第16話 悪魔の友人
都立中央図書館での一件。ファミレスでの遭遇。
さすがに懲りた、学習した。
不用意に出かけるから奈霧と遭遇するリスクが発生するんだ。芳樹にはファミレスで注文した分の代金を渡して、以降は校舎内でのみ勉強を教える旨を伝えた。
芳樹は休み時間にはがっつり休む。
昼休みと放課後にはバスケットボールと戯れに体育館へ向かう。
解法を教授する機会が得られないまま期末試験を迎えたが、何だかんだ勉強はしていたらしい。芳樹は赤点を取ることなく期末試験を乗り越えた。
沈んだ気分のまま夏休みをむかえた。
夏休みと聞いて連想するのは海や山でのお出かけ。校舎で知り合ったメンバーと合流し、男女混合で笑顔を交わす。
いいなと思った相手に声をかけて、友人から一歩踏み込んだ関係を構築する。俺にはできなかったことだ。うらやましくて涙が出そうになる。
俺は毎度のごとくボランティア活動に参加した。
為すべきは林間学校のサポートスタッフ。小学生の班に同行してオリエンテーリングを手伝う仕事だ。
今回は俺以外にも少年少女がいた。同年代と軽く自己紹介を交わして開始時間に臨む。
引率教師に促されて壇の上に立った。ひざを抱える男児と女児の視線が殺到する。
体の小さい小学生でも百以上集まるとすごい圧力だ。ボランティアの仲間に混じって自己紹介をこなす。
引率教師がオリエンテーリングの開始を宣言した。
俺達は振り分けられた班に合流して小学生とともに散開する。
どこもかしこも樹木、樹木、樹木。土と草が織りなす緑の匂いに刺激されて、小学校時代に行われたキャンプファイヤーを思い出す。
闇に沈んだ木々を背景に奈霧と手をつなぎ、奇妙な空気になって黙々と踊ったことがあった。
あの頃にはとっくに奈霧を意識していたのだろう。想いに気付いて打ち明けていたら、未来は今と変わっていただろうか。
かぶりを振って思考を振り払う。
無意味なことだ、人はどうやったって過去には戻れない。
俺は想いを告げなかった。奈霧の手を離して、彼女が轢かれるきっかけを作った。どれだけ悔やんでも俺の現実はここにある。
サポートスタッフとして歩を進める。小学生の後ろについて賑やかな背中を眺める。
意外だ。もっと心が騒めくと思っていた。
過去との決着が付いてもいじめられた事実は変わらない。動悸の一つくらいは覚悟したけど杞憂だったらしい。
あるいは踏ん切りが付いたということなのだろう。
これでも、一応は。
「市ヶ谷さん」
サポートスタッフの同僚に呼びかけられた。同年代の男子、確か名前は佐田さんだったか。
「何?」
「特に用はないんだけど、せっかくだから話しかけてみようかと思ってさ」
「よくそんな気分になったな。俺はこんな頭してるのに」
金髪が不良という図式は欠陥があるけど、いまだ日本では偏見が多い。
請希高校では生徒の意思に委ねられている一方で、別の学校では地毛が金や茶でも黒染めを強要されると聞く。
真偽はどうあれ、金髪が敬遠されやすいのは周知の事実だ。
「そりゃあちょっとは怖いけどさ、こういう機会でもないと話せないし」
「一期一会か。まあ別の学校だしな」
「へ?」
佐田さんが小さく吹き出した。
「やっぱり気付いてなかったかぁ。俺ら、同じ学校なんだけど」
「そうなのか? それはごめん、知らなかったよ」
「奈霧さんしか見えてなかった?」
「そういうわけじゃないけど」
目を逸らす。
別のクラスに属する同年代どころか、クラスメイトの名前も半分以上覚えていない。
奈霧しか見えてなかったと言われれば反論できる材料は無い。
「ねーっ、いつまで二人で話してるの? わたしにも紹介してよ」
振り向くと派手な様相の少女が立っていた。
金色の髪が緩やかにカールを帯びて丸い帽子に隠れている。体のラインは私服をものともせず波打ち、その恵体ぶりをこれでもかと表している。
見るからに俺とは違うタイプなのに、不思議と敬遠する選択肢は浮かばない。顔に残るあどけなさが親近感をかき立てる。
「えー今俺が話してんのに」
「夜中にしっぽり話せばいいじゃん。どうせキャビン同じでしょ?」
「はいはい、どうぞお姫様」
佐田さんがやけっぱちに手の平を差し出す。
少女の顔に満面の笑みが浮かび上がった。
「初めまして! 二組の金瀬奈々香です! 奈霧さんの件は災難だったね。わたしも佐郷さんがあんなにひどい人だとは思わなかったよー」
佐郷。あまり聞きたくはない名前だ。
野次馬行為が好きなクラスメイトも、俺の前でその名を口にすることは自重していた。
金瀬さんが鉄の心臓を持っているのか、そもそも悪いこととは考えていないのか。
しかし思ったほど腹が立たない。無邪気さのせいだろうか。どう反応すればいいか戸迷う。
「あれ? ナナはあいつのことさごっちって呼んでなかったっけ?」
「そうだっけ? 忘れちゃった」
金瀬さんがけろっと笑む。
さごっち。いかにも距離が近そうな愛称だ。もしやこの二人、佐郷の知り合いなのか?
だとしたらこの接触も意図されたもの? 警戒心が沸々と湧き上がる。
「市ヶ谷さん顔怖い怖い! 勘違いしないでくれよ? 疑うのは分かるけど、佐郷とはとっくに縁を切ってんだ」
考えが顔に出ていたらしい。佐田さんがぎょっとして弁解する。
佐郷の同類に見られることへの忌避というよりは、俺への恐れが見て取れる。
【愛故に】という愛称はからかいの意味合いもあるけど、一番多くを占めるのは畏怖の念だ。自分が標的にされたらと思うと気が気がじゃないのだろう。
俺は顔に微笑を貼り付けた。
「そんな心配はしてないさ。敵視はしないから安心してくれ」
佐田さんがほっと胸をなで下ろす。
本当に安心したのが視界越しに伝わってきて罪悪感にさいなまれる。
「そりゃ良かった。信じられないかもしれないけど、俺達はむしろ感謝してるんだ。特に金瀬はあのサイコパス野郎に狙われてたしな」
「佐郷のことだよな? だったらダークエンパスの間違いじゃないか?」
「ダークエンパス? 何それ、かっちょいい響きだな!」
佐田さんが目を輝かせる。
相手は初対面。呆れをこらえて言葉を続ける。
「本来サイコパスは冷淡なんだ。他人に共感せず、自分の目的を達成するためなら何でもする。逆にダークエンパスは他者に寄りそう。いい人の振りをして相手を傀儡にしようとするんだよ」
佐郷は壬生やクラスメイトを操り、俺を排斥して奈霧を自分のものにしようとした。ただのサイコパスには為し得ない所業だ。
最後の最後まで自らは手を汚さない。次あの手の人型と対峙した時、俺達はどうすればいいんだろう。
「マジか、やぺーな佐郷の奴。市ヶ谷さんはナナの恩人だったんだな」
「わたし狙われてたの?」
「自覚なかったのかよ? 結構露骨だったろ」
「そうだっけ?」
「うわかわいそ。あんな野郎でもちょっと哀れになってきたわ」
「ひっどーい!」
金瀬さんが頬を膨らませた。
佐田さんの談笑が林の静けさを賑わせる。
年頃の男女が気兼ねなくじゃれる様はまさに青春だ。
佐郷はこの二人と一緒のグループに属していたという。俺が奈霧を誤解していた間に、あの悪魔は笑顔にあふれた学校生活を満喫していた。
その事実を前にして指がぎゅっと丸みを帯びる。
心の騒めきに関係なくオリエンテーリングが進む。
適度に雑談をはさんで小学生に助言を出した。地図上に指定された地点を回り切ってゴールポイントの地面を踏む。
他の班員も靴跡を刻み、空間がざわざわと賑わいを増す。
時刻はお昼時。各自設備を使って持ち込んだ食材を調理する。
包丁でまな板を叩く音が伝播する。薪燃える臭いに遅れて、カレールー特有の香ばしさに鼻腔をくすぐられる。
「いい匂い! お腹減ってきちゃうね!」
「金瀬さんってたくさん食べるのに太らないよね。うらやましい」
気付けば大人しめな少女も混じっていた。態度から察するに金瀬さんの知り合いと見て間違いない。二人とは別の班に割り振られていたようだ。
「よく言われるよー。わたし、付くべきところにしか付かない体質なんだよね」
金瀬さんが得意げに大きな胸を張る。
栄養吸収の効率が悪いと暴食しても太らないらしいけど、金瀬さんはそういった特異体質なんだろうか。
奈霧はどうだろう?
被服部はインドアな部活だけど、抜群のプロポーションは入学式から数か月を経た今も変わらない。特異体質というよりは陰でランニングに勤しんでいそうだ。その方が俺の知る奈霧らしい。
「うっせーよ!」
空間が騒がしさを帯びて、声が上がった方向に意識を向ける。
四人の男子と一人の女子が向かい合っている。
ニヤつく三人に、興奮した様子の男子。女子は困ったようにまゆをハの字に寄せている。
言い争いというよりは、興奮している男児が女子を突き放したような印象を受ける。
「もう話しかけてくんなよ」
四人の男子が背を向けた。女児がしゅんとして目を伏せる。
風が俺の横を通り過ぎた。揺れる金の髪が遠ざかる。
「こら! どうしてあんな意地悪言うの!」
思わず目を見張った。
金瀬さんが見ず知らずの男子を叱りに行った。直情的と言うべきか、その行動力には脱帽だ。
「何だこの女」
「お前には関係ねーだろ」
「関係あるよ! 男の子は女の子に優しくしなきゃ駄目なんだよ?」
子供を諭す年上の図。
立派ではあるけど、この年頃の男子相手にその叱り方は悪手だ。
四人の男児が仲間内で顔を見合わせ、不快を表情に出して声を荒げる。
「うるさい年増!」
「なっ⁉ 失礼な! わたしまだ十六だよ⁉」
「おれらからすれば十分年増だっつーの」
「もーっ! 怒っちゃうよわたし!」
「うわ、年増がキレた!」
「逃げろー!」
案の定というべきか。男子がヘラヘラしながら走る。
そのまま見えなくなるかと思いきや、最後尾に位置する男子が振り向いた。
金瀬さんを、正確には取り残された女児の方を一瞥し、再び背を向けて走り去る。
逃げる者が背後を気にするのはよくあることだけど、後ろ髪引かれたようなその仕草が無性に気になった。