第156話 修学旅行の班決め
修学旅行の話を耳にする機会が増えた。
クラス内はもちろん、廊下を踏み鳴らすだけでも耳に入る。一年生と三年生がいつも通りなだけに、二年生の教室が一際盛り上がっているように思う。
修学旅行。
心躍る響きだ。俺はクラスメイトと旅行なるものをしたことがない。
さながら遠足を心待ちにする小学生の気分。旅行当日に近付くにつれて口元が緩むのを感じる。ポーカーフェイスを維持するのが大変だ。
そんな修学旅行は、同級生が一年前から企画したものらしい。
同い年の男女が旅行に必要な諸々を備えた。そう考えると、何もせず乗っかるだけの自分が小さく思える。
微かな後ろめたさを感じつつ班決めの時間を迎えた。浅田先生が最低限の言葉を吐いて椅子を持ち上げる。
教室の隅で椅子の脚が床を鳴らした。
それが開戦のゴングとなった。静聴の縛りから解放されたクラスメイトが室内を賑わせる。一斉に椅子から腰を浮かせて机の両端を握りしめ、人数分の机をくっ付けて大きなテーブルを形作る。
俺はいつものメンバーとテーブルを作った。各自椅子に腰を下ろして話し合いに臨む。
一番に口を開いたのは正面にいる芳樹だった。
「三日目は班行動の日だよな?」
「そうだな」
「じゃあその日は奈霧さんと二人きりにしてやるよ」
「最初に決めることがそれか」
「恋人って修学旅行で二人きりになりたいもんじゃねーの?」
「芳樹に言われるまで考えたこともなかったよ」
「奈霧さんは?」
「私は皆で回りたいな。二人きりにしようとしてくれるのは嬉しいけど、このグループで旅行する機会も大切にしたいから」
不覚にも合点してしまった。
俺と奈霧が二人で出掛けるのは難しくない。
グループ全員となると途端に難しくなる。各自の都合があるし、宿泊先の空きやお金の問題もある。
芳樹や金瀬さん達と旅行する機会なんてもう無いかもしれない。それなら奈霧と巡るよりも友人を交えた方がお得に感じられる。
皆も俺と同じことを考えたのか、俺達のテーブルに奇妙な沈黙が訪れた。
「えっ、何この沈黙。私可笑しなこと言ったかな?」
「いや、そんなことを真顔で言われるとは思わなかったから」
「照れちゃうよねー。きゃっ!」
「照れないで! 私が恥ずかしくなるからっ!」
陶器のような白い頬が茜色を帯びる。視界をかざる四つの顔に、微笑ましい物を見るような笑みが浮かぶ。
視線に耐え兼ねた奈霧が口を開いた。話を逸らせるネタを求めて仕切り役を買って出る。
行き先は旅行委員によって決められている。俺達が決めるべきは担当者だ。
班をまとめる班長、班長の補佐や点呼を取る副班長、班員の健康管理をする保険係などを奈霧の仕切りに従って割り振る。
班長はスムーズに決まった。羞恥から逃れるべくテキパキと進める手腕が評価されて、満場一致で奈霧が選ばれた。
彼氏だからという謎の理由で俺は副班長に就任させられた。腹いせで残されたメンバーに役職を振る。
楽しい時間が過ぎるのは早い。時計を確認すると、終了まであと数分というところまで迫っていた。
「皆は修学旅行でどこに行ったんだ?」
「わたしは京都! 奈良公園で鹿にせんべいあげたよー」
「鹿美味しそうに食ってたよな。佐田もせんべい食ってたっけ」
「あれ後味悪かったなぁ」
「ほんとに食べたの? 衛生面大丈夫だった?」
「だいじょぶだいじょぶ。少なくとも俺は生きてるからな」
「実は死んだことに気付いてなかったりして」
彼らの体験談を耳にしつつ、持参した方がいい物をスマートフォンのメモ帳アプリに書き込む。
浅田先生が椅子から腰を浮かせた。視界に映るクラスメイトがぞろぞろと腰を上げる。
机と椅子を戻す俺達をよそに、金瀬さんが奈霧に視線を向ける。
「本当に市ヶ谷さんと二人きりにならなくていいの?」
「うん。大丈夫だよ」
「そっか。分かった!」
金瀬さんが振り向いて満面の笑みを浮かべた。
「市ヶ谷さーん! 三日目はわたしと見て回ろうよ! 二人で!」
「何でっ⁉」
俺の驚愕が奈霧の声にかき消される。
金瀬さんがきょとんとした。
「何でって、大丈夫なんでしょ?」
「大丈夫だけどそうじゃなくて! 皆で一緒に回るって話でまとまったでしょう?」
「でもせっかく旅行に行くんだし、市ヶ谷さんと二人で歩きたいもん。沖縄なら水の温度も高いだろうし、水着見せたいなー」
「だから釉くんは私の彼氏なんだってばっ!」
「じゃあ貸して?」
「やだっ!」
「こら、そういう喧嘩は市ヶ谷の家でやれ」
「浅田先生、さりげなく俺に押し付けないでくれません?」
「片方はお前の女だろうが」
教室内が笑い声で賑わった。恋人に視線を振ると、りんごのように真っ赤になった顔が目を伏せる。
俺が金瀬さんの誘いを断って、班決めの時間は終わりを告げた。