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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
2章
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第30話 男の弱点

「お待たせ」


 俺はスマートフォンの画面から顔を上げ、黄金色こがねいろに濡れた廊下にため息を響かせる。


「やあ奈霧さん。こんな所に呼び出しなんて、何の用?」

「こんな場所に呼び出す理由なんて知れてると思うけど」

「そりゃそうだけど、まさか告白ではないよね。さっき市ヶ谷さんと熱く抱擁ほうようしてたし」

 

 奈霧さんが目をしばたかせる。シルクのような白い肌が赤みを帯びた。あ、恥ずかしかったんだ。結構ガバッと抱き着いてたから、てっきりその手のブレーキがぶっ壊れてるのかと思ってた。

 端正な顔立ちが咳払いして場の空気をリセットする。


「やめて。あれは私の黒歴史だから」

「黒歴史? あれって、想い通じてキャッキャウフフの場面じゃなかったの?」

「振られたの」

「え?」


 間の抜けた声が口を突いた。


「振られたって……はたから見て、かなり情熱的に抱き合ってたと思うんだけど」


 黄昏たそがれに濡れた校門の外で、市ヶ谷さんと奈霧さんは熱烈に抱擁していた。窓ガラス越しに見ただけだから内容は聞こえなかったけど、あれはどう見てもロマンチックなシーンだ。告白の一つや二つ成功して然るべきだ。


「あれは仲直りしただけ。告白とは別よ」

「仲直りって、今さら? いやそれ以前に、奈霧さんが振られたとかちょっと信じられないんだけど。何なら振られた理由教えてもらってもいい?」

「今は早乙女さんが好きだからって言ってた。あのうわさ、本当だったみたい」

「あー確かに暴力的なサイズだもんね早乙女。見た感じだと奈霧さんよりも大きいよね」


 合点がいった気持ち良さに負けて、思った言葉が俺の口を突いた。


「セクハラやめてくれない?」


 奈霧さんが瞳をすぼめる。顔立ちが整っているだけに威圧感も相当なものがある。迂闊うかつな口を撃ち抜きたい。しかし告げられた内容が本当なら不貞腐ふてくされる理由もない。口元に微笑を貼り付ける。


「ごめんごめん。でも本当にそんな理由で振られたの?」

「事実よ。そうじゃなきゃ私はここにいない」

「ほう。その心は?」

「復讐したいの」


 思わず口をつぐんだ。


「復讐って、市ヶ谷に?」

「まさか。お昼休みの騒動を知ってるでしょ? 市ヶ谷に報復するのはリスクが高すぎるわ」

「あれ、『釉くん』じゃなかったっけ? 呼び方」

「茶化さないでよ」

「ごめんごめん。じゃ早乙女に復讐したいと、そういうわけ?」

「そうよ。私は泥棒猫どろぼうねこにやり返したい。だからあなたの嫌がらせに一枚かませてくれないかと思って」

「……ほう」


 誰から話を聞いたのか、それは気になる。しかし動機は信用できる。俺の嫌がらせを知っておきながら、奈霧さんは教師に告げ口をしていない。それに、あれだけ大勢の面前で市ヶ谷さんに振られたんだ。さぞプライドが傷付いたことだろう。

 このシチュエーションは美味しい。前から奈霧さんのことは狙っていた。市ヶ谷さんの件で脈無しと諦めたけど、その市ヶ谷さんが振ったとなれば話は別だ。傷心しょうしんの奈霧さんに付け込める可能性は大いにある。

 何より今回のいじめ加担発言。こちらがいじめに加担した証拠を残さないようにしつつ、奈霧さんがいじめに加担した証拠をこっそり押さえる。後日告白して、失敗したらこのネタでゆすろう。彼女にできなくても、モデル顔負けの体を好きにできる。悪い話じゃない。


「いいよ、協力してあげる」

「ありがとう。私こういうの初めてなんだけど、具体的な案はあるの?」

「ああ。実はあいつを退学させる算段さんだんがあるんだ」

「聞かせてくれる?」

「もちろん」


 俺は考えている案を語る。想像していたよりもエグい内容だったのか、奈霧さんが顔をしかめた。悪いけど手は抜けない。早乙女は俺唯一の汚点を知っている。証拠はあらかた消しているけど、人の口に戸は立てられない。俺だって完璧じゃないんだ。何がきっかけで真実が暴かれるか分かったものじゃない。

 だから早乙女には、名誉を損なわせた上で俺の周りから消えてもらう。汚名が付けば、誰もあいつの言葉なんて信用しない。僕は晴れて気兼ねなく青春を謳歌おうかできる寸法だ。 ああ、素晴らしきかな人生。ハレルヤッ!


「作戦は理解したわ」

「うん。分かってもらえて何よりだよ」

「じゃあ今の録音したから」

「うん……うん?」

 

 今おかしなことを言われた気がした。困惑する俺の前で、奈霧さんが腕を組む。


「中学生の頃に何をしたかは知らないけど、そのことで早乙女さんを疎むのはお門違いもはなはだしいわね」

「ちょっ、ちょっと待った! 一体何の話をしているんだい?」

「早乙女さんへの嫌がらせは止めてってお願いしているの。あなたが嫌がらせを止めるなら、私達は金輪際こんりんざいあなたに関わらないことをちかってあげる」

「は、はぁ⁉ いや、意味分かんない意味分かんない意味分かんない」


 思考がまとまらない。態度の急変に頭が追いつかない。

 要するに、何だ? 奈霧さんは俺に協力を求めたかったんじゃなくて、同志どうしの振りをして僕に情報を吐かせたかっただけなのか? 

 そういえば最近似たことがあった。佐郷と壬生だ。確かあいつらは、市ヶ谷さんに録音した会話を暴露されて退学に追い込まれた。目の前の女は、俺に同じことをしようとしているのか?

 ボコッと、胸の底で熱い物がこみ上げる。噴き上がった激情で視界が点滅する。


「君さ、前々から思ってたけどちょっと調子に乗ってない? 少し外見が良いからってさぁ」

「そう? ありがとう」

「そういうところが調子に乗ってるっつってんの! 大体君は想像力が足りないよね! こんな人気のない所で男と二人切りになるなんてさ。ストーカーに犯されかけたって聞いてたけど、実はそういう願望でもあるんじゃない?」

「ないわよ」

「じゃあ人型のアホウドリなんだね! この状況なら君が悲鳴を上げるよりも、俺が君を裸にひんいて恥ずかしい写真を撮る方が早いよ?」


 奈霧の表情が微かに強張る。今さら状況の悪さに気付いたんだろうけど、時すでに遅しだ。こう見えて腕力には自信がある。口を塞いで空き教室に引きずり込んで、後はいい様に使ってやる。


「それは無理だな。何せ俺がいる」

「なッ⁉」


 男の声!

 バッと振り向く。視線の先でプリン頭が目に入った。金髪の上に黒色を乗せた奇抜な髪色。俺が知る限り該当する生徒は一人しかいない。


「わ、私もいます!」


 隣にはトランジスタグラマーな少女も立っている。眉間にしわを寄せ、これでもかとばかりに俺を睨む。


「お前、ら……ッ!」

 

 奥歯を食いしばる。拳を固く握り締める。奈霧と早乙女ならどうにでもなる。だが市ヶ谷はまずい。出合いがしらに拳を繰り出し、一撃で暴漢に膝を付かせたと聞く。凶暴性だけでも底が知れないのに、格闘技の心得こころえがない俺では勝負にならない。

 三人にめられたと主張するか? いや駄目だ、音声データの存在が邪魔をする。データを処分するには奈霧をどうにかしないといけないが、そのためには市ヶ谷を突破しなければならない。

 詰みだ。悟って、頭からサーッと温かみが引いていく。


「私は、あなたが飲酒した件を明かすつもりはありません。でもこれまでみたいに嫌がらせを続けるようなら、私にも戦う覚悟はあります」

「あ?」

 

 あどけない顔が、いつになく毅然きぜんとした表情でにらんでくる。今までずっとしいたげて小ばかにしてやった女が、今は俺よりも優位に立って見下している。

 ギュワッと頭に上るものを感じた。


「早乙女、お前何調子に乗ってんだよ。とらを借るきつねのつもりか? ああ、確かに市ヶ谷の頭は虎っぽいな。そこから着想を得たわけか」

「何を言っても無駄ですよ。あなたは黙って首を縦に振るしかないんです」

 

 早乙女が足を前に出す。大きな出っ張りが視界にちらつく。


「ああ、なるほど。市ヶ谷をそのでかい胸でたぶらかして味方に付けたわけか。良かったなぁ豊かな体に生まれてよぉ!」


 早乙女が眉間のしわを深くして歩を進める。眼前で立ち止まり、足を引く。


「ぐふっ⁉」

  

 鈍痛どんつうまたの下から脳天まで突き抜けた。内側から爆発したような苦痛に耐え兼ねてうつ伏せに倒れる。金的きんてき。男に対する必殺技。攻撃された事実を理解して、うめきながら視線を上げる。

金輪際こんりんざい私に関わらないで下さい。もうあなたなんて怖くありません」

 

 早乙女が鼻を鳴らして背を向ける。奈霧も後に続いて身を翻す。二つの背中を睨み付けていると、市ヶ谷が俺を見下ろして口を開く。


「音声データは俺が保管する。もしあの二人に何かあったら、その時は容赦ようしゃなくデータをネットに流すからそのつもりでいろ。それと拳も振るう、もう滅多打めったうちにする。そう、愛故あいゆえに」


 何だ、こいつ……大真面目な顔で、一体何を言っているんだ? 問い掛けは言葉にならず、市ヶ谷が背を向けて廊下の曲がり角に消える。

 佐郷と壬生の末路が脳裏をよぎる。校舎内だけでなくネットにも流されたら、被害の規模は前例の比じゃない。前例を作った男に言われては、もう何もできなかった。


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