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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
2章
19/183

第19話 無かったことにしないでくれ


 起床して布団をたたむ。


 ジャージを脱いでラフな私服を身にまとった。朝食に備えて身支度をすませる。


 時刻を確認して食堂に足を運んだ。他のスタッフと顔を合わせて朝食にありつく。


 食器を握る手を動かしているとテーブルの上に紙が置かれた。


 夜に肝試しとキャンプファイヤーをやるらしい。遊ぶ小学生をよそに準備をしろとのお達しだ。


 是非ぜひもない。元よりそのつもりでこの場にいる。


 先日話した策を脳内でシミュレーションする。


 自由時間が始まり次第単独で動いた。前日仲良くなった児童に接触して対象の居場所を聞き出す。


 向かった先で黒髪の女の子を見つけた。笑顔を心がけてフレンドリーに声を掛ける。


 興味を向けてくれそうな話題を振り、仲むつまじく見えそうな程度にリアクションを取る。


 小さな人影が視界の隅をかすめる。


 適当なところで話を切り上げて、女児こと帆苅ほかりさんに背を向けて別れた。


「おい」


 歩を進めるうちに無愛想な呼びかけが上がった。


 振り返ると案の定男児の姿。昨日帆苅さんに素っ気ない態度を取って、立ち去る際に振り向いた少年だ。


「俺に何か用か?」


 態度はつくろわない。ここから先に偽りは不要だ。


「お前、帆苅と何を話してたんだよ?」

「プライベートな話だ。君には関係ない」


 小さな眉がピクリと跳ねた。


「は? 関係ならあるし」

「無いだろう。昨日蚊を払うように突き放したじゃないか、可哀想に」

「だ、誰もそんなひどい追い払い方してないだろ! とにかく、もうあいつには近付くなよ」


 男児がきびすを返す。


 用は済んだと言わんばかりの態度にいらっとした。


「いいや近付く。仲むつまじくしゃべるよ、帆苅さんと」

 

 男児が足を止めてバッと振り返った。

 

「は⁉ お前、さてはロリコンだな!」

「ロリコンじゃないさ」

「嘘つけ!」

「しつこいな。別にあの子は取らないから安心しろ」

「ほ、帆苅のことは、今はどうでもいいだろ!」


 男児の顔がれたりんごのように赤く染まる。


 さすがに若い。ちょっとあおればすぐ感情を表に出してくれる。


 他者を手の平の上で転がす優越感。あの悪魔は、こんな気分で俺と奈霧をもてあそんでいたのだろうか。

 

 足を前に出す。


 男児の体がピクッと跳ねた。


「な、何だよプリン頭、やんのか?」

「プリン頭じゃない。俺のことは市ヶ谷さんと呼べ」

「さんづけ強要かよ」

「呼び方なんて何でもいいさ。それより聞かせてくれ、どうして帆苅さんに冷たくするんだ? いい子なのに可哀想じゃないか」

「お前には関係ないだろ」


 男児がそっぽを向く。


 俺に関係ないのは間違いない。俺はボランティアのスタッフとしてこの地に立っている。任が解かれればそれまでの仲だ。


 彼らがどんな青春を歩むのか、そんなことは俺の知るところじゃない。


 それでも彼らを放ってはおけない。


 放って、置きたくない。


「関係ならある。俺には君の未来が見えているんだ」


 気恥ずかしさが俺の体温を上昇させる。


 佐田さん辺りの前で告げようものなら、間違いなく中二病あつかいされる台詞だ。穴があったら入りたい。


「未来が見えるって、お前本気で言ってんの?」

「本気だ」

「だったら試しに予知してみせろよ」

「それは無理だ。俺は超能力者じゃないからな」

「やっぱ嘘じゃん」

「嘘じゃない。予言するよ、このままだと君は絶対後悔する」

「どうしてお前にそんなことが言えるんだよ」

「俺が後悔してるからさ。俺と君はよく似ている」

「似てるって、どこが」

「俺にもいたんだよ。仲のいい幼馴染の女の子が」


 いぶかしむような視線が鳴りを潜めた。


「……お前にも、帆苅みたいなやつがいたのか?」

「ああ、いた。一緒に砂の城を立てたり、テストや駆けっこで競争したりもした」

「めっちゃ仲良いじゃん。その幼馴染とはどうしてんの?」

「赤の他人になった」


 息を呑む音が聞こえた。小さな指がぎゅっと丸みを帯びる。


「けんかでも、したのかよ」

「もっと酷いことをした。始まりはちょっとした誤解だったんだ。俺は真偽を確かめようともせず、人としてやってはいけないことをした。短くない時間を一緒に過ごしたのに、俺は幼馴染を信じ切ることができなかった。俺の不甲斐なさが大切な関係を壊してしまったんだ」


 沈黙が場を満たす。


 わんぱく盛りな子供ながらに、ふざけて聞くべき話じゃないと察したのだろう。そうであってくれとせつに願う。


「君は、帆苅さんのことは嫌いか?」


 少年が首を左右に往復させる。


「嫌いじゃないよ。でも、あいつと仲良くすると友だちにからかわれるし」

「あの子をないがしろにしてでも、その友達とやらと一緒にいたいのか?」

「別に、ないがしろになんて」


 男児の視線が逸れる。


 十中八九嘘だ。これだけ分かりやすい反応をされれば素人目にも分かる。


 大丈夫だ。無意識にでも自覚しているなら、まだ助けられる。


「君にそのつもりがなくても、帆苅さんがそう思っているとは限らない。理不尽に何度も突き放したらいずれ愛想を尽かされるぞ?」

「突き放して離れるんなら、その程度の関係ってことだろ」

「じゃあ君は、あの三人の友人に拒絶されても根気よく歩み寄れるか? それを実行するのに、どれだけの勇気がるか想像できるか?」


 問うまでもなく答えは分かる。この男児にそれができるはずはない。


 彼は仲間外れにされることを何よりも恐れている。だから幼馴染を突き放してでも居場所を守ろうとした。心のどこかで、帆苅さんなら許してくれると甘えているんだ。


 でもそれは駄目だ。


 俺がいじめに耐え兼ねてふさぎ込んだように、心は見えないながらも確実にすり減る。


 男児の周辺が落ち着く頃には、帆苅さんの心がどんな形に変性しているか分からない。


 だからこそ今なんだ。


 昨日でも明日でもない、彼らの分水嶺ぶんすいれいはここにある。


「なんだよ……おれが悪いってのかよ」

「それは君が一番よく分かっているはずだ」

「好き勝手言ってんなよ! 友達にからかわれた時の気持ちがお前に分かるのかよ⁉」

「分かるさ。言っただろう? 俺にも幼馴染がいたって。君のようにその子を突き放しはしなかったけど、自分からつながりを断つって意味じゃ同じことだ。俺みたいに成り果てるかどうか、君はその分岐点にいるんだよ」

「自分の失敗をたなに上げて説教かよ。いいご身分だな」

「何とでも言え。俺は君の親でも先生でもない。最後に決めるのは君だ。でもいいのか? 冷たくあしらわれてもえんを保とうとする帆苅さん。片や面白がって君達の仲を裂こうとする友人もどき。君の人生を豊かにするのはどっちだ?」

「嫌な言い方すんなよ! もどきじゃない、あいつらは――」

「俺にはもどきにしか見えないんだよ!」


 意図せず声に熱が乗った。男児が気の毒になるほど身を震わせる。


 罪悪感がこみ上げるものの、ここで謝ったら言いたいことを言えなくなる。


 俺は勢いに任せて思いの丈を吐き出した。


「君達はまだ子供だ! 自分が何をしているのか理解できていないし、やったことに対して責任も取れない! 断言する。帆苅さんが君から離れても彼らは責任を取らない。むしろ数年後には好意を告げて、帆苅さんと彼氏彼女の関係になっているかもしれない。それが現実だ、ここはそういう世界なんだよ! その時君は友人を恨まずにいられるか? 彼らの隣であの子が笑う未来を、君一人背後から黙って見守れるのか? 俺にはできなかったぞ。元凶を恨んで、憎んで、幼馴染を疑った自分を恥じて嫌悪して後悔した! 君はこう成りたいか? 俺みたいに、毎日を悔やみながら生きることを望むか?」


 男児が目を伏せる。


 静寂を経て小さな指がぎゅっと角ばる。


 想像したのだろう。帆苅さんが自分以外の男子と肩を並べて歩く姿を。その横で笑う、帆苅さんを突き放すように仕向けた三人の内の誰かを。


「なぁ、頼むよ。俺のあやまちを無かったことにしないでくれ。この間違いだらけの人生にも意味はあったと、そう思わせてくれないか?」


 声が情けなく震えた。衝動に突き動かされて頭を下げる。


 泣き出しそうな子供を想起する響きだけど、羞恥しゅうちは微塵もわき上がらない。


 胸の内で渦巻く後悔と懇願を目の前の少年に叩き付ける。今はそれ以外どうでもいい。


「いいよ」

 

 返答があった。俺はおもむろに顔を上げる。


 男児が小生意気に口端を吊り上げる。


「仕方ねーな。そこまで言うなら、おれがお前の人生に意味をくれてやるよ」


 上手くいった。そんな安堵あんどがあった。


「……ありがとう」


 緊張が切れて口元が緩む。


 男児が救われたところで、俺を取り巻く現実は変わらない。


 だけど俺がおかした過ちで眼前の少年は救われる。つまらない擦れ違いで破綻する未来を回避できる。


 ふと昇降口での出来事を思い出す。


 俺がまだ復讐を考えていた頃、早退する奈霧と鉢合わせた時があった。


 その帰り道に、奈霧は失恋時のアドバイスならできると言っていた。当時の幼馴染は今の俺と同じ心持ちだったんだろうか。


 だとしたらちょっと嬉しい。


「話が終わりなら行くぞ?」

「ああ、時間を取らせて悪かったな」

「気にすんな。じゃあな」


 男児が背を向けて走り去る。


 小さくなる背中が、俺にはやたらと大きく見えた。


 




 夜のとばりが下りた。


 大地をあまねく照らす天体が没し、樹木立ち並ぶ景観が暗がりに沈んだ。


 夜空に煙が立ちのぼった。乾燥した幹をかてにして紅蓮の揺らめきが夜闇を暴く。


 小さな男女が灼熱の穂を称えるように取り囲み、手をつないでステップを踏む。


 その中には帆苅さんと例の男児もいた。笑顔と照れくさそうな表情が並ぶ光景は何とも微笑ましい。


「あの子達、仲直りできたんだね。よかったーっ」


 金瀬さんが間延びした声を伝播させる。


 昨日は男子グループにぷんぷんしていたけど、年増呼ばわりされたことを忘れたようにからっとしている。


 佐田さんが両手をぐっと握りしめた。


「あいつぅ、俺達を差し置いてあんな可愛い子と手をつなぎやがって。うらやましいねたましいずるいなぁちくしょう!」

「小学生に嫉妬してないで佐田も彼女作れば?」

「うるせーっ!」


 声を張り上げる佐田さんには目もくれず、金瀬さんが俺に微笑みを向けた。


「あれって市ヶ谷さんのおかげだよね? 何をしたの?」

「俺は何も。あの男子が勝手に動いただけだ」


 物事を変えるには主体的な行動あるのみだ。


 俺は最悪の可能性を提示しただけ。それを危惧きぐして動いたのは、炎を背にして踊る少年だ。褒められるべきは彼以外にいない。


「またーそんなこと言って。あの子が自分の意思で帆苅さんに歩み寄るわけないじゃん。どう見てもそういう雰囲気じゃなかったし」

「分かるのか?」

「分かるよー。私も男子によく意地悪されたもん」


 意外だ。金瀬さんは周りを見ない奔放ほんぽうなタイプだと思っていた。


 ふわふわした雲のように見えて、意外と根っこはしっかりしているのかもしれない。


「ねえ、市ヶ谷さんはどうしてこのボランティアに参加したの?」

「内申点を稼ぐため以外に理由があるのか?」

「それなら市ヶ谷さんはもう十分にやってるでしょ? あの二人のトラブルだってそう。あの手のすれ違いなんてそこら中にあふれてるのに、一つ一つ介入してたらキリがないよ」


 否定はしない。それもまた真実だ。


 俺達が知らないだけで、社会には佐郷のようなダークエンパスが潜んでいる。


 俺の両親のように、一度は生涯しょうがいの愛を誓い合った関係でさえ決裂する。世界にはそんな悲劇がはびこっている。


 それでも社会は止まらない。


 毎日太陽がのぼって沈むように人々が歩んで世界は回る。俺の心が痛む痛まないにかかわらず周りは進むんだ。


 だったら思い悩むだけ損だろう。それをうたう金瀬さんは間違っていない。


「でも俺は、あの二人を放って置きたくなかった。介入した理由なんてそれで十分じゃないか?」

「市ヶ谷さんは優しいんだね」

「やめてくれ。俺はそんなんじゃない」


 いたたまれなくなって顔を背ける。


 俺はあの男子を利用しただけだ。


 二人には将来もっと良い出会いがあったかもしれないのに、俺は自分のエゴでその可能性を潰した。


 間違いだらけの人生にも意味があったと、そう思いたいだけの自己満足に二人の児童を巻き込んだ。そんなクズが優しい呼ばわりされるのは間違っている。


 金瀬さんがスマートフォンを取り出した。


「市ヶ谷さん、連絡先交換しない?」

「ごめん。俺はその手のアプリが嫌いなんだ」

「それは残念。じゃあこれからは、お友達として仲良くしてくれると嬉しいな」


 俺は微笑みで応じる。


 言葉は返さない。この身は断罪待ちの身だ。


 俺が奈霧にした行為は唾棄だきすべき悪。手を染めた俺は罰を受けなければならない。


 でも俺の境遇が境遇だ。知った人が俺に同情して、いずれ告発するであろう奈霧を責めるかもしれない。


 そんな事態を招くくらいなら友人はいらない。罪業ざいごうを抱いて罰を受ける。それが過ちをおかした俺のハッピーエンドなのだから。


 立ちのぼる煙を追って夜闇を仰ぐ。


 せめて、地に影落とす男女の未来に幸せがありますように。


 言葉もなく、ただ祈る。


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