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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
2章
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第26話 金色のネックレス

 小腹を満たして、早乙女さんと渋谷ヒカリエを歩き回った。ショッピングエリアや高所からの眺めを楽しみ、建物を後にして次なる目的地を目指す。知り合いとはまだ出くわしていない。さらなる歩みが必要だ。


 視界に違和感を感じて、俺は隣に視線を振る。

 早乙女さんが少し後方を歩いている。幼さの残る顔立ちが眉間みけんにしわを寄せていた。 

 

「足が痛いのか?」

「ちょっとだけ。普段ヒールなんて履かないもので、靴擦れしちゃったみたいです」


 早乙女さんが力なく口端を引きつらせる。ずっと隠して歩いてからのこの反応だ。少なくとも『ちょっと』ではないだろう。針で刺すくらいの痛みがあってもおかしくない。

 俺はスマートフォンを取り出して画面をタップする。


「確かこの辺りに靴屋があったよな」

「いいですよ。別に歩けないほどじゃないですし」

「今は良くても、これから悪化するかもしれないだろう? 作戦は一日や二日で効果が望めるものじゃない。来週も歩かなきゃいけないんだ。靴屋に行こう、金欠なら俺が出すよ」

「そんな、悪いですよ! 自分で払いますって!」


 早乙女さんが体の前で手を往復させる。

 改めて行き先を靴屋に定め、二人でコンクリートの地面を踏み鳴らす。歩行スペースは落とした。早乙女さんが自分を責めないように、意識してこちらから話題を振る。


「あれ、麻里じゃん」


 会話の種を拾うのに一生懸命で、正面からの接近に気付くのが遅れた。

 反射的に視線を向けると、一人の少女が早乙女さんを見つめている。年は俺達と近そうだけど、顔を合わせた覚えはない。半袖ニットにパンツルックと、ラフな私服を身にまとっている。

 知り合いかどうか問い掛けようとした時、早乙女さんの表情がぱーっと明るみを増す。

 

糸崎いとさきさん! どうしてここにいるの⁉」

「それはこっちのセリフだよー!」


 糸崎なる少女が早乙女さんに駆け寄る。互いに手を取り合い、ぶんぶんと腕を上下させて歓喜の情を表現する。男子同士では見られないやり取りだ。今日一日自分を押し込めていたのか、早乙女さんの表情がより一層あどけなく映る。

 糸崎さんが俺を見て目を丸くする。


「あれ、愛故にじゃん」

「君も愛を語るのか。初対面に等しい人をあだ名で呼ぶな」

「だって名字知らないし。愛が気に入らないならご奉仕プリンはいかが?」

「駄目だ。俺のことは市ヶ谷さんと呼べ」

「おっけー」


 少女が右のまぶたを閉じる。思ったより素直な人だ。早乙女さんの友人みたいだし、性根しょうねは悪くない人かもしれない。


「それで、何で市ヶ谷さんと麻里がここにいるの? 金曜に誘った時は用事あるって……ははーん」


 糸崎里香なる少女が口端を吊り上げる。

 いかにも意地の悪そうな笑み。それだ、その態度こそ俺達が望んでいた反応だ。

 俺はすっとぼけるつもりで口を開く。


「何だ? その意味ありげな反応は」

「分かってるくせにー。ねえねえ、どっちが誘ったの?」

「ちょ、ちょっと糸崎さん!」


 抗議の声が糸崎さんの笑顔に受け止められた。教室での二人が脳裏に浮かぶやり取りだ。早乙女さんにいじり甲斐があることはカフェで知った。いじりたくなる気持ちはよく分かる。


「デートに誘ったのは俺だ」

「市ヶ谷さん⁉」

 

 早乙女さんが目を見張る。どうしてそんなに驚くんだろう。もしや俺達の目的を忘れているんじゃないだろうな? 

 俺は早乙女さんの耳元に口を近付ける。


「俺達は交際している設定だろう? 怪しまれないようにしてくれ」

「ひゃ……ひゃい」


 白い耳たぶが赤みを帯びる。耳打ちしただけでこの反応、本当にいじり甲斐のある人だ。加虐心かぎゃくしんに身を委ねたくなってしまう。


「にしても意外だなー」

「何が?」

「いや、二人がくっ付いたことがさ」

「その先は言わなくていいぞ」


 糸崎さんが目をぱちくりさせる。


「もしかして聞き飽きてた?」

「ああ」


 どうせ奈霧の名前を出すに決まっている。愛を語る連中はいつもそうだ。


「ちなみにさ、どうして?」

「理由が必要か?」

「あれだけの騒ぎ起こしておいて、理由が無いなんてことはないでしょ」

「小学校の頃の話だぞ? 人の心は変わるんだよ」


 自然と視線が逸れる。嘘を言ったつもりはない。年月で変わる人と変わらない人がいるだけだ。

 奈霧は変わらなかった。俺の方が変わってしまった。不変と可変が釣り合うわけない。糸崎さんが求める理由なんてこれで十分だ。


 糸崎さんが頭の後ろで手を組む。


「ふーん、もったいないなぁ。あの騒ぎに乗じて告白すれば、大半の女子はころっといきそうなのに」

「ノリと勢いだけの告白が成功したって長続きしないだろう。互いに不幸になるだけじゃないか?」

「おー」


 糸崎さんが感嘆の吐息を漏らした。


「何だその反応は」

「意外としっかりしてるんだなーと思って。そんな頭してるくせに」

「頭関係ない」

「鏡見てごらんよ。金色の上に黒いのが乗ってるんだよ? プリンじゃん」

「だから何だ。いずれ真っ黒に戻る」

胡麻ごまプリンだね」

「おい」


 糸崎さんが小気味いい笑い声を響かせる。さっきから何でそんなにきぬ着せないんだろう。俺の悪評は知っているだろうに、俺が怖くないのか?

 糸崎さんがふっと息を突く。


「思ったより真面目そうで安心した。麻里が奈霧さんの代わりにされてたらどうしようかと思ったよ」

「代わりって何だよ」

「くどいかもしれないけどさ、やっぱあの騒動は私達にとって衝撃だったわけよ。市ヶ谷さんが他の女の子を選んでも、私達としてはいまいち釈然しゃくぜんとしないの。分かってくれる?」

「ああ、それなら分かる」


 俺も第三者の立場なら、今とは違う言葉を吐いていた自信がある。それだけ俺と奈霧の関係は特別だった。仲を引き裂く悪役を打ち倒し、過去の想い人と笑顔を交わす。いかにもなロマンスだ。周りから見ても魅力的に映るのは分かる。


 これから先、俺は色んな人に似たことを問われるのだろう。あるいはそれが、いまだ俺に降り落ちない罰の代わりなのか。でももう大丈夫だ。菅田先輩に愚痴ぐちを吐き出してから少し楽になった。もうこんなことで声を荒げたりはしない。

 

「分かってるならいいんだ。ごめんね、失礼なこと言っちゃって」

「気にしなくていい。友人が悪評のある男性と交際しているんだ。君の心配はもっともなものだよ」

「市ヶ谷さんやっさしー! 良かったね麻里、このチャンスものにしなよー?」

「違うって! いや違わないんだけど、これはそうじゃなくて!」

「お待たせ」


 心臓がトクンと跳ねた。鼓膜に溶けるような声に意識が引き寄せられる。

 見てはいけない、そんな直感程度で首は止まってくれなかった。視線が動き、声の主を視界の中心に捉える。見知った人影があった。私服に身を包んだモデル然とした少女が、ショッピングバッグをぶら下げて佇んでいる。亜麻色の髪が右で結われて肩に乗っかり、普段よりも洒落っ気と柔らかな雰囲気を醸し出している。


 すぐにここを立ち去るべきだ。思考が取るべき行動を導き出しても、俺の足は動いてくれない。見開かれた栗色の瞳にとらわれて思考が漂白される。

 糸崎さんが俺に背を向ける。


「あ、聞いてよ奈霧さん。この子ったら、ついに市ヶ谷さんを手に入れたみたいでさ」

「手に入れた、って……」


 奈霧の視線が俺の隣にスライドする。

 何を思ったかは明白だ。男性の俺から見ても、早乙女さんの格好はデート服にしか見えない。同性の奈霧にそれが分からないはずはない。


 否定の言葉が口を突きそうになった。とっさに口をつぐんだ拍子に、奈霧の胸元で何かが光る。

 金色のネックレス。見間違いようがない、俺が奈霧の誕生日におくった物だ。捨てずに身に付けてくれた。その事実に救いじみた歓喜と喪失感を覚える。


 何かが違えば、俺の隣には奈霧が立っていたかもしれない。嫌いと告げられたあの日に握力を弱めなければ、奈霧と肩を並べて街を歩く未来があったかもしれない。

 俺は胸の疼きに耐えてポーカーフェイスに努める。

 詮無せんなきことだ。俺は奈霧の手を離した。目の前の光景こそが俺の現実だ。これまで散々悔やんできた。何度も諦めろと自分に言い聞かせてきた。

 今こそ、その努力を実らせる時だ。


「早乙女さん、行こう」


 俺は奥歯を噛み締め、早乙女さんの手を取って歩を進める。

 事情を打ち明けてしまいたい。これはデートなんかじゃないんだと、事情を全部ぶちまけてしまいたい。

 それはできない。ここは街中だ。誰がどこで聞いているか分からない。作戦の暴露ばくろは早乙女さんを見捨てるに等しい。それは奈霧が好いてくれた伏倉釉の行動じゃない。

 この身はとっくに穢れている。だったらせめて、奈霧の記憶にだけは伏倉釉として残りたい。それが諦めた者の意地であり、けじめだ。


 俺は足早に奈霧と擦れ違い、意図しなかった邂逅かいこうの場を後にする。

 呼び掛けの声は上がらなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言]  皆の心中が修羅場w  ただ奈霧さんからすれば主人公の性格上単なる惚れた腫れたで一緒に行動しているとは思わないのでは?  あれだけ自らの瑕疵を全て奈霧に預けておいてプライベートで楽しむよ…
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