第136話 爆弾発言
マンションに戻るなり霞さんの部屋を訪問した。彼女が気持ちの整理を付けるまで待つつもりだったけど、奈霧に危害が及んだなら話は別だ。
炎上を止めるには、とにもかくにも信ぴょう性のある釈明が要る。
SNSで問題になったのは霞さんのデザイン画。霞さんのアカウントで発信すれば炎上は鎮火する。愉快犯以外は引いてくれるはずだ。
その狙いは上手く行かなかった。何度インターホンを鳴らしても霞さんからの応答はなかった。
スマートフォン越しのコンタクトも叶わない。白鷺さんに仲介を依頼しても駄目。言伝を頼んでも返答がない。
ならばと思って校舎内での接触を試みたものの、目が合うと背を向けられる。何を言ったのか、追いかけようとしたら事情を知らない下級生が立ち塞がった。
霞さんは一年生の間で人気がある。
一方で俺の名前には悪評が付きまとう。
市ヶ谷と伏倉。俺と霞さんの容姿が似ていないこともあって、従兄妹だと説明しても信じてはもらえなかった。
俺が手をこまねいている今も、奈霧は心ない人々の中傷に苦しんでいる。最悪服飾を嫌いになる可能性もある。
そんなのは駄目だ。楽しそうに語っていたあの笑顔が失われるのは耐えられない。霞さんには悪いけど根競べさせてもらう。まずは方針を決めて、校門前で待ち伏せる計画を練った。
聡さんからコールされたのはそんな時だった。顔を合わせて話したいことがあるとのことで、日時と待ち合わせ場所を指定された。
迎えた土曜日。俺は銀座の地に靴裏を付けた。雨粒が傘を小突く音を耳にしつつ、流動する人混みに乗ってコンクリートの地面を踏み鳴らす。
逃げ込むようにカフェ店内に踏み入った。店員に伏倉聡の名を出すと席に案内された。
木材に彩られた落ち着きある空間。高級感に溶け込んだ店内で人影が腕を上げた。俺は口角を上げて会釈する。
聡さんと円形のテーブルを挟む。
メニューブックを差し出された。ページに記されたメニュー名に視線を走らせて目を見張る。
高い。ほとんどのメニューが四桁だ。カフェオレでさえも千円を超えている。質の良い牛乳を使っているのだろうか。学校帰りに寄る感覚で通ったら財布が底を尽きそうだ。
「奢るよ。ここは高校生の財布じゃ辛いだろう。あ、でも秀正ならブラックカードを渡しててもおかしくないか」
「それは断りました。金銭感覚が狂いそうなので」
「賢明だね。じゃあここは私の奢りということで。あ、これはどうかな? 知り合いが美味しいと言っていたよ」
聡さんがケーキの名前に人差し指の先端を置く。
断り切れずにケーキも注文する羽目になった。奢られて得をするのは俺のはずなのに、何だか押し売りされた気分だ。
「体育祭の後はどんな感じ? 霞さんと仲良くやれてる?」
「はい。白鷺さんとの距離も縮められた気がします」
出合った当初は、凍えるような眼差しを向けられた覚えがある。
父は俺のことで自罰衝動を引きずっていた。その様子を近くで見てきた白鷺さんにとって、俺は父の気を煩わせる嫌な奴に映っていたのだろう。
「二人を恨んではいないの?」
問われて思わず目を瞬かせる。
「どうして俺が二人を恨むんですか?」
「優峯の子女だからね。思うところがあるんじゃないかと思ってさ」
「その人と二人は関係ないですし、そもそも顔すら知らない人ですからね。母の仇と言われても実感が湧きませんよ」
何より仇を追い求めるのはもう止めた。罰は父が下したし、俺から言うことは特にない。
「そうか。それを聞いて安心したよ」
談笑する内にカフェオレとケーキが到着した。食器が店員のお盆を離れて、カップと皿の底がテーブルの天板を鳴らす。
いただきますを口にしてカフェオレを一口含む。
濃厚な味わいが口内に広がった。スーパーで購入した物とは大違いだ。芳醇な旨みに混じったほろ苦さで次の一口へと誘われる。
苦味には甘味。フォークを動かして切り分けたケーキを口に運ぶ。カレェオレのほろ苦さで味覚をリセットしつつ、ケーキの甘味で口元を緩ませる。
聡さんが両肘をそっとテーブルに付けた。
「市ヶ谷さん、今日は来てくれてありがとう」
和やかな微笑を前に気を引きしめる。
スイーツを食べ終わってからの礼。本題に入る空気を感じてグラスを置いた。
「ご馳走になった身ですけど、俺にできることは限られてますよ?」
「大丈夫、君にもできることだ。単刀直入に言うよ。君が交際している女の子、奈霧有紀羽さんと別れてくれ」
「……え?」
戸惑いが口を突く。
俺の生活を一変させかねない爆弾発言。柔和な微笑から発せられたと理解するのに数秒を要した。




