第24話 君を信じよう
早乙女さんにチャットを送って、カフェで落ち合うことを提案した。
例の件が絡んでいると察したのだろう。すぐに返事が連ねられた。
一足先にラテを注文して席を取った。
スマートフォンの画面をタップする。
視界の隅で透明な板がスライドした。横目を振った先であどけない顔立ちに笑顔が浮かぶ。
早乙女さんがカウンターへと足を運び、店員と言葉を交わして縦長の容器を受け取った。その足で席に着き、飲み物に黄緑のスマートフォンをかざす。
飲食物を対象にした写真撮影を済ませて、早乙女さんが俺に向き直った。
「今日は誘ってくれてありがとうございます。一緒できて嬉しいです」
「喜んでいるところ悪いけど聞かせてほしいことがある」
「何ですか?」
思わせぶりな台詞を告げても早乙女さんの笑顔はくずれない。
この時間を本当に嬉しく思っていることが伝わってきて、胸の奥で罪の意識が渦を巻く。
呼び出した以上は引っ込みが付かない。本題を言葉にして発した。
「君は東朔高校のボードゲーム部にいたんだな」
息を呑む音が聞こえた。ストローを握る細い指がピクリと動く。
「調べたんですか?」
「ああ」
厳密には情報の断片から推測した。
早乙女さんと風間さんは東朔中学の出だ。証言から互いに因縁があることも知った。
その因縁が色恋沙汰じゃないことは確信していた。明らかに嘘を付いていた早乙女さんが色恋の話を持ち出したんだ。風間さんは粘着女の説を上げていたけど、二人の間に色恋沙汰があった可能性は除外していいだろう。
極め付けに、校舎で聞いた先輩の話だ。波杉先輩は名前や性別を隠していたけど、菅田先輩の方が口を滑らせた。
彼女は言った。「双葉に泣いて相談してきた後輩ちゃん」と。
仮に後輩が男子なら『後輩君』か『後輩』と称するはずだ。菅田先輩は男子のひざをなぞる系悪女だけど、男子をちゃん付けして呼ぶタイプじゃない。それは放送部に在籍していたから知っている。
俺が突き止めたのは、早乙女さんと風間さんの間にある因縁が色恋沙汰ではないこと。そして波杉先輩の後輩が女性であること。
これら二点だけじゃ事実の断定には至らない。後は早乙女さんが鎌かけに乗るかどうかが問題だったけど、すんなり白状してくれて助かった。
「君の過去を探ったことは謝るよ。でも騙されることにはトラウマがあってな、どうしても調べずにはいられなかったんだ」
「いえ、むしろ謝るのは私の方です。こちらこそ嘘を付いてごめんなさい」
早乙女さんが頭を下げる。
俺は顔を上げるように促した。
早乙女さんに謝ってほしいわけじゃない。俺は真実が知りたいだけだ。
「正直に言うよ。俺はどっちを信じればいいか計りかねている。俺に信じてほしいなら嘘を付いた理由を話してくれ。もう嘘はたくさんだ」
「……分かりました。全部話します」
消え入りそうな了承を聞いても気は抜かない。
どれだけ態度を繕っても嘘は吐けるんだ。早乙女さんの眉から指先まで気を配る。
「嘘を付いた理由でしたね。それは簡単ですよ、私がボードゲーム部に属していたことを知られたくなかったんです」
「飲酒事件があったからだな」
「はい」
未成年の飲酒。
殺人と比べれば羽毛のごとき軽い罪だけど、れっきとした法律で禁じられている行為だ。
罰が課されなくとも前科は前科。進学の際には不利になるし周りの見る目も変わる。知られたくないと考えるのは自然なことだ。
「飲酒したのは風間さんか?」
早乙女さんの顔がこくっと揺れる。
眼前の少女が本当に被害者なら、早乙女さんへの脅迫には口封じの意図が含まれている。
その辺りを想像するのは容易いものの、そうなると一つの疑問が浮かぶ。
「君が脅迫を受ける理由は分かったよ。でも普通立場は逆だよな? 下手に刺激したら、それこそ君に飲酒の件を暴露されかねないのに」
弱味がある者と握っている者。
後者の方が優位に立つのは当たり前だ。飲酒の罪を知っている早乙女さんは、罪を犯した風間さんよりも優位な立場にある。
でも俺の知る早乙女さんは他者を脅せる人じゃない。暴露を恐れたにしても、せいぜい言葉で釘を刺す程度に収めるはずだ。
「風間さんの行動は行き過ぎている。どうして彼はそこまで君を怖がるんだ? 君が口の軽い人だと確信するような出来事があったってことか?」
「多分認識がずれてます。風間さんは、私に出て行ってほしいんですよ」
「出ていくって、請希高校からか?」
「はい。そもそも風間さんが暴露を恐れる必要はないんです。公には飲酒した記録がないんですから、すっ呆けていれば良いだけですし」
「どういうことだ? 風間さんはお酒を飲んだんだよな?」
「はい。この目で見たので間違いありません。でも飲んでなかったことになったんです。証拠が出なかったし、他の飲酒者も証言しなかったらしくて」
事情が何となく見えてきた。風間さんが脅す理由は間違いなくそれだ。
前科があるから怖いんじゃない。早乙女さんの証言がきっかけになって、再調査が始まることを恐れているんだ。
口封じに成功した生徒も、風間さんと離れている現状では何と答えるか分からない。下手をすると風間さんの経歴に傷が付く。多少のリスクを踏まえても圧力をかける動機は理解できる。
何せ早乙女さんは独りで抱え込むタイプだ。
知り合いに相談せず、悪評のある俺に接触を図ったことがその証明だろう。ずっと独りで悩んで苦しんで、でも悩ませてしまうから友人や家族には相談できない。
そこで俺に白羽の矢が立った。
赤の他人で危ない人物。はっきり言って、悩ませても良心が痛まない相手。
俺の人格次第では、早乙女さんに無茶な要求をする可能性もあった。
言うことを聞かなければ風間さんの飲酒を広める。嫌がらせがエスカレートするかもな、と早乙女さんを脅すこともできた。そのリスクを踏まえると軽率としか言いようがない。
もはや早乙女さんには、まともな思考能力が残っていないのだろう。
風間さんも、早乙女さんは口外しないと確信したから脅迫行為におよんだに違いない。相談相手が俺で本当に良かった。
意図せず拳に力が入る。
まだだ、これはまだ早い。感情に突き動かされた末の行動はろくな結果を招かない。
「差し支えなければ、ボードゲーム部のその後について教えてくれないか?」
「いいですよ。飲酒した部員は停学になって、部も活動停止になりました。一応私も頑張ったんです。真面目に活動してる部員もいましたし、私にできることはしたつもりです。でもボードゲーム部は廃部になりました」
早乙女さんの声が微かに揺れた。プラスチックの容器がきしむ。
「結局、私には何もできなかったんです。先輩が大事にしてた部活なのに、相談にも乗ってもらったのに。先輩が積み上げたもの、私が全部台無しにしちゃった……」
幼さを残した顔立ちが目に見えてゆがんだ。周囲の談笑に混じってヒソヒソした声が鼓膜を刺激する。
何も知らない人から見れば、俺が早乙女さんに別れ話を切り出したようなシチュエーションだ。
外野の浅い思い込みのおかげで、俺は憤怒の情に呑まれる事態を回避できた。
周りの反面教師に感謝を捧げて言の葉を紡ぐ。
「君の先輩の名字を聞かせてくれないか」
早乙女さんが鼻をすすってこくっとうなずいた。
「波杉、です」
ラテの容器に腕を伸ばして仲の液体を口に含む。
まぶたを閉じて背もたれに体重を預けた。苦味で思考をリセットして、深く空気を吸い込んで、吐き出す。
真実はいまだ闇の中。ここで判断するのは早計だ。
その他諸々の理屈を香ばしい液体とともに飲み下してあごを引いた。
「決めた、君を信じよう」
早乙女さんが目を丸くした。
「いいん、ですか? 私が言うのも何ですけど、信じるなら裏を取ってからでも遅くないと思いますよ?」
「どう裏を取るんだ? ボードゲーム部に所属していた連中に聞き込みでもするのか? 日本の警察を出し抜くくらい慎重に立ち回ってる奴だぞ? とっくに手を回されているさ」
「それは」
早乙女さんが口をつぐむ。
沈黙は肯定と同義だ。
そもそも証拠があるなら警察が立件している。俺達が風間さんに正規の罰を下すのは不可能に近い。
脅迫の方は立件までこぎ着けられるかもしれないけど、適当な言い訳で程々の処分に落ち着くのは容易に想像が付く。
今度はその報復に怯える毎日が待つだけだ。そんなものを解決とは言わない。
俺の目には、早乙女さんの限界が近いように見える。俺の実体験を踏まえると、早乙女さんが行き付く先は不登校だ。
人によっては、逃げることはできたからひとまず安心と告げるかもしれない。
勘違いしてもらっては困る。一線を超えるから不登校になるんじゃない。一線を超えたから校舎に足が向かなくなるんだ。これが現実になった時、早乙女さんの心には深い傷が刻まれているはずだ。
早乙女さんの心にヒビが入るまでに風間さんが尻尾を出す保証はない。
警察が動くのは大体事が終わってからだ。法治国家と謳ってはいても、究極的には自分の身を守れるのは自分しかいない。
「俺から一つ案がある。驚かないで聞いてくれ」
最優先に為すべきは現状の解消。警察にはできないが、今の俺にならできる。
早乙女さんを百パーセント信用したわけじゃない。実は風間さんの言葉が真実で、早乙女さんが悪女である可能性も捨てきれない。
騙されるのは嫌いだ。うんざりしている。
俺の幸せは悪魔の虚構に壊された。復讐者から足を洗ってさえ嘘という概念が疎ましい。
それでも、また人を信じてみることにする。
一時期上下関係があった。それだけの間柄にもかかわらず気に掛けてくれた人がいた。後悔に沈む俺の頬を言葉で引っぱたいて、叱ってくれた人がいた。
そんな彼女らが可愛がる後輩なら、騙されても仕方ないと思えるから。