第173話 最終日
バスに乗り込んで修学旅行最後のホテルを後にした。
友人との談笑に励んでいるとフロントガラスに大きな観覧車が映った。バス内が盛り上がる中、遊園地を思わせる設備がしり目に消える。
停車したバスからぞろぞろと降りる。
華やかな色合いを背景に子供達がダンスを披露している。我を見よとばかりのストリートライブは実にアメリカンだ。
自由時間の号令を経て同級生が散開する。
俺はいつものグループと昼食を求めて白い建物に入った。
オムレツを頂くタコライスを腹に収めて外国風の景観を見渡す。
見渡す限りアトラクション。
集合時刻までにはかなりの時間がある。遊び歩かなきゃ損だ。
頭では分かっていたけど足を止めた。
止めざるを、得なかった。
「こんにちは。来ちゃいました」
白銀の美貌に茶目っ気が付加された。
眼鏡や帽子で変装はしているものの、プラチナを溶かして固めたような美髪は隠しようがない。
華奢な体の後ろで知り合いの金髪が頼りなく揺れる。
「そうかそうか。つまり君はそんなやつだったんだな」
「ヘルマン・ヘッセ、少年の日の思い出ですか。博識ですね」
「ありがとう。俺は君がこんなに大胆な人だとは思わなかったよ」
白鷺さんは霞さんを叱ると思っていた。
一人学校をさぼって沖縄に飛んだ霞さんを、アメリカで見せたような静謐とした表情で諫めると思い込んでいた。
現実はこれだ。
白鷺さんは美浜アメリカンビレッジの内部に立っている。はっきり言って意味不明だ。
「だってずるいじゃないですか。霞一人だけ」
「ずるいって子供かよ」
いや子供か。大人びて見えても、白鷺さんはまだ十代後半に差しかかったばかりの少女だ。カフェのバイトでもあどけなさを出していたし、いたずら心が顔を出してもおかしくはない。
それにしたって限度があるとは思うけど。
「お昼休みは限られているんでしょう? 早速行きましょう」
白鷺さんが霞さんを連れて身をひるがえす。
俺は苦笑する奈霧達を連れて二人を追った。
たどり着いた先はお土産コーナー。俺達もお土産を求めて派手な空間に散開する。
鮮やかな花柄がこしらえられた小道具。南国の海を面に映したようなお皿。沖縄ならではの商品はどれも華やかだ。
床を踏み鳴らす内に、ふと数時間前のことが脳裏に浮かんだ。
俺は白鷺さんとの距離を詰める。
「白鷺さん、生徒会長になったことはあるか?」
「突然ですね。急に何ですか?」
「いや、白鷺さんって見た目だけは大人っぽいだろう? 友人や教師に勧められたことがあるんじゃないかと思って」
「気のせいでしょうか、今失礼なことを言われた気がします」
サファイアのような瞳がすぼめられる。
失礼なことを告げた自覚はあるけど謝らない。冷たい美人からいたずらっ子にイメチェンした白鷺さんが悪いんだ。
「生徒会の役員を務めたことはありますが会長になったことはありません。でも会長を務めた人なら知っていますよ。市ヶ谷さんも知っている人です」
誰だ?
白鷺さんの交友関係からして花宮先輩ではないだろう。過去形を踏まえると菅田先輩でもない。霞さんはそもそも生徒会長ってガラじゃない。
奈霧達の中にいるのか?
でも俺はそんな話を耳にしたことがない。接点の薄い白鷺さんが知ってるのは不自然だ。
白鷺さんがよく知っていて、俺との関係性が薄い人物。
一人だけ該当する人物がいる。
「華乃井さんか?」
「正解です。女子校ではありますが、生徒会のトップを務めたことに変わりはありません。同じマンションですし話を聞いてみてはどうですか?」
「同じって、住んでるのか? あのタワマンに」
「ええ。この前カフェで会ったじゃないですか」
「タイミングが合致したからお茶したわけじゃなかったんだな」
あのタワーマンションの家賃は六桁に迫る。
そんなマンションの部屋を借りていた辺り、華乃井さんは年不相応な資金を所持しているに違いない。
「華乃井家ってお金持ちなのか?」
「はい。伏倉家ほどじゃありませんが相応の資金力はありますよ。旧華族の一員でしたし由緒ある家系なのは間違いありません」
不思議と驚かない自分がいる。
そりゃ年不相応な品の良さを感じたわけだ。もれ出すような育ちの良さは教育の賜物だったわけか。
「父さんが家名を出すわけだな」
「秀正さんと話したんですか?」
「ああ、昨晩電話したんだ。修学旅行を楽しめてるか気になったらしい」
「仲良くやれているんですね、よかったです。どんな気分ですか?」
「どんなって?」
「長年仲違いしていた肉親と和解するって、どんな心持ちなのかと思いまして」
俺は即答しかけて口をつぐむ。
仲違いしていた肉親がいるのは俺だけじゃない。白鷺さんも伏倉優峯とは因縁がある。
白鷺さんと霞さんを虐待して、伏倉の屋敷を去る時には二人を置いていった。
伏倉家の人間から冷遇される可能性は考慮していただろうに、伏倉家次男がアフターケアをしたという話は耳にしていない。
どうしようもないろくでなし。俺にとっては母の仇同然の相手だ。
その一方で白鷺さんにとっては血の繋がった肉親だ。白鷺さんが和解を望んだら俺はどう応えるべきだろう。
「勘違いしないでくださいね? 私は父との和解なんて望んでいません」
我に返ると、蒼穹のような瞳が俺の目をのぞき込んでいた。
「実の父が、市ヶ谷さん達に何をしたかは知っています。父を許してほしいなんて口が裂けても言いませんし、私自身ネグレクトを受けました。伏倉優峯は、もう私達の人生にはいらない存在なんです」
いらない存在。その言葉を耳にして、左胸の奧が微かにきゅっとする。
この感情は白鷺さんに対する冒涜だ。俺は自覚して口元を引きしめる。
「アンナこれ見て! このポーチ綺麗!」
陽気な呼びかけが上がって、白鷺さんが霞さんの元へ歩み寄る。
白鷺さんの本心なんて付き合いの浅い俺には知る由もない。自分の本心すら見抜けなかった俺だ。腹を割って話し合っても分からないだろう。
俺はきっと、優峯という男を一生許せない。
せめて、白鷺さんが気持ちに区切りを付けられる程度の人間であってほしい。
父とのわだかまりが解けた身として、そう願わずにはいられない。