと、自分が偉くなった気分になる。
室内にはちらほら人影が点在している。椅子に座す人影の中に幼馴染を見つけて、道中でげんなりした気分がふわっと浮き上がる。
奈霧の周りには学年問わず人がいる。親し気な女子の中に男子も混じっている。この集まりを活かして距離を詰める作戦だろうか。胸の奥がチリッとする。
栗色の瞳と目が合った。微笑と共に手を振られ、俺は手を振り返す。自然と口角が上がり、靴先が笑顔のある方向に向く。
踏み出そうとした刹那、同級生に腕を取られた。
「あっち空いてるよ! あっち座ろ?」
「え、いや俺は」
「早く早く! 取られちゃうって!」
無理やり引っ張られて奈霧から遠ざかる。戻って奈霧の隣に座ろうかと思ったけど、小畑さんは同じクラスの実行委員だ。蔑ろにすると以降の調整に支障が出る。
俺は早々に諦めて、小畑さんに勧められた椅子に腰を下ろす。ぞろぞろと室内に人影が付け足される。その中には金瀬さんと尾形さんもいた。
「よっ、後輩君」
自然と体が振り返る。年上の黒髪美人が床に靴裏を付けていた。
「こんにちは。菅田先輩も実行委員になったんですね、ちょっと意外です」
「どうして?」
「どちらかと言えば波杉先輩のイメージだったので」
波杉先輩は踊りを開発したりと、やたらアグレッシブなイメージがある。
対する菅田先輩は大人びた雰囲気だ。放送部で過ごした時間がそのイメージを粉々に打ち砕いたけど、文化祭ではしゃぐ姿は想像できない。
「あの、市ヶ谷さん。その人は?」
小畑さんの問いかけに応える前に、菅田先輩がくいっと上体を傾ける。
「初めまして、放送部に属してる菅田です。よろしくー」
「放送部……何だ、過去の人か」
小さな呟き。されど確かな言葉が俺の鼓膜を震わせた。
隣でむっとした気配が漂う。
「過去って、私今ここにいるんだけど」
「でも市ヶ谷さんは放送部を辞めてるし、過去の先輩ですよね?」
「放送部の繋がりって意味じゃそうなるかもしれないけどさ……まあいいや、あなたの名前は?」
「小畑です。市ヶ谷さんとは同じクラスで、ペアで実行委員やってまーす」
「そう、まあここにいるんだからそうなんだろうね。んじゃ市ヶ谷さん、私行くわ」
「え? あ、はい」
菅田先輩があっさりと背を向ける。拍子抜けだ。何かちょっかいを掛けてくると思っていたけど、今日はそんな気分じゃなかったんだろうか。胸の奥でちょっとした寂寥感が渦を巻く。いや、別に楽しみにしていた訳じゃないけども。
前方のドアが開く。プリントを抱えた生徒と教師が室内に踏み入った。靴裏で床を鳴らし、制服をまとう人影が分担して書類を配布する。全員に生き渡ったことを確認して、女生徒がホワイトボードに歩み寄る。ネクタイの色からして三年生だ。ピシッと整えられた髪からは几帳面な印象が感じられる。
無難な挨拶に続き、実行委員を鼓舞する台詞が発せられる。生徒会長兼実行委員長。年が二つしか違わないのに、肩書きがあると別次元の人に見えるから不思議だ。
俺は指示に従って冊子を開く。広報、物品管理、会計監査、他にも物々しい漢字が並んでいる。俺も実行委員なわけだし、何かしらの役職に就かなければならない。校舎内での地位は微かに戻ったけど、俺の悪評が外に漏れていることは例のお婆さんが教えてくれた。宣伝や有志の統制は控えた方がいいかもしれない。
「ねえねえ、市ヶ谷さんはどれにする?」
小畑さんが座ったまま体を寄せてきた。俺はばれない程度に上体を逃がす。
「自分がやりたいことをすればいいんじゃないか?」
「えーせっかく同じ実行委員になったんだし、同じことしようよー」
記憶にある小畑さん像と噛み合わない。もっとさっぱりした喋り方をする印象だったのに、これじゃ本当に壬生だ。立場上突き離せないのがもどかしくてたまらない。
実行委員長が役職担当者を募り出す。あっちこっちで手が上がり、ホワイトボードに黒い文字が付け足される。有志団体とのやり取りを望む生徒が多く、ちょっとしたじゃんけん大会が開かれた。どの役職が花形なのか一目で分かるのは面白い。放送室に籠城してなかったら俺も参加したかったなぁ。
自重に自重を重ねた結果、俺は企画を審査する班に割り振られた。実行委員会主催の企画を立案したり、有志から募った企画を審査する役職だ。裏方のような仕事だけど、文化祭最終日には出し物に順位を付ける責務がある。
俺の名前は意外と好感触だった。募った企画をボツにした際には、有志の方から無茶な要求やクレームが来ることもあるらしい。
そういう時は俺の名前が役に立つ。生徒会も俺の悪評を聞き及んでいたようで、ごねる有志を黙らせる役割を期待された。さながら仁義の人になった気分だけど、皆の役に立てるなら良しとしよう。
各自席を移動し、各担当に分かれて顔合わせをする。俺は自己紹介を済ませて、企画審査班班長の座を賭けたじゃんけんに挑む。教室で立候補した時の俺なら名乗り出たかもしれないけど、色んな要素が重なってテンションは萎え萎えだ。早く終わってくれと祈りながらじゃんけんに臨む。
三年生が班長になった。各自労いの言葉を残して解散する。奈霧はまだ同じ班の生徒と話している。一人下校するのも寂しいし、廊下で待っていようか。
「市ヶ谷さん、いっ『市ヶ谷さん! 一緒に帰ろーっ!』
小畑さんの声が元気一杯の声に掻き消された。声の主は金髪の女子こと金瀬さん。別の班に割り振られていたけど、彼女の班も解散になったようだ。
「いいよ。教室に荷物を取りに行くから、昇降口で落ち合おう」
「うん! じゃあまた後でね!」
金瀬さんが会議室を後にする。歓喜全開といった顔を見せられるとこっちまで嬉しくなる。
俺は振り向いてクラスメイトに視線を向ける。
「小畑さん、何か言いかけてなかったか?」
「う、ううん、私もそろそろ帰ろっかなーって。また明日ね、市ヶ谷さん」
「ああ、また明日」
小畑さんの背中が廊下に消える。ふと視線を感じて左方を見ると、奈霧が小さく頬を膨らませていた。