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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
2章
25/183

第25話 早乙女さんとのデート


 俺は早乙女さんとデートをすることにした。


 恋人関係は築いていない。林間学校のボランティアから帰ってきた際に、早乙女さんに提案されたことを実行するだけだ。


 俺は大部分の生徒に怖がられている。


【愛故に】や【ミステリアスボーイ】なんて揶揄やゆされているけど、面と向かって小馬鹿にしてくる生徒はほんの一握りだ。距離を取る生徒の方が圧倒的に多い。


 そんな俺と交際しているとなれば、風間さんも簡単には手出しできない。


 偽の恋人として振舞うことの有用性は、他ならぬ風間さんが証明してくれた。


 部活後にカフェで言葉を交わした時、風間さんは俺に早乙女さんの悪評を流した。


 俺のことを何とも思っていなければ牽制けんせいじみた真似をする意味はない。わざわざ芳樹を使って渡りを付けた辺り、俺のことを相当警戒している。


 ならば抑止力を付ける手段は明白だ。俺と早乙女さんが交際しているとデマを広めればいい。


 最初は友人を介して広めることを考えた。人の口に戸は立てられないと言うし、恋愛絡みの話題は人々の大好物だ。口から口へと広まるスピードは計り知れない。


 効力を確信した一方でその手法は見送った。


 俺はそういったことを自分から広めるタイプじゃない。友人も少ない。不特定多数相手に恋人自慢をするのは不自然だ。


 何よりタイミングも悪い。早乙女さんには気を付けろと風間さんに釘を刺されたのは記憶に新しい。


 表面上とはいえ、俺は風間さんの前で首を縦に振った。


 その後すぐに好き合いましただなんて、早乙女さんに味方したと勘繰かんぐらない方がおかしい。抵抗の意思を見せたことで嫌がらせをヒートアップさせるかもしれない。


 やるなら徹底する。わずかな手抜きも許されない。


 万全を期すなら、むしろ俺達の関係は隠すべきだ。風間さんには、俺が早乙女さんとの交際に後ろめたさを感じていると思わせたい。


 欲しいのは【俺達が恋人関係を伏せようとした事実】だ。


 早乙女さんの色香に負けて付き合ったけど、忠告してくれた風間さんに申し訳が立たないから隠していた。そう言い張れる余地を作れば、脅迫の件とは無関係で交際している線が残る。中立の立場を暗に主張する内は、風間さんも俺を敵に回すような行動は控えるに違いない。


 ゴールはあくまで抑止。相手に手を引く余裕を与えて、事を荒立てずに問題を解消する。


 そのために渋谷駅前で足を止めた。


 犬を模した銅像が鎮座している。前足を真っ直ぐ伸ばし、胸を張って正面を見据えている。心なしか俺よりも堂々としているように見える。


 旅行や観光で足を運んだ人々だろうか、足を止めて銅像にスマートフォンのカメラを向ける。


 そんな彼らの周りでは多くの建物が天を衝かんとそびえ立つ。ハチ公像の見物人を建物が眺めているようで、いささか奇妙に映る光景だ。


 忠犬として知られるハチ公。飼い主が死去した後も、駅前で帰りを待ち続けた忠犬として知られる。


 美談ばかり語り継がれているものの、当時は心無い人々の手でひどい目に遭わされたらしい。


 死後に価値が急上昇する点は絵画に類するところがある。ハチの生きた証が像という視覚芸術で残っていることも、背景を知る今となっては一種の皮肉に思えてくる。


 つまらないことを考える。胸に渦巻く背徳感のせいだろうか。


 スマートフォンを取り出して画面とにらめっこする。


「市ヶ谷さーん!」


 間延びした声に呼びかけられて視線を上げる。


 早乙女さんがプリーツスカートの裾を揺らして駆け寄る。ふわふわしたフォルムに淡い色合いも相まって、制服姿よりも柔和な雰囲気を醸し出している。


 スマートフォンをズボンのポケットに突っ込んで微笑みで迎えた。


「おはよう。今日はよろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします!」


 早乙女さんがぎこちなく頭を下げる。


 えらく緊張している様子だ。本当にいけないことをしているようで、胸の奥から苦々しい笑いが込み上げる。


「そこまで緊張しなくていいよ。これはあくまで振りなんだから」


 そう、これは恋人の振り。


 だから見た目を気にしてきたし、衣服も無難なジャケットにシャツを選んだ。


 気持ちは見た目に現れる。振りでも気を抜けば分かる人には分かるものだ。


 対して関係性は時間の影響をもろに受ける。


 最初はカッチコチなカップルでも、時間を経るとだらしなさを帯びるのはよく聞く話だ。それが原因で別れたなんて話は、ネットを見れば嫌になるほど転がっている。


 結局のところ恋愛とは刺激なのだろう。


 交際期間を過ごす内に慣れて、飽きて、それでも一緒に居たいと思ったペアだけがその先にたどり着く。


 逆に刺激だけを求める者は、新たな刺激を求めて別の恋に生きる道を選ぶ。


 俺達が演じるのは慣れたカップル。


 最近付き合い始めた雰囲気ではタイミングがあからさまだ。ある程度素をさらけ出せる関係が望ましい。


 俺達は役者じゃないけど、偽物の関係だと示し合わせている。その点は上手くやれる自信がある。


「は、はい! 頑張ります!」


 早乙女さんが両手をぐっと握りしめる。


 何というか、俺と早乙女さんの熱量に差を感じる。妙に気合の入った私服といい、まるで初めてのデートに臨む乙女のようだ。見ていると申し訳なさすら覚えてしまう。


「それじゃどこに行きましょうか! 水族館なんてどうですか? 今キャンペーンやってるらしくて!」


 早乙女さんがショルダーバッグに手を入れる。


 水族館の券かチラシを取り出すと予想して、俺は前もって手をかざした。


「いや、水族館はよそう。内装が薄暗いから、傍から見て俺達だと気付かれないかもしれない」


 偽デートの目的は、一人でも多くの知り合いに俺達の姿を見せることだ。顔を目視しにくい暗所は好ましくない。


 それに水族館は奈霧と出かけた場所だ。


 ひどい別れ方をした場所だけど、俺にとっては大切な思い出がある。しばらくは他の女性と足を運びたくない。


「そう、ですか。じゃあ遊園地はどうですか? アトラクションがたくさんありますし、絶対楽しめると思うんです!」

「人が少なければ楽しめるかもしれないけど、ああいう場所はカップルを壊すって聞くんだよな」

「別れのジンクスですか。何でそう言われるようになったんでしょうね」

「予約券を忘れたり、行列に耐え兼ねて喧嘩に発展するからじゃないか? 言っちゃいけないことを勢い任せに言って、そのまま破局みたいなさ」

「破局は嫌ですね」

「だろう? 人生経験のあるカップルなら対処できるかもしれないけど今日はやめておこう。ボロを出して作戦に支障をきたすのはまずい」

「なるほど、納得です。それにしても色々詳しいんですね。もしかして、以前に誰かと交際した経験があるんですか?」


 あどけない顔がうかがうように上目づかいを向ける。


 俺はかぶりを振った。


「いや、調べただけだよ。誰かと付き合ったこともない恋愛初心者だ」


 経験はないけど、それはもう徹底的に調べた。


 遊園地を候補に挙げたのは奈霧と出かける前だ。どのテーマパークが人気なのか調べ上げて、喧嘩別れするリスクが高いと知って候補から外した。


 決裂した今となってはどうでもいい話だ。


「私も初心者です!」


 早乙女さんが鼻息を荒くして手を上げた。


「そ、そうか」


 気圧されて一歩引く。

 

 大人しそうな雰囲気をしている割に、ここぞと言う時は思い切りが良い。波杉先輩が可愛がっていた後輩なだけはある。


「とにかく、人が集まる場所にはひときしり足を運ぼう。渋谷駅には人が多いし、目に付いた所に立ち寄れば間違いないだろう」

「新宿の方じゃ駄目だったんですか? あの駅の方が利用者は多いって聞きましたけど」

「……そうだな。盲点だったよ」


 目を逸らす。


 そんなことは知っていた。利用者数に大差はないけど、新宿駅の方が少しだけ人が多いと聞く。


 一人でも多くの目に留まることを目的とするなら、新宿駅を待ち合わせ場所にした方が都合はいい。


 それでもあえて渋谷駅を選んだ。


 理由は俺の気分だ。早乙女さんとの待ち合わせ場所を新宿駅にしたくなかった。


 何でと聞かれても困る。


「市ヶ谷さんって結構うっかりやさんなんですね」

 

 早乙女さんが口角を上げる。数日前に見た自然な笑みだ。


 いい具合に緊張がほぐれたところで踏み出した。


 近くには渋谷ヒカリエがある。カフェや百貨店を歩けば人の視線には困らない。適当にぶらつくだけでも相応の効果が期待できる。


「市ヶ谷さん、さっきのお話の続きなんですけど」

「何の話だっけ」

「行き先をどうしようかって話です。水族館や遊園地が適さないのは分かりましたけど、私としてはその、あまり人がいない場所もいいかなーって」


 早乙女さんが体の前で指をもじもじさせる。


 気持ちは分かる。俺も人に見られるのは好きじゃないし、騒がしい場所よりも落ち着ける公園とかの方が性に合っている。


 でも趣向は趣向。目的の前には二の次だ。


「偽の恋人関係が後ろめたいのは分かるけど、請希高校の生徒に見せないと意味がないんだ。恥は忍んでくれ」

「そう、ですよね。すみません」


 早乙女さんがしゅんとする。


 ちょっと強めに言い過ぎただろうか。


 早乙女さんに落ち込まれると作戦に支障をきたす。何とか機嫌を取りたいところだ。


 しかしどうすればいい? 俺に気の利いたトークなんてできるわけがない。


 渋谷の街だって出歩くのは初めてだし、早乙女さんとは知り合って間もない。俺に最適解を導き出すのは無理だ。


 まぶたを閉じて、似通った経験がないか思い返す。


 クラゲフロートで嬉々とする奈霧の顔が浮かんだ。


「小腹が空いたし、まずはカフェにでも寄らないか?」

「カフェですか?」

「ああ。もしかしてお腹空いてない?」

「いえ、今日は緊張してあんまり食べられなかったので」

「それは良かった。じゃあ行こうか」

「はい!」


 元気一杯な肯定をもらって靴裏を浮かせる。


 我ながらナイスアイデアだ。カフェならメニューを雑談の種にできるし、落ち着いてデート先を吟味できる。


 記憶の中の奈霧に感謝を捧げて人混みをかき分ける。


 映画館じみた薄暗い入り口を介して開けた空間に出た。正面に見えるエスカレーターに体重を乗せて、その足で和風テイストな店内に踏み入る。


 メニューブックを開き、注文を済ませて向き直る。


「ここは生クリームや卵を使ってないらしいな」

「そうなんですか? どう見てもケーキなのに、どうやって作ってるんでしょう」


 早乙女さんがメニューブックとにらめっこする。


 俺から見てもそうとしか見えないメニューが並んでいるけど、そう書かれているからそうなんだろう。


「よく分からないですけど、アレルギーの人も楽しめるんですね」

「ああ。動物性⾷材を一切使わないスイーツだからヴィーガンデザートと呼ばれてるみたいだな」

「ヴィーガン、ですか」


 早乙女さんの笑顔がぎこちなく固まった。


「気になるか?」

「い、いえ、別に」


 早乙女さんが慌てて首をブンブン振る。

 

 必死の否定を前にして、俺はなだめる意図で口角を上げた。


「大丈夫、こんなことで気分を害したりはしないよ。あまり良いうわさを聞かないもんな」

「そう、ですね。お肉屋さんを襲撃したり、ペットや子供にまで菜食を強要する人がいたって話も聞きました。もちろん全員がそんな人達じゃないと分かってはいるんですけど」


 ヴィーガン。またの名を菜食主義者。


 道徳的観点から動物の搾取さくしゅを避けたライフスタイルを示す言葉だけど、過激派によるやんちゃのせいで良いイメージがない。


 道徳的観点を盾にして、非道徳的なことを繰り返す危ない集団。ヴィーガンというワードをそう誤認している人は少なくない。


 早乙女さんが告げた通りだ。ヴィーガンの全員が悪人じゃない。頭では分かっていても固定観念から脱するのは難しい。


 現に俺も固定観念に振り回された。あれほど奈霧と親しかったにもかかわらず母の仇だと思い込んだ。


 泣きじゃくって後悔した今だからこそ、もしもを考えて視野を広く保てる。


 一度過ちをおかした俺に誰かを責める資格はないけど、関わる人には同じてつを踏んでほしくない。


「せめて、俺達は決め付けで差別しないように気を付けよう」

「そうですね。でもその点は問題ないと思いますよ? 市ヶ谷さんと接して固定観念を一つくずせた気がしますから」

「と言うと?」

「実は私、市ヶ谷さんが少し怖かったんです。奇抜な髪の色をしてますし、放送室に籠城ろうじょうしたじゃないですか。でも助けを求めたらちゃんと話を聞いてくれて、せっかくの休日も私のために使ってくれて。やべー奴だと思ってましたけど、優しいなって」


 早乙女さんがうつむきがちに笑む。


 俺は目をぱちくりさせて、こらえきれずに吹き出した。


「な、何で笑うんですか?」

「いや、やべー奴って言葉を君の口から聞くとは思わなくてさ。パッと見て大人しそうなのに結構言う人なんだな」

「あっ⁉ ご、ごめんなさい! 普段はこうじゃないんですよ⁉ おしとやかで、落ち着きがあって、そう! 奥ゆかしい女子なんです!」

「奥ゆかしいって自分で言うのか」


 可笑しさで声が震える。店内なのに笑い声を抑えられない。


 こんなに心の底から笑ったのは本当に久しぶりだ。


「もう、市ヶ谷さん意地悪です……」


 早乙女さんが縮こまる。


 顔面から耳たぶまでれたりんごのように真っ赤だ。早乙女さんは中々にからかい甲斐のある女性らしい。


 びを入れたところで注文した品が届いた。木製の長方形が天板を鳴らして、眼前に色とりどりなスイーツが並ぶ。


 むくれていた顔が笑みで満たされた。


「可愛いーっ! これ、本当に全部クリームと卵を使ってないんですか⁉」

「そのはずだよ」

「やっぱりどう見てもケーキですよね⁉ すごーい!」


 早乙女さんがスマートフォンを取り出す。


 慣れた様子の撮影をよそに、俺は自分のスイーツに視線を落とす。


 濃緑のラテに同色のパンケーキ。茶葉の芳香が漂いそうな様相につばを飲む。


 皿を飾るのは、程よく盛り付けられた小豆やきな粉。食欲を減衰させがちな寒色を中和し、美味しく食べてもらうための工夫がうかがえる。


「たまにはこういうのも良いもんだな」

「こういうの?」

「独り言だよ。気にしないでくれ」


 今までの人生は、お世辞にも幸せとは言えなかった。


 それでも視野を広げれば楽しいことはあった。


 小学生時代の思い出が悪意で塗り固められていたとしても、その後の人生まで悪魔にけがされるとは限らない。客を想って盛り付けられた皿のごとく、この世にも少なからず善意はある。


 抹茶ラテの入ったグラスを握る。


 過去の過ちを自戒じかいするべく、うまみのある苦さを口内に流し込む。


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