第33話 一位は奈霧さんみたいですよ
休日を迎えた。天井を眺めて、寝覚めの良さに頬が緩む。
奈霧と仲直りをして以来、悪夢を見る回数がグンと減った。元々夏休みに入る前から減少傾向が見られていた。もうしばらくすれば夢にうなされることは無くなるだろう。
朝のルーティンをこなして自室に戻る。今日は芳樹に勉強を教える約束がある。バッグの口を開け、外出に備えて道具を詰める。
準備を終えて壁際に視線を振る。佇むのは木製の棚。板でいくつもの長方形に区切られた空間には、紙の書籍に混じって小学生時代の小道具が鎮座している。不登校になった際に捨てようと思って、けれど捨てられず段ボール箱に封印した思い出の品々だ。
俺はふっと笑んで廊下に踏み出す。マンションを後にして街に出る。近くのコーヒーチェーン店に足を運び、カフェラテとアメリカンワッフルを注文して待ち人に歩み寄る。俺が挨拶を口にする前に腕が上がった。
「よっ」
「おはよう芳樹」
芳樹の視線が俺の手元に落ちる。
「今日はカフェオレか。最近ブラック飲まないよなお前」
「趣向が変わったんだよ」
俺は正面の椅子に腰を下ろす。芳樹が意地の悪い笑みを浮かべた。
「趣向ねぇ。さてはあれか? 奈霧さんと甘々な毎日を送って甘党にでもなったのかぁ?」
「あのな、俺と奈霧はただの友人だぞ? 甘々な毎日なんて送る関係じゃない。大体そんなこと言っていいのか? 芳樹は奈霧のこと良いって言ってたじゃないか」
「良いとは思ってるけど、俺のこと眼中に無いみたいだからさ。諦めた」
「そう、なのか」
気まずさに混じってほっとした感覚があった。芳樹は悪い奴じゃない。奈霧との仲直りにも尽力してくれた。奈霧と付き合うことになっても余計な心配をしなくて済む。しかし安堵した辺り、俺の心はまだ断念していないようだ。諦めるって難しい。
「冗談はさておき、お前こっからどうすんの?」
「どうって、何を?」
「色々あんだろ? 奈霧さんとか、奈霧さんとか、奈霧さんとか」
「何で全部奈霧なんだよ」
「仲直りしたんだろ? チャンスじゃん」
「何の?」
芳樹が呆れ混じりに瞳をすぼめる。
「本気で言ってんのか? 市ヶ谷頭良いんだし、俺が言ってる意味分からない訳じゃないよな?」
「分かってるから言ったんだよ。男女の関係をそっちに持っていきたがるのは君の悪い癖だ」
「けっ、校門前で熱烈に抱擁しといてよく言うぜ」
「あれはその、感極まった結果と言うか、そもそも俺は轢かれそうになった奈霧を助けただけであって!」
「声大きくなってんぞー」
芳樹が肘杖を突いてストローの口を付ける。俺が顔の火照りを感じる中、ズズズとコーラフロートが友人の口に吸い込まれる。
「行儀悪いぞ」
「へいへい。お前さ、俺が彼女欲しーって言った時、自分が何て言ったか覚えてるか?」
「ああ」
放送部に入ったことを芳樹に伝えた昼休みのことだ。恋愛に興味があるくせに徹底して臆病な芳樹が目に余って、バスケ部でエースをやれ、小賢しいことは止めろと諭した。結局芳樹はバスケ部に属した。本人が気付いているかどうかはともかく、一部の女子が話題に上げることは多くなった気がする。
「……はぁ~~」
「何だそのため息は」
「いいや、奈霧さんも大変だなと思って」
「市ヶ谷さん!」
発言の意味を問おうとした時だった。店内で聞き覚えのある声が上がり、感じの悪い友人から視線を逸らす。
早乙女さんの微笑みがあった。私服に覆われたボディラインが波打っているものの、身なりは肌の露出を抑えた長袖に半ズボン。靴も履きなれていそうなスニーカーだ。偽デートで渋谷の街に駆り出した時とは雰囲気が違う。覚えのある顔よりもリラックスしているように見える。
「おはよう早乙女さん」
「おはようございます」
「あれ、早乙女さんって……」
芳樹がぬっと顔を近付ける。
「なあなあ、早乙女さんってお前と交際疑惑があった子だよな?」
「その疑惑は嘘ですよ」
芳樹の声がでかいから聞こえていたらしい。早乙女さんが友人に笑顔を向ける。芳樹が苦々しく笑いながら身を引く。
「嘘って、そりゃまたどうしてそんなことを?」
「ちょっと色々あって、市ヶ谷さんの名前が欲しかったんです。今は市ヶ谷さんに振られたので、もう私達の間には何ともないんですよ」
早乙女さんが寂しげに肩を揺らす。振ったのは俺。自覚して罪悪感が込み上げ、話題を逸らす使命感に駆られて口を開く。
「早乙女さんは友人と来たのか?」
「はい。今列に並んで私の分も注文してくれてます」
「へえ、友人と……ね」
俺はカウンターの方に視線を振る。
俺じゃあるまいし、早乙女さんの友人は一人じゃないだろう。でも早乙女さんの友人と言われれば、俺は糸崎さん以外に思い付かない。渋谷の街では釘を刺されたし、できれば顔を合わせたくない。
「良かったら同じテーブルで話しませんか?」
「いいけど、俺達はこれから勉強会の予定なんだ。あまり長くは話せないよ」
勉強会の予定は教える必要のないことだけど、すぐに店を出ると俺が早乙女さんを避けたと勘違いされかねない。手間でも嘘に真実を混ぜた方が賢明だろう。
「勉強会ですか。やっぱり学年二位となると、外出しても勉強するものなんですね」
「確かに二位だけど、どうして早乙女さんが知ってるんだ?」
請希高校では試験順位の張り出しは行われない。配られる成績表に科目ごとの点数や順位は記されるけど、誰が何位になったかどうかを知る術はない。それこそ誰かに教えて、その誰かが広めたりしなければ。
俺は芳樹に視線を振る。友人が頬をへこませ、すでにズズズとも言わないフロートを吸う。
「おい」
「フロートうめー!」
「俺は芳樹にしか教えてないんだが?」
「盗み見てた奴がいたんじゃね? 知らんけど」
「ちなみに一位は奈霧さんみたいですよ」
「……ほう」
呆れで満たされていた心にメラッとしたものが灯った。早乙女さんの言葉が本当なら、俺は奈霧に試験の点数で負けたことになる。
でも本当の意味では負けていない。俺は絶縁と罪悪感で意気消沈としていたし、勉強に身が入らなかった。万全の状態で試験に臨んでいれば、俺が勝っていたことは疑いようもない。
だから次だ。俺は椅子から腰を上げる。終わった試験結果なんて無意味で無価値。今を生きねば。
「芳樹、行くぞ」
「え、もうちょっとゆっくりしてっても良くね?」
「いいか芳樹、勉強の成果は質と時間で決まる。質だけ良くても時間を掛けないと意味がない。一秒も無駄にできないんだ、さあ行くぞ」
「お前キャラ違くね」
「小学生時代は大体こんな感じだったみたいですよ? 奈霧さんが言ってました」
「早乙女さんは奈霧さんと交流あるの?」
「はい。クラスメイトですし、最近仲良くなったので」
親や友人には相談できなかったことを論じたくらいだ。元々二人の仲は悪くなかったのだろう。その上風間さんの嫌がらせを止めた恩人ときた。接点が無くても仲良くなるのはそう難しくない。
「そういえば、奈霧さんは実行委員に立候補するつもりみたいですよ?」
「実行委員って?」
「あれ、市ヶ谷知らないの? 文化祭に実行委員って付き物じゃん」
「知らないな。中学校行ってないし」
女性陣が目を見合わせる。
もう気にしてないからさらっと告げたけど、大半の少年少女は中学校に進学する。いらないことを言ってしまったかもしれない。
芳樹が悟った風に息を漏らす。
「ああ、そういや市ヶ谷はそうだったな。ってことは、今回が最初の文化祭か。よし! 俺が先輩としてレクチャーしてやろう」
「不要だ」
「遠慮するなって。お前ただでさえ遊びを知らねえんだから、俺に任せとけって」
「絶対嫌だ」
芳樹に物を教えられるのは何か癪だ。ここぞとばかりにマウントを取ろうとしてくるに決まっている。俺は話を中断させるべく席を立つ。芳樹を急かし立て、半ば強制的に直立させる。
「それじゃ俺達は行くよ。早乙女さん、また学校で」
「はい。勉強頑張ってください」
俺は出口へ向かって踏み出す。靴音が無くて振り向くと、芳樹がカチコチになって早乙女さんに向き直っていた。
「あ、あの、早乙女さん! よければ文化祭、一緒に回りませんか⁉」
早乙女さんが目を丸くした。
本当に女性慣れしていないんだな。そんなことを思っていると、早乙女さんが苦々しく笑う。
「ごめんなさい、文化祭の日は友達と回る予定なんです」
「あ……そっすか」
何かすんません。芳樹が言い残して歩み寄る。しょぼんとした友人の肩を軽く叩き、二人でカフェを後にした。
読んでくださりありがとうございます。
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