第183話 罪業の発覚
とにもかくにも誤魔化さなければ。
そんなに焦燥に駆られて口を開いた。
「悪い、その写真の心当たりはないな」
言葉を紡ぎつつ思考をめぐらせる。
華乃井さんの観察眼はやっかいだ。奈霧の作品を見て、低評価爆撃されたアカウントと結びつける可能性がある。
華乃井家は格が高い。以前賞を取ったと耳にしたし、業界人とのつながりを有している。下手をすれば奈霧の夢に影響する問題だ。
華乃井さんの意識を写真から逸らすしかない。
俺は顔に微笑を貼りつける。
「考えすぎじゃないか? 作品が似通うことなんてザラにあるだろう」
「そんなことないですよ。人によって個性が出ますし、留め方や折り方にくせがあったりするんです」
「そう、なのか」
服飾のことはよく分からない。下手なことを言うと墓穴を掘りそうだ。
別の方向性で攻めた方がいいか。
華乃井さんが興味を示しそうな会話と言えば……。
「市ヶ谷君、ちょっといい?」
振り向くと店長が手首をくいくいっとさせる。
俺は何かと思って靴裏を浮かせた。大きな背中に続いて別室に移動する。
叱られた。注文を取らず華乃井さんと談笑する姿が目に余ったらしい。
正論だけに言い返せない。俺は頭を下げて反省の意を示した。
話が一段落してドアノブに腕を伸ばす。
「あれ、これ私のハンドメイド」
ドアを開けるなり背筋が凍りついた。
カフェの内装に三つの人影が付け足されていた。
奈霧や霞さんに白鷺さん。同じマンションに住まうメンバーが勢ぞろいだ。俺がいない間に来店して、世間話のついでに画像を見せたといったところか。
華乃井さんは霞さんと待ち合わせていた。白鷺さんにも声が掛かることは十分考えられる。
奈霧もこの前の交流で華乃井さんと仲良くなった。相談の場に呼ばれても不思議はない。
でも何たってこんな時に。
俺の予想が正しければ、華乃井さんがスマートフォンには例の写真が表示されているはず。
俺の想像を裏づけるように大きな目が見開かれた。
「奈霧さん。あなた、NAMUのアカウント名でハンドメイドを売ってませんでした?」
「売ってたけど、何で華乃井さんが知ってるの?」
華乃井さんが息をのむ。
奈霧からすればわけが分からないだろう。事実を口に出したら、柔和だった華乃井さんが急に表情をこわばらせたのだから。
華乃井さんは普段微笑んでいるからギャップが凄まじい。店内の温度が十度くらい下がったように感じられる。
「ひどい!」
小さな手の平がテーブルの天板をバン! と打ち鳴らした。華乃井さんが勢いよく腰を浮かせて空気を吸い込む。
まずい。
そう思った時には華乃井さんがまくし立てていた。
「人のデザインを盗むなんて、それでもクリエイターの端くれですか⁉ 恥知らず!」
奈霧が口元を引き結んだ。ぎゅっと丸められた指がスカートにしわを寄せる。
奈霧には言い返せないだろう。
何せあの事件の犯人は霞さんだ。事情を話せば必然的に霞さんの愚行に触れる。一度庇うことを決めた奈霧が簡単に手の平を返すとは思えない。
「ち、違う。お姉様は何も悪くないの」
否定した霞さんにキッとした目付きが向けられた。
「どうして霞が庇うの⁉ 親しき仲にも礼儀ありでしょう! 必死に描いたデザインを自分の物のように誇られて、霞は悔しくないの⁉」
「それ、は」
小さな口が引き結ばれた。
華乃井さんが奈霧に向き直る。
「この時代、発表されたデザインはたくさんあります。斬新と思った物が陳腐だったケースは珍しくないし、憧れの人のデザインに引っ張られることもあります。それでもクリエイターは頭を悩ませて新しいものを生み出しているんです。あなたは熱意のある人だと思っていたのに、よりにもよって霞のデザインを盗むなんて。幻滅しました」
華乃井さんが乱暴にカバンの取っ手を握る。
「あなたみたいな人が私の大好きな業界に入るなんて耐えられません。この件は真宮先生に報告させてもらいます。二度と指導してもらえるとは思わないでください」
「そんな……」
奈霧の表情が悲痛にゆがむ。
服飾の通信教育がストップするだけじゃない。関係者のつながりで奈霧の名前がいわくつきになるかもしれない。最悪服飾の道が断たれる。
言うべきだ。
奈霧には苦言を呈されるだろうが仕方ない。あの件は完全に霞さんの自業自得だ。
それに奈霧と違って実績や伏倉の名前がある。いくら華乃井家が名家でもないがしろにはできない。霞さんなら痛みに耐えられるはずだ。
チェアの脚が店内の床を擦る。
「だから違うって言ってるでしょ⁉ 盗んだのは私なの! あのデザイン画はお姉様のハンドメイドを――」
「霞さん!」
奈霧が慌てた様子でストップを掛けたが、時はすでに遅かった。
華乃井さんが目を見開いてくちびるをわななかせる。
「霞、が? 冗談だよね? だって霞は服飾に一生懸命で、いくつも賞を取ってるんだよ? 無名の人の作品を真似るだなんて、そんなこと」
ここまで知られたら奈霧が何を言っても無駄だ。
誤魔化せるのは霞さんだけ。冗談だよと明るく笑えばこの場を乗り切れるかもしれない。
罪業を告白した横顔を見るに、それは難しそうだ。
「冗談じゃないよ。私がお姉様の作品を盗んだ。私は加害者なの」
華乃井さんが息を呑んだ。視線をうろつかせて、藁をつかむように俺を見る。
霞さんは自ら汚点をさらした。フォローしても自身が加害者だと主張するだろう。
それに誤魔化したところで傷つくのは奈霧の名誉だ。俺にその選択肢は取れない。
店内が静寂に包まれる。
痛いほどの静けさを経て華乃井さんがくちびるを震わせる。
「最低」
華乃井さんの靴底が床を踏み鳴らす。
あれだけ礼儀正しかった華乃井さんが、あいさつすら告げずにカフェを後にした。