第152話 お返し
後から聞いた話だ。
俺が才覇さんと話を付けるべく奔走していた間も、奈霧はせっせとハンドメイドを作っていた。SNS上での弁解を諦めて、新しいアカウントで一からスタートすることにしたようだ。
親しき仲にも礼儀あり。俺から見ても霞さんはやり過ぎた。奈霧が告発を考えていたら、霞さんには悪いけど奈霧の肩を持つつもりだった。
結局奈霧は赦す道を選んだ。霞さんは裏垢を明かして贖罪すると告げたみたいだけど、その必要はないと逆に説き伏せたらしい。奈霧に限って脅しの材料に使うとは思えないし、二人の間で通じ合うものでもあったのだろう。
ともあれ俺は奈霧と復縁した。嘘で振り回した埋め合わせを兼ねて、休日の街に靴音を鳴り響かせる。
合流した奈霧と肩を並べて靴裏を浮かせた。
「こうして二人で歩くの久しぶりだね」
「そうだな。あの一件が解決するまで長引いたし」
今日まで色んな人の手を借りた。龍治さんや花宮先輩、才覇さんにも後日菓子折りを持って行かないと。
奈霧にも伏倉のゴタゴタで迷惑をかけた。中間試験では珍しく二桁の順位だったし、相当な心労をかけたに違いない。
今日は復縁記念のデートだ。心置きなく楽しんでもらおう。
「何か欲しい物はあるか? あればプレゼントするよ」
「気持ちは嬉しいけど求め出したら切りがないよ」
「謙虚だな。てっきり高い生地が欲しいって言うと思ってた」
「使い道がないからね。コストを回収するには高値を付けなきゃいけないけど、高額な買い物をするなら消費者は流行りのブランド物を選ぶだろうし」
「要は採算が取れないわけか」
「そういうこと」
俺が買えば実質材料費は無料。安値を付けても利益は出る。
これから先もハンドメイドを売るならそれでは駄目だ。
一度安い値段を付けると、消費者はそれが適正価格だと考える。後で高値を付けようものなら、以前はもっと安かったのにと離れるきっかけを与えてしまう。
だから店は顔を作る。
客層を考えて出品するのは商売の基本だ。ラーメン屋ならラーメンやチャーハン、ファストフード店なら安価かつ高カロリーな食べ物。
服飾も例外じゃない。高価な商品を出すなら裕福層がターゲットだ。気まぐれに高価賞品を出しても、安物を求めて訪れた客が購入するケースは稀だ。
「じゃあ他にしてほしいことはないか?」
「してほしいことかぁ」
恋人が可愛らしくう~~んと唸る。
艶のあるくちびるからあっ、と声がもれた。
「何か思い付いたのか?」
「思い付きはしたけど、でも……」
栗色の瞳が重力に引かれたように落ちる。
「遠慮しなくていい。今日は埋め合わせも兼ねてるんだ。奈霧に遠慮されたら俺の立つ瀬がない」
「ん、じゃあ」
奈霧が体の前で指をもじもじさせた。形の良いあごが引かれて上目遣いを向けられる。
「キス、してくれる?」
「え?」
虚を突かれて頭の中が漂白された。
キス。
つまりは口付け。接吻。
今まで何度かしてきたことだけど、ここは人の多い街中だ。奈霧の口からそんなお願いが飛び出るとは思わなかった。
「や、やっぱり今の無し! ケーキ奢ってよ! それで水に流すから!」
ほら行こう! 奈霧が背を向けて靴裏を浮かせる。
明らかに本心じゃない。照れている。
あるいは逃げたのか? 透き通るような白い肌は全く赤みを帯びていない。恥ずかしくて背を向けた説はしっくりこない。
「奈霧、何か不安なことでもあるのか?」
華奢な体がぴくっと跳ねた。
「別に、何もないよ」
「でも様子がおかしいぞ。話してくれ、もう擦れ違いで縁が切れるのは嫌なんだ」
奈霧の足が止まる。俺も歩みを止めて振り返る。
数秒の沈黙を経て奈霧が背を向けた。
「ここは邪魔になるし、隅で話そっか」
俺は頷いて、遠ざかる華奢な背中を追う。
物陰で向かい合うなり桃色のくちびるが開いた。
「正直まだ消化し切れてないことがあるの。釉くんは不快に思うかもしれないけど、聞いてくれる?」
「もちろんだ。そのために今日を設けたんだから」
「その言葉、信じてるからね」
すぅーっと奈霧が深く空気を吸い込む。
深呼吸を終えて恋人が言葉を切り出した。
「釉くん、霞さんと付き合ってたこと伏せてたよね。どうして私に教えてくれなかったの?」
やはりそこを突いてきたか。
覚悟はしていた。事前に考えておいた弁解の言葉を口にする。
「いざこざに巻き込まれて、そうせざるを得なかったからだ」
「だったら何でその理由を教えてくれなかったの? 私寂しかったんだよ? 釉くんに嫌われることをしちゃったんじゃないかって、ずっと悩んでたんだから」
「それは……」
理由を口にしていいのか迷って語尾が濁った。
聡さんの企みは打ち破ったものの、伏倉と関わる以上はいずれどこかで顔を合わせる。
その時俺の隣に奈霧がいないとも限らない。
奈霧は演者じゃない。卑怯なことをした聡さんに思うところもあるだろう。そこで怒りを露わにされたら父の耳に入る可能性がある。それじゃ内密に終息させた努力が水の泡だ。
逡巡する間に桃色のくちびるがつぐまれた。
「ごめん、釉くんが理由もなく黙ってるわけないよね。事情があったってことでいいんだよね?」
「ああ。ちょっと話しにくいことなんだ。いつか話すから、その時まで待っていてほしい」
「分かった、信じて待ってるよ。ごめんね。釉くんも辛かったはずなのに、私一人悲劇のヒロインぶって」
「無理もないさ。マーケットの件で疲弊していたし、そこに失恋のショックも乗っかったんだ。まともに物を考えられる方がどうかしてる」
現に奈霧が自暴自棄にならないかとひやひやしていた。まだ奈霧を諦めていない男子もいるみたいだし、時折芳樹から奈霧の様子を聞き出したくらいだ。何事も無くて本当に良かった。
端正な顔立ちに苦々しい笑みが浮かんだ。
「話を聞いてくれてありがとう。面倒な彼女でごめんね」
「謝らなくていい。それに、奈霧は一つ勘違いをしてる」
「勘違いって?」
「寂しかったのは俺もだ。縒りを戻すまで他の奴に取られないか不安で仕方なかった。だから奈霧が感じたことの大半は理解できるつもりだよ」
「そっか。同じ気持ちだったんだね、私達」
愛しい顔に微かな笑みが戻って、俺も口元を緩ませる。
絡め合わせていた視線を目尻に流して右足を前に出す。
「楽しい時間は短いんだ、湿っぽい話はここまでにしよう。ケーキ食べたいんだよな?」
「うん」
「じゃああっちに行こう。評判のいいカフェがあるんだ」
「ほんと? 楽しみ」
奈霧が肩を並べて視界の端に映る。
端正な横顔がうつむいたのを見て、ちょっとした悪戯心が込み上げた。
「そういえば、まだ奈霧にお返ししてなかったな」
「お返しって誕生日プレゼントのこと?」
「違う」
「じゃあ私に膝枕したいの?」
「それも違う」
膝枕って男性が女性にするものなんだろうか。
気になるけど今はどうでもいい。
「だったら何のお返し?」
「忘れたのかよ、仕方ないな」
一足先に物陰に靴裏を付けた。踵を返して手招きする。
奈霧が小首を傾げて歩み寄ったのを機に、左手で奈霧の右手首を握った。手前に引いてよろけた体を抱き止め、きょとんとした顔に右手を添えて桃色のやわらかさを享受する。口と口の間から小さな悲鳴がこぼれた。
空港での一件をやり返しただけ。それを免罪符にして細い腰に左腕を回す。
視界内で両腕が持ち上がる。頬でも張られるかと思ったけど、繊細な両手が俺の目尻に消えた。
長い睫毛が一つに重なったのを見て、俺もそっと目を閉じる。
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