表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
罪には罰を  作者: 原滝飛沫
6章
155/184

第155話 またまた奇遇な伏倉さん


「人生って何が起こるか分からないよな」

「どうしたの急に?」


 バイトの帰り道。肩を並べる奈霧が振り向く。


 俺は茜色に濡れた地面を踏み鳴らして口を開いた。


「以前言ってたよな? アルバイトに時間を使うなら、その分服飾に時間を当てたいって」

「ああ、言ったねそんなことも。人の口から聞くと楽して稼ぎたいだけの人にしか聞こえないね」

「俺はそれ思ってないからな」

「そんなこと勘繰ってないよ。ハンドメイドの販売を後押ししてくれたのは釉くんだし」

「良かったのか?」

「何が?」

「お金の話だ。生地の費用くらいは請求してもいいんじゃないか?」

 

 奈霧がアルバイトに踏み切ったきっかけは、低評価爆撃を受けてハンドメイドの売り上げが急低下したからだ。利益の枯渇で制作に必要なコストをまかなえなくなった。


 炎上騒ぎは、霞さんの裏アカウントによる書き込みで引き起こされた。奈霧は別アカウントを作って再スタートしたものの、それまでに築き上げた高評価は水泡にした。損失くらいは受け取る権利がある。


 細い首が左右に振られた。


「いいよ、霞さんには謝ってもらったから。学生の内にアルバイトしてみたい気持ちもあったし、ちょうどよかったよ」


 時間を服飾に当てたいと告げた人の言葉とは思えない。大方心にもないことなのだろう。


 請希高校は進学校だ。入学当時から受験生のつもりで勉学に励む生徒は多い。これから試験勉強も本格的に始まるし、服飾に割ける時間も取れなくなる。


 すなわち霞さんを気遣ったゆえの物言い。 その優しさが悲しいと同時に彼氏としては誇らしい。


「それにさ、霞さんに共感できる部分もあったんだ。大事な人が取られる苦しさは私も知ってるつもりだから」


 奈霧がふっと微笑む。



『大事な人』が誰を示しているのか察して、俺はそれとなく視線を逃がす。


 耳たぶの熱さを誤魔化すべく言葉を紡ぐ。


「取られる苦しみって言うけど、その大事な人が取られそうになったことはあるのか?」

「あるよ」

「いつ?」

「釉くんの頭がエキゾチックだった頃かな。街で早乙女さんと手を繋いでたよね」

「あの時かよ。あれは作戦だって気付いてただろう? 裏で早乙女さんと繋がってたみたいだし」

「今は知ってるけど、当時はデートするなんて聞いてなかったんだよ。早乙女さんはめったにスカート履かないのに、あの時はメイクまでしてたし。街中で見た時は頭の中が真っ白になっちゃった」

「それはお互い様だ。俺だって奈霧に見られたくなかったんだから」

「その割には少女漫画の主人公みたいに颯爽と腕を引いてたよね」

「ボロが出そうだったから、無理やりにでも立ち去るしかなかったんだよ。第一、少女漫画チックなことなら奈霧にもしただろう?」

「例えば?」

「演劇の舞台を借りて公開告白したじゃないか」


 息を呑む音が聞こえた。夕焼けを背景に、頬を染める赤みが濃さを増す。


「それはそうだけど、あれって台詞を間違えただけでしょう? 役者として未熟だっただけじゃない」

「でもロマンチックだったろ?」

「それは……」


 奈霧が恥ずかし気に目を伏せる。


 この件に関しては自信がある。俺達を題材にした演劇で、クライマックスの場面を利用して想いを告げた。こんなダイナミックな告白のされ方、九割強の人類は未経験のはずだ。


 勝った。


 口角を上げて酔いしれていると、じとっとした視線に突き刺された。


「誇らしげにしないの。すごく恥ずかしかったんだからね? 心の準備をしてなかったから変な声出しちゃったし、周りからは黄色い声が上がったし、本当に消えたくなったんだから」

「俺も消えたくなったよ。お互い通じ合ってるな」

「そんな通じ合い方、ぜんっぜん嬉しくないんだけど」

「あらあら、今日も仲が良さそうねぇ」


 奈霧から視線を外して正面を見据える。


 伏倉さんこと父方の祖母が立っていた。握られた右手からはリードが伸びている。とてとて歩くわんこも健在のようだ。


「こんばんは伏倉さん」


 俺に続いて奈霧も挨拶を口にした。


 視界の隅ですらっとした足が前に出る。


「しっぺちゃんもこんばんは~~っ!」


 華奢な体が腰を落とした。小麦色のわんこを抱きしめてわしゃわしゃする。


 猫撫で声ならぬ犬撫で声。犬への恐怖心はこの前のスキンシップで完全に克服したようだ。


「正体明かしたんだし、お祖母ちゃんでもいいのよ?」


 祖母が隣に立っていた。


 俺はぶんぶん往復する尾っぽから目を離す。


「まだ慣れないもので」


 伏倉さんを祖母と認識してはいるけど、長い間他人と思ってきた相手だ。そう簡単には割り切れない。


「秀正のことは父さんって呼んでたじゃないの」

「父は最初から父だったんですよ」

「あら、私もあなたが生まれた時からお祖母ちゃんよ?」

「とんちじゃないんですから勘弁してください」

「お祖母ちゃんって、え?」


 奈霧が俺と祖母の間で視線を往復させる。


 隠す意味もない。俺は祖母との関係を口にした。


 奈霧は目を丸くしたものの、祖母は奈霧と初めて会った時から伏倉を名乗っている。内情の告白はわりとすんなり受け入れられた。


「不思議な縁ですね。釉くんがボランティアに行った先で伏倉さんと会うなんて」

「そうね。でも孫が請希高校に入学したことは知ってたのよ。機会があれば見に行こうと思ってたし、遅かれ早かれ接触はしていたでしょうね」


 思い出したように伏倉さんがあっ、とつぶやいた。


「そうそう、あなた達にも伝えておかなきゃ。私ね、今月中にアメリカに戻るの」

「それはまた急ですね。何か用事でも?」

「用事ではないんだけどね。あなた達を見ていたら、久しぶりにあの人の顔を見たくなっちゃって」

「仲直りできたんですね」

「仲直りって言うと少し語弊があるのだけれど」


 祖母が照れくさそうに頬に手を当てる。何十と年を重ねても仲直りは面映ゆいものらしい。


「そこで相談があるの。釉さん、あなたマンションのオーナーを引き継いでみない?」

「俺がオーナーですか?」

「ええ。また日本に長期滞在する機会があるかもしれないし、そのたびに住居を構えるのは面倒でしょう? 身内がマンションを管理してくれればそれに越したことはないと思って」


 要はリゾートマンションを構えたいってことか。夫婦喧嘩で異国の地にマンションを建てたとは、お金持ち恐るべし。


「俺にノウハウはありませんよ?」

「誰だって最初の一回は初めてよ。特別な資格が要るわけじゃないし、雑用は全部管理会社に任せればいいわ。領収書を送ってくれれば送金するし、管理人室に移り住んでもいい。何なら部屋代を下げてクラスメイトを招いてもいいわよ? お部屋にお友達を招いてわちゃわちゃなんて楽しそうじゃない」

「それは確かに楽しそうですね。都合が良すぎて詐欺を疑いそうです」

「まあ! こんないいお祖母ちゃんをつかまえて詐欺だなんて失礼ねぇ。疑う姿勢を持つことは良いことだけれど、今回に限っては不要よ。それでどうする? どうしても嫌なら他を当たるけれど」


 嫌なんてとんでもない。マンションオーナーも仕事だからまとまったお金が入る。聞いた話が本当なら魅力的な話だ。

 

「マンションを見てから決めてもいいですか? 今週の土曜日辺りに」

「大丈夫よ。じゃあその日の予定を空けておくわね」

「ありがとうございます」


 以前の会話が脳裏をよぎって、俺は奈霧に向き直る。


「奈霧はこれから予定あるか?」

「ないよ」

「伏倉さんは?」

「私もないけれど、どうしてそんなこと聞くの?」

「機会があったら奈霧と食事したいって言ってたじゃないですか」


 眼前の目が丸みを帯びた。


「あら、覚えててくれたのね。嬉しい申し出だけれど、遅くまで話し込んでしまいそうだし今日は遠慮しておくわ。仲睦まじそうだから急く必要もなさそうだし」

「仲の良さって関係あるんですか?」

「そりゃあるわよ。お食事の機会を特別な時に回せるじゃないの。しばらくは奈霧さんとのお食事会を楽しみにして生きていくわ」


 突っ込みたい箇所はあるけど、嬉しそうな顔を見ていると口を挟む気分になれない。


 適当に相づちを打っておいた。


「明日は朝早いからもう行くわ。二人とも元気でね」

「はい。伏倉さんもお元気で」


 奈霧に次いで俺も別れの挨拶を口にした。祖母が擦れ違って小さな背中が遠ざかる。


「素敵な関係だね」

「俺と祖母がか?」

「違うよ。伏倉さんとその伴侶だよ」

「そんなに素敵な関係か? 喧嘩したから海外にマンション建てて住み着くって、結構なこじらせ具合だろう」

「それはさすがにアグレッシブだとは思うけどさ、いくつになっても想い合えるってとても素敵じゃない」


 何年経っても隣に想い人がいる。それは当たり前のように思えるけど、俺はそれが当たり前じゃないことを知っている。


 家庭を崩壊させるのは不仲に起因する離別だけじゃない。世の中は事故や悪意など別離に繋がる要素であふれている。


 誰かに目を付けられるだけで地盤が揺らぐ。俺達も薄氷の上に立っていることを忘れるべきじゃない。


「特別な時って言ってたけど、釉くんは何か知ってる?」

「さあ?」


 この前は満面の笑みで告げていたし、その答えを想像するのは難しくない。


 気まずくなること請け合いだから黙っていよう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ