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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
1章
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第2話 復讐のピース


 ほおに衝撃が走る。


 砂の地面にしりもちをついた。おしりのいたみをこらえて顔を上げると、いじ悪く笑う上級生と目が合った。

 

 体が大きい上に二人いる。けんかしても勝ち目は薄い。


 どうしてからまれたのか分からない。近づいてきたと思ったら、突然あれこれ言われてこのザマだ。


 なぐられた理由は気になるけど、今さらそれを聞く発想はない。


 なぐられた、だからなぐる。こいつらにはそれで十分だ。

 

 今度はぼくが右腕を振りかぶる。


 こぶしは当たったけど、次の瞬間には横から衝撃が来た。


 二人目にほおを張られて再び地面に倒れ込む。


「一人で勝てるわけないじゃん」


 通った響きの声があった。


 場にそぐわない声色に驚いて、上級生の存在もわすれて振り向く。


 同い年の少女が立っていた。明るいくり色の髪を頭の後ろで結って、小動物の尻尾を作っている。


 半そでに短パン。教室で見たことはあるけど、言葉を交わしたことはない女子だ。


 クラスメイトの女子に、自分がなぶられるところを見られた。はずかしさで耳たぶから火が出そうだ。


「手を貸そうか?」


 助けの手まで差し伸べられた。


 くつじょくだ。


 上級生になぐられたからって、女子に手伝ってもらうなんてださすぎる。ぼくをなぐったばかどもが、それをネタにあざけり笑うのは目に見えている。


 笑い者にされるのはごめんだ。ほおの痛みをこらえて腰を上げた。


「いらないよ、お前の助けなんて」

「そう。じゃあ手を貸してよ」

「え?」


 とまどい混じりに振り返る。


 栗色のひとみはぼくを見ていない。形のいいまゆを寄せて上級生をにらんでいる。


「昨日そいつらにいやがらせされたの。なぐりたいから手を貸して」


 ぼくは目を見開いた。


 身なりのきれいな女子から、そんな乱暴な言葉が飛び出るとは思わなかった。


 呆然とするぼくの背後で、鼻から空気を抜いた音が鳴る。


「なぐる? お前がオレたちを? やってみろよ!」


 できるわけない。上級生がそう言いたげに小さな勇気をあざ笑った。


 ぼくの口角が勝手に浮き上がった。口からハッと小ばかにした空気がもれる。

 

 体が大きいだけの上級生よりも、今日初めて言葉を交わしたクラスメイトの方が大人びて見える。そのギャップが可笑しかった。


「あ? 何笑ってんだよ」


 上級生がまゆの間にしわを寄せる。


 不機嫌そうなあいつらは無視してクラスメイトの女子に視線を向けた。


「結構やんちゃなんだな。いいぜ、手を貸してやるよ」

「ありがと」


 振り返って上級生の目を見据える。クラスメイトが肩を並べる。


 戦友ができた。何とも言えない高ぶりに口の端っこをつり上げて、再度上級生との距離を詰める。


 この日から、単なるクラスメイトは奈霧有紀羽という友だちになった。


 ◇


 上級生による部活勧誘が解禁された。


 時刻は放課後。勧誘の役目を担った部員があっちこっちで声を張り上げる。体の大きな男子やそでをまくった女子が、新入生を見つけては歩み寄る。


 発せられるのは青春のエネルギー。学生生活を謳歌せんとする少年少女が、こぞって熱気ある空間に身を投じる。卸売場おろしうりばりを数段華やかにしたような光景だ。


 窓越しに口元を引き結ぶ。


 校舎の外で繰り広げられるお祭り騒ぎを見ていると、お前はこの場にいるべきじゃないと告げられている気がする。


 俺たちを見るな、どこかに行け。


 誰も口にしていないし、声なんて聞こえる距離じゃない。なのに誰かが俺を非難している。


 知ったことか。


 俺は目的のために多くの時間と労力を捧げた。周りも努力したのは承知の上でここに立っている。今さらどうして他者に気を使わなければならないんだ。


 開き直って足を前に出す。


 かの文豪、芥川龍之介は言った。「我々を恋愛から救うものは、理性よりも多忙たぼうである」と。


 恋愛は大量のエネルギーを消費する。失恋時には多大なストレスがかかる。


 情緒不安定な状況に振り回されるのは、物事を思考する余裕が残っているからだ。苦しみから逃れるには多忙で思考能力を奪うべきだといている。


 俺も同意見だ。動いている間は余計なことを考えなくてすむ。


 ゴールは一つ。やるべきことは決まっている。


 ならば立ち止まる理由はどこにもない。手の甲で放送室のドアを三回叩いた。


「どうぞー」


 ドアの向こう側から間延びした声が上がった。

 

 俺はドアノブに指を掛けて手前に引く。


「こんにちは」


 落ち着いた微笑に迎えられた。


 上級生だろうか、学生にしては大人びた少女がチェアに座っている。


 艶で輪を描く黒髪に、対照的な白い肌。


 この度を超えたセクシーさは、入学式に見た奈霧には見られなかった。ほのかに残る年頃の未熟さも期間限定といった感じで目を惹く。


 俺があいさつを返す前に、部屋の奥で毛髪のふさが跳ねた。無防備なふわっとした揺れが子犬の尻尾を想起させる。


「いらっしゃいなっ! 入部希望者かね?」


 線香花火のごとく笑顔が弾けた。小さな体が茶髪を振り乱して床を駆ける。


 二つ合わさった細長いテーブルをうかいして跳躍。ダンスじみた派手さをはらんで俺の眼前に着地した。


 宙を飾る火の粉のごとき騒々しさだ。小さな顔はあどけなさ満載。邪気のない笑顔がさらに幼い印象を醸し出す。


 ダイナミックな肉迫には気圧されたけど、ここで臆しては話にならない。


 俺は笑顔に努めてうなずいた。


「はい。入部希望で来ました」


 幼い顔がぱぁーっと明るみを増した。


「それは素晴らしいっ! ささ、どうぞどうぞ座ってたもれ!」


 小柄の女子が身を翻してテーブルに駆け寄る。近くの椅子を引いて、背もたれをぺしぺしと叩く。


 きびすを返したらどんな反応をするんだろう。慌てて背中にしがみついてくるだろうか。もれ出る泉のごとく興味が湧く。


「では失礼して」


 俺は一直線に椅子へ向かった。


 相手は先輩。しかも初対面だ。新入生におもちゃにされて良い気分はしないだろう。


 悪戯心を抑えて椅子に腰を下ろす。


 室内には小物が散在している。誰の私物なのか、電気ケトルや茶筒に混じって兎のぬいぐるみも見られる。


「他の部員は新入生の勧誘に行ったんですか?」

「そうだよ。今頃は新入部員獲得のために走り回ってるんじゃないかな。知らんけど」

「知らんのですか」

「だって監視ドローン飛ばしてないし、サボったってばれないよ。私だったら校舎の隅でジュース飲んでたかも」


 大人びた方の先輩がせんべいをつまむ。


 意外だ。この先輩は紅茶とケーキしか口にしない印象があった。妖艶さの中にラフさを感じて、不思議と胸の内が熱を帯びる。


 しかし校舎の隅でジュースか。


 目の前のセクシー系お姉さんが、地面にあぐらをかいてジュースを飲む姿を想像する。


 色んな男子の夢を壊しそうな光景だ。けしからん。


「先輩は意外と子供っぽいんですね」

「よく言われる。私は二年の菅田真樹」


 何の脈絡もなく自己紹介が始まった。


 小動物チックな少女が腕を上げる。


「わたし波杉双葉! 君は君は? 何者だね!」 


 波杉先輩がムンッと鼻息を荒くした。


 ここまで熱心に聞かれると、俺の存在が肯定されているみたいでほわほわする。この笑みを見られなくなる日がうとましい。


「俺は市ヶ谷釉です」

「市ヶ谷君ね! 待ってて、お茶()れたげるこのわたし!」

「私リンゴジュース」

「そんなものはないっ!」


 波杉先輩が電気ケトルの前で足を止める。茶筒を手に取り、スプーンと測りを使って重さを数値化する。


 線香花火のような印象とは裏腹に、お茶は意外と本格派のようだ。


 番茶? 煎茶? それとも抹茶? いずれにしても母方の祖父の家にお邪魔して以来だ。


「市ヶ谷さん。放送部が何をする部活か知ってる?」

「お昼休みにあれこれしゃべる部活ですよね?」


 だから放送部を志願した。それができないならここにいる意味はない。


「合ってるけど、それだけじゃないよ。各行事でのアナウンス、音響調整、短編映画を作って大会に出たりもする」

「やることがたくさんあるんですね。知りませんでした」


 菅田先輩がおどけた様子で肩を上下させた。


「そうだよー。地味な発声練習を繰り返すし、体力を付けるためにグラウンドを走ったりもする。よくアナウンサーみたいな体験をしたいって理由で入る子がいるんだけど、そういう子は大抵練習で音を上げて消えるね」

「戦場に出た兵隊の気分を味わえるわけですか」

 

 菅田先輩が目をしばたかせた。


「んーと、どゆこと?」

「新兵は呼吸も体力を使うと知って驚くみたいです」

「へぇ。まあそれに近い体験はできるかもね。私も入りたての頃は辛かったなぁ。体力ついてからは苦に感じなくなったけど」


 ランニングに発声練習もするとなれば、放送部の部員で居続けるには相当な体力が必要だ。


 室内にいる二人は、見かけによらず体力があるということになる。


「つまり先輩方はマッチョなんですね」


 菅田先輩が目を丸くした。


「マッチョ! 女子に何てこと言うんだ君はーっ」

「一応ほめたつもりなんですけど」


 筋肉は脂肪よりも重い。体重が増える点に注目して、ダイエットに筋力トレーニングを避ける人は多いと聞く。


 だけどスラッとしたモデルは例外なく筋肉をつけている。走って、器具で肉体を鍛え上げて、中にはプロテインを飲んで維持に努める人もいる。


 低体重ても均整が取れていない容姿と、少し重くてもすらっとしている容姿。


 どちらが世間で評価されるかなんて、わざわざ言葉にするまでもない。


「誉め言葉のセンス皆無だよ君」


 白い頬がぷくーっと膨らんだ。子供っぽい抗議を前に苦笑する。


 水を足すような音が鳴った。香ばしくも品のある匂いが室内を満たす。


 振り向くと波杉先輩がきゅうすにお湯を注いでいた。


「お茶入りましたよんよんよん」


 跳ねるような声に遅れて、茶碗を乗せた茶托ちゃたくがテーブルの天板を鳴らす。


 透明感のある暗褐色の液体が波打つ。匂いと色からして番茶だ。あのほろ苦さは癖になる。


「聞いてよ双葉ぁーっ。この一年生、私たちのことマッチョだって」


 すがるような声に笑顔が向けられた。


「いいですねマッチョ! 何かこう、ムッキーって感じで!」


 ふんっ、と波杉先輩が両腕を掲げる。


 前腕と上腕が六十度を描くものの、隆起すべき山は見られない。


 波杉先輩のそれは、菅田先輩が望むリアクションじゃなかったのだろう。整った顔立ちにしぶい表情が浮かんだ。


「しまったぁ、双葉はこういうキャラだった」

「もしかしなくてもバカにされてますねわたし」

「プロテイン飲む?」

「飲む飲む!」


 筋肉が全てを解決した。波杉先輩がるんるんとステップを踏み、椅子を引いて座に腰を落ち着ける。


「菅田先輩はプロテインを飲むんですね」

「うん。プロテインは美容にも効くからね。ところで私のリンゴジュースは?」

「そんなものはないっ!」

「お金渡したらパシられてくれる?」

「わたしはパシらん。部室に住む妖精なのです」


 パシらん。


 放送室に出没する、少女の姿をした妖精。友人の頼みと言えど決してパシらん存在らしい。


 どんな妖精だ。俺のツッコミを待っているのか?


「けちー」


 菅田先輩がごねた。その様子を見て小さい体が愉快気に揺れる。


 容姿は正反対だけど仲の良さそうな二人だ。活動内容は大変だと言いつつも、充実した学生生活を送っているように見える。


 まさに理想的な青春模様。二人の笑顔が、晴天にいただく太陽のようにまぶしい。


 目を焼き焦がされる錯覚を受けて目をらす。


「ごめん、話が逸れたね。うちの部活動は地味なわりに大変だけど、それでも入部してみる?」

「はい」

「即断だねぇ。少しくらい悩んでもいいんだよ?」

「大丈夫です。意思は変わりません」


 悩んで、頭を傾げて、その末に俺はここにいる。


 あれこれ考える段階はとうに過ぎた。元より俺は復讐者。為すべきことを為して離脱するだけだ。


「かっくいいですねぇっ! わたしも一度でいいから、それ言って上級生に啖呵たんか切りたいものですよぉ」


 波杉先輩が体をくねらせる。


 感嘆しているように見えるのは、きっと俺の気のせいじゃない。彼女は芳樹のお仲間のようだ。


「かっくいいって。やったね」


 菅田先輩が顔を近づけてささやいた。耳をくすぐった息づかいにぞくっとして反射的に無表情をつらぬく。


 ここで初々《ういうい》しく反応したらおもちゃにされる。そんな直感があった。


「茶化さないでくださいよ」


 一つ覚えた。菅田先輩に隙を見せると手の平の上で転がされそうだ。これから先、色んな意味で気を引きしめなければ。


 悪女の幼体が小気味よく笑った。


「ごめんごめん、ようこそ放送部へ。歓迎するよ市ヶ谷さん」


 しなやかな腕が入部届を差し出した。一枚の紙切れが悪魔との契約書に見える。


 俺の主観が視界を濁らせているだけだ。目の前にあるのは先輩の親切心。断る理由はない。


 俺は口角を上げて用紙を受け取る。


お読みくださりありがとうございます。


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