第17話 もうそれくらいしかできないから
「もうカッチーンだよわたし!」
木製のテーブル越しに、金瀬さんがぷくーっと頬を膨らませる。
「まあまあ、相手は子供だから」
「きっと照れくさかったんだよ。ナナが美人さんだからさ」
佐田さん達が金瀬さんの苛立ちを宥めに掛かる。金瀬さんが感情を露わにして、周りはそれに応じた行動を取る。グループにおける一人一人の立ち位置を理解できそうな光景だ。
「んで、あれどうする?」
「あれって?」
「女の子が意地悪されてたじゃん」
「どうするも何もなぁ」
佐田さんが頭の後ろで両手を組み、背もたれに体重を預ける。
「何の話してんの?」
金瀬さんの後方から声が上がって、俺は金瀬さんから視線を外す。
落ち着いた雰囲気の少年が立っている。馴れ馴れしい声かけから、金瀬さん達との仲の良さがうかがえる。
金瀬さんが座ったまま身をひるがえした。
「聞いてよ尾形! わたし年増呼ばわりされちゃった!」
「へー、愛故に?」
「それを知ってるってことは君も同じ学校か」
「ああ。尾形だ、よろしく」
尾形さんが軽く手を振る。
さわやかな雰囲気が小気味良い。やはり笑顔は大事なのだなぁとしみじみ思う。
俺も入学式の頃はできていたのに、今は笑みを作る気さえ起きない。
いまだに芳樹しか友人がいないのはその辺りに原因があるのだろうか。
「しっかし年増か。二つ名の割に愛のない言葉だな」
「ひどい誤解だな。年増って言ったのは小学生の男子だぞ」
「すまん、冗談のつもりだった。分かりにくかったら謝る。その子供はちゃんと叱ったのか?」
「ナナを見れば分かるっしょ?」
「なるほど理解した」
「理解しなくていいからわたしの話を聞いてよ」
「聞く聞く、もうめっちゃ楽しみ。んで、その子供を懲らしめようぜって話? こっわ」
尾形さんが自身の体を抱きしめる。
佐田さんが呆れて目を細めた。
「んなわけないだろ。女の子に意地悪する男の子がいてさ、俺らにできることはないかって考えてたんだよ」
「もしかしてその男子、女の子に気があるんじゃね?」
「尾形もそう思う⁉ 絶対気があるよねあの男子達!」
金瀬さんが背もたれから身を乗り出した。そういう話題は大好物のようだ。
「男子達ってことは、悪ガキって一人じゃないのか」
「四人だよ。何で男子って、好きな女の子に意地悪するんだろうね」
「気を引きたいからっていうのが通説だな」
俺はスプーンの先端を白粒に差し込み、カレールーと白米を持ち上げて口に運ぶ。
心なしか、自宅で作ったものよりも美味しい。食欲に突き動かされて咀嚼を進める。
「市ヶ谷さんも奈霧さんに意地悪してたの?」
口に含んだ物を吹き出しかけた。
何とか矜持を保ち、水で胃の中に押し流す。
「何で、そこで奈霧の名前が出てくるんだよ?」
「だって愛故に復讐したんでしょ? 好きだったのかと思って」
「人との関係なんて、単純な好き嫌いじゃ測れないだろう。それよりもあの男児と女児だよ。あの年頃は思春期真っ盛りだ。異性との触れ合いが照れくさいか、あるいはそうさせられている可能性もある」
「そうさせられるって?」
「本当は仲良くしたいのに、周りに茶化されるのが嫌だから突き放してるってことだ」
実際奈霧がそうだった。
クラスメイトにからかわれて、普段の気丈な振る舞いができない状態に陥っていた。
悪魔どもにとっては悪戯心だったのかもしれないけど、それが発端になって俺達の仲は引き裂かれた。
仮にこの推測が的を射ているなら、とてもじゃないが他人事とは思えない。
金瀬さんが眉根を寄せた。
「何それ、好き合ってるのに周囲が邪魔してるってこと? ひどくない?」
「ひどいよな、本当に」
胸の奥から沸々《ふつふつ》としたものが込み上げる。
再度お冷を口に含み、液体を舌の裏に落としてクールダウンする。
金瀬さんが木製の椅子から腰を浮かせた。
「どこへ行くつもりだ?」
「あの子達のところだよ。この際がつんと言ってあげないと!」
「言っても無駄だ。多分無自覚でやっているんだよ。自覚がなきゃ直しようがない」
「無自覚に意地悪するって、そんなことあるかなぁ?」
「だったら言い換えよう。アリやトンボにひどいことをしたことはないか? アリの進行方向に足を置いたり、トンボの前で人差し指を回したりは?」
「あーそれなら子供の頃によくやってたわ」
「俺も」
「ほんとに? 何が面白かったのそれ」
「さぁ? あの頃は特に何も考えてなかったな」
「ひっどーい。アリさん可哀想だよ」
「トンボさんもな。市ヶ谷の言いたいことは分かったよ。アリの巣に水流し込むとか、考えてみたらすごく残酷だもんな」
「そういうことだ。自覚の無い男児にとっては二人を茶化すのも遊びだ。やんわりと叱ったところで効果は薄いと思う」
「やるなら徹底的にか。でもガツンと叱ると問題になりそうだよな。今そういうの結構厳しいだろ?」
「内申点を上げに来たのに、下手すりゃ評価を下げられかねないな」
体罰禁止。それが今の教育論だ。
例え生徒の側がどうしようもない悪童だとしても、禁を破った教師が立場を維持できる保証はない。
俺はしつけに暴力が必要だなんて思わない。
非行に走る少年少女の大半は虐待の被害者、なんてデータもあるくらいだ。暴力が良い結果を生むことは稀。それが社会の共通認識として存在する。
でも俺は知っている。この世には、言葉の通じない悪魔がうごめいていることを。
退学したあの二人だけじゃない。世界に目を向ければ、素面で人の幸せを踏み砕く輩はごまんといる。
千の叱責よりも一の暴力。治安維持には警察や軍隊が欠かせないように、実力行使もまた必要悪だ。嫌がらせは割に合わないと、加害者に思い知らせる必要がある。
それでも暴力は悪。行使するには俗に言われる免罪符が必須だ。
高校生の俺達がそれを用意するのは並大抵なことじゃない。
「じゃあどうするの? あのまま放置するのは女の子が可哀想だよ」
金瀬さんの眉がハの字を描く。
行動は軽率だったけど、女の子を心配する気持ちは純粋だ。
どうにかしてやりたい気持ちは同じだし、あの光景は俺の過去の焼き直しだ。放ってはおけない。
「彼らのことは俺に任せてくれないか?」
「何か策があるのか?」
「策って言うほどじゃないけど考えはある」
「私達にも何か手伝わせて。何もできないのは嫌だよ」
金瀬さんがテーブルに身を乗り出した。
俺はおもむろにかぶりを振る。
「悪いけど、俺一人じゃないと実行できないんだ。みんなには他の生徒の相手を頼みたい」
綺麗な瞳にじっと見つめられる。
目を逸らさないでいると、金瀬さんが身を引いて背もたれに寄りかかった。
「そっか、それは残念。困ったらいつでも頼ってね? 力になるから」
「ああ。その時は俺からお願いするよ」
金瀬さん達に頼むことは何もない。
俺はただ言葉を伝えるだけだ。
失敗経験のある親が子供に勉強を強いるように、俺のようにはならないでくれと懇願する。後は男子の心持ち次第だ。
忠告を聞き入れてもらえるかどうかは分からない。
もしかすると俺の推測はおせっかいで、仲を引き裂かれる男女は杞憂の産物かもしれない。
でも起こってからでは取り返しが付かない。
だからできることをする。
今の俺には、もうそれくらいしかできないから。