第184話 自分のため
あの日から華乃井さんとは会っていない。
霞さんもあれから笑顔を失っている。
憧憬のまなざしを向けてくれた相手にすごい目で最低と告げられたんだ。その心境は察するに余りある。
「霞さんと華乃井さん、どうすれば仲直りできるのかな」
弱々しい声が室内の空気に溶けた。
事態の発端は奈霧のつぶやきだ。事情を知らなかったとはいえ引き金になったのは事実。仲をこじらせた責任を感じているに違いない。
「私が答え方を間違ってなかったら、二人は今も笑ってたのかな」
「どうだろうな。俺からすればむしろファインプレーとすら思ったけど」
「それ皮肉?」
奈霧に目を細められた。
「皮肉じゃない。ある意味怪我の功名だと思うよ。華乃井さんが写真をSNSに載せて情報を募ったらもっと悲惨なことになっていた。霞さんは自白するタイミングを失うし、今以上に状況が悪くなってただろうさ」
罪を暴かれることと、自らの口で告白することには天と地の差がある。
咎から逃れようとする罪人に好印象を抱く人はいない。
仮に俺が奈霧との初デートで罪業を包み隠していたら、いずれ俺達の関係は思わぬ形で破綻していたに違いない。少なくとも涙ながらに追い掛けてきてはくれなかっただろう。
今回もそれと同じだ。
意図した暴露じゃなかったにせよ、奈霧のおかげで霞さんは罪を自白するきっかけを得た。正しさを妄信する華乃井さんのことだ。自白ではなく自ら暴く形になっていたらと思うとゾッとする。
二人の仲を修復できるかどうかは分からないが、それでも首の皮一枚はつながった。最悪は回避できたと考える方が生産的だ。
「意地悪な質問していいか?」
「意地悪な釉くんは嫌い」
「そう言うなよ。今回の件で冤罪だったことを知る人物が一人増えた。気分はどうだ?」
「本当に意地悪だね」
奈霧が瞳をすぼめる。
視線を逸らさずにいると、奈霧がおもむろに口を開いた。
「本音を言うと、少しだけほっとしてる。通信教育で学んだことも多いから、先生との縁を切られたら困ってたと思うし」
微かに目を見張る。
また目を細められた。
「何その顔」
「いや、正直に話してくれるとは思わなかった」
「自分で言っておいてひどくない?」
「後でパフェ奢るから許して」
「そこまで言うなら許してあげる」
口ぶりとは裏腹に口元が緩んでいる。
さては俺の恋人、ちょろいのかもしれない。
「何にしても、後は二人の問題だな」
「仲直りを手伝ってあげないの?」
「頼まれれば協力はするけど、今回は完全に身から出た錆だからな。奈霧が優しいから大事にならなかっただけで、本来は実績や伏倉の名が揺らぐレベルの話なんだ。霞さんは一度猛省した方がいい」
「釉くん、もしかして怒ってたの?」
「怒ってたら悪いか?」
奈霧が霞さんを赦したから感情にふたをしただけだ。恋人があんな目に遭わされて怒らない彼氏がどこにいる。
「ふ~~ん」
奈霧が意地悪気に口端を吊り上げた。
「何だよ」
「別にー? 私愛されてるなーって」
「その言い方はやめてくれ。こっ恥ずかしいから」
バツが悪くなって視線を逸らす。
「ねえ、今度金瀬さんに自慢していい?」
「絶対やめろ」
「だめ?」
「駄目。したら怒る、もうこれ以上なく怒る。大体そんなことしたら金瀬さんだって怒るだろ」
「そう? ナナだったら、私も市ヶ谷さんに愛されたーいって要求するんじゃないかな」
確かに。想像するのはすさまじく容易だ。
それはそれで別の問題がある気もする。
「奈霧はいいのか? 俺が金瀬さんにその、愛を要求されても」
「そんなの今さらだよ。一度だって金瀬さんに二度としないでって怒ったことないでしょ?」
「まあな。じゃあ金瀬さんに要求されたら、とりあえず愛をささやいとけばいいのか?」
「んー? だめ」
「駄目なのかよ」
思わず突っ込んでしまった。
奈霧の方は素知らぬ顔だ。
「当たり前でしょ。彼氏が他の女の子に愛をささやくって、それもう浮気じゃない」
「さっき自分がなんて言ったか覚えてるか?」
「覚えてるよ。金瀬さんを制止したことはないって話だよね。でもだめ」
「俺からはするなってことかよ。まさかとは思うけど、俺に断られる金瀬さんをはた目にほくそ笑む気じゃないよな?」
「そんなひどいことするわけないでしょ。私は何だと思ってるの?」
桃色のくちびるが尖りを帯びる。
「さすがに今のは言葉がひどすぎた。謝る」
「パフェ大盛りで許す」
「その程度でいいならいくらでも奢るけど、この際だから聞かせてくれ。何で奈霧は金瀬さんのアタックを許すんだ? 普通はアプローチも咎めると思うんだが」
「私だって何も思わないわけじゃないよ。ナナ可愛いし。もしかしてって考えることはある」
「だったらどうして」
「だからこそだよ。彼氏彼女の関係って一つのゴールだと思うの。どうしても気が抜けちゃうし、関係は永遠だって信じたくなる。でも私たちにはその先がある。私よりも多くを持っていて、ずっときれいな人が釉くんの前に現れるかもしれない。釉くんだって男の子だし、その時が来たらなびく可能性だってある」
「信用ないな俺」
「早乙女さんの前科がありますから」
「あの時はまだ恋人じゃなかっただろう。ノーカウントだ」
「そうだったね。ネックレスを縁切り料みたく贈りつけて逃げたんだっけ」
「その話はもういいから続きを話せ」
「試験もそうだけど、後ろから追われてる感覚があると立ち止まれないでしょう? ナナみたいな人が釉くんを好いているなら恋人になっても気は抜けない。いい化粧品を探したり、スタイルを維持するために運動したり、面倒になっても研鑽できる。端的に言っちゃえば自分のためかな」
意図せず息をのむ。
正直驚いた。そういう考え方もあるんだな。
後ろから迫られると立ち止まれないのは分かる。試験のたびに奈霧と一位を競い合う間柄だ。追われることのプレッシャーは身をもって知っている。
でもまさか、それを恋愛にも応用してくるとは思わなかった。
努力をするのは奈霧だけじゃない。金瀬さんだって毎日自分に合ったおしゃれを自身に施している。勝負の土台に乗れば少なからず敗北のリスクが発生する。
それを踏まえた上での現状維持を成すのは圧倒的な自負。敗北を恐れずに突き進むその在り方はまさに俺の知る幼馴染だ。俺も何かしなきゃという気にさせられる。
自然と口元が緩む。
「どうして笑うの?」
「いや、俺は愛されてるなと思ってさ」
「さっきの意趣返し?」
「違うって。一つ言っておくと、俺が金瀬さんになびくことはないよ。
俺は一年生の文化祭前に金瀬さんを振っている。
当時は奈霧に告白する前だ。奈霧の懸念は杞憂以外の何物でもない。
「……そう、ならいいけど」
栗色の瞳が逃げた。視界に映った耳たぶが熟れたりんごのように赤い。
俺はこの光景をまぶたの裏に焼きつけるべく黙して眺める。
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