第135話 盗作疑惑
廊下と教室を隔てるドアを開け放つ。
いくつもの笑みに迎えられた。金瀬さんの弾けるような笑みが目を惹く。他のメンバーも口角を上げていたから、力ない笑みが目を引いた。
美術館での会話で、少しは元気付けることができたと思っていた。それではまだ足りなかったようだ。
奈霧は休み時間になるとスマートフォンに視線を落とした。
何か気になる情報でもあるのか。
そんな考えは数分とせずに霧散した。桃色のくちびるが引き結ばれて、スマートフォンを握る指に力がこもる。その横顔はストーカーに怯えていた頃を想起させるほど苦しそうで、尋常ならざる空気が感じられた。
ホームルームを終えて、俺は奈霧と茜色の廊下に靴裏を付ける。金瀬さん達には部活動がある。二人肩を並べて昇降口に踏み入り、履き物を変えて外気に身を晒す。
そっと横目を向ける。
いつもは胸を張って歩く奈霧が、今日は栗色の瞳を落としている。
「元気ないな」
栗色の瞳と視線が交差した。
「ごめんね、心配かけちゃって」
「いいさ。一生懸命やったことを否定されたんだ、その気持ちの一端くらいは分かるよ」
さらっとした髪が左右に揺れる。
「そうじゃないの。その件は気持ちの整理を付けたつもりだから」
「じゃあ何に悩んでるんだ?」
「それは……」
奈霧の視線が再び地に落ちる。
「公園まで歩かないか?」
奈霧が顔を上げて目を丸くする。
ちょっと急すぎたかと思いながらも言葉を紡ぐ。
「公園近くのカフェで新作メニューが出たんだ。食べてみようかと思ったんだけど、一人じゃ気恥ずかしくてさ」
「釉くんってそういうの気にする人だったっけ?」
「失礼だな。これでも大分周りを気にするようになったんだぞ」
「そうだったね」
桃色の口角が微かに上がる。
校門をくぐって敷地外に踏み出す。会話で間を繋ぎながら茜色の地面を踏み鳴らす。。
カフェに立ち寄って新作ドリンクを購入した。
席は全て埋まっている。奈霧と外に出て公園へと歩みを進める。空いたベンチを見つけて腰を下ろした。
「釉くんって子供舌になったんじゃなかったっけ?」
奈霧の視線が俺の手元に注がれる。
チョコに飾られた生クリームの上に、エスプレッソのソースが渦を巻いたドリンク。本来甘めな品を苦めにカスタムした一品だ。
「苦いのが駄目になったわけじゃない。少し苦手になっただけだ」
「どう違うの?」
「微かに違う」
「何それ」
奈霧が小さく笑ってストローの先端をくわえる。
白と濃緑に彩られた容器からは、グリーンティーの芳香がこれでもかと香っている。甘いものを好む奈霧にしては珍しいチョイスだ。
「一口交換しないか?」
「やっぱり嫌になった?」
「やっぱりって何だよ。単にそっちの方も味見したくなっただけだ」
「はいはい」
奈霧が濃緑の容器を差し出す。
俺は釈然としないものを感じつつ容器を差し出す。手元の黒と緑を取り換えた。
ストローに視線を落として、間接キスという単語が脳裏をよぎる。
気恥ずかしさが込み上げるものの、すでに口付けを交わした仲だ。自然を装って緑茶の味をたしなむくらいわけはない。
「これ、ほとんどコーヒーと変わらないんじゃない?」
「エスプレッソにしては甘いだろう?」
「そういう問題じゃないよ。こんなの飲ませて、一体何が目的なの?」
やわらかそうな頬が小さく膨らむ。
悪いと思いながらも口角が上がった。
「そんなに苦いのが駄目なら、どうしてグリーンティーのドリンクなんて注文したんだよ?」
「甘い物を飲む気分じゃなかったの」
奈霧がむくれる。
陰りのあった表情に子供っぽさが垣間見えて、思わず純粋な笑みがこぼれた。
ぱしっと背中を叩かれて自重する。
小さな嘆息が公園の空気を震わせた。
「何だか悩むのが馬鹿馬鹿しくなっちゃったなぁ」
「はしゃいでると気分が軽くなるよな」
「実体験?」
「ああ。愉快な友人に世話になった」
「そういえばそうだったね。あの先輩方がいたら悩んでる暇もないか」
「含みがあるように聞こえるな」
「変な異名付けられて困らされたからね」
「あの二人が考案したわけじゃないぞ」
「関係ないよ。ああいうのは誰が言ったかで変わるんだから。せめて釉くんの名字が市ヶ谷じゃなければ良かったのに」
「それはさすがに理不尽じゃないか?」
苦々しく口角が上がる。
こんなことで気がまぎれるなら、より苦き物に挑戦した意義もあったってものだ。
互いに容器を交換する。改めてエスプレッソの味で口内を満たす。
「私ね、盗作疑惑かけられてるの」
反射的にクリームを吹き出しかけた。
寸でのところで踏みとどまって隣に視線を送る。
「盗作って、もしかしてハンドメイドのか?」
「うん。霞さんのデザイン画と似通った点が指摘されてね、ずっと燃えてるの」
「奈霧は盗作なんてしてないんだろう?」
細い首が力なく縦に揺れた。
「デザイン画が投稿された日を確認したけど、ハンドメイドを出品した日の方が早かった」
「データはあるんだな」
「うん。提示して弁解したけど、それでも炎上が止まらないの」
信じたい物しか信じない。見たくない物からは目を逸らす。
その気持ちには覚えがある。暴走しているのは過激なファンだろう。
盗作疑惑で叩いた手前、撤回すればめでたしでは済まない。ひどい書き込みには開示請求が通るだろうし、後に投稿されたデザイン画の方がハンドメイドを真似た可能性も浮上する。お祭り好きが大半を占めるだろうけど、引くに引けなくなって文字を紡いでる奴もいるはずだ。
おそらく訴訟が成立しても炎上は収まらない。奈霧の名誉も完全には回復しないだろう。ハンドメイドの売り上げも確実に下がる。
「大丈夫か?」
「正直、ちょっときついかな。マーケットサイトの方で低評価をたくさん付けられちゃってさ、良い感じの評価付いてたのになぁ」
奈霧の視線が膝元に落ちる。陰のある横顔が痛々しく映って、左胸の奧がきゅっと締め付けられる。
「俺に、何かしてもらいたいことはあるか?」
「ちょっとだけ肩を貸して」
「好きなだけ貸すよ」
「ありがとう」
右肩にそっと重みが乗る。さらっとした髪が肩に垂れて、風に乗って爽やかな香りを漂わせる。
普段ならどきどきするシチュエーション。
今日ばかりは恋人の体が小さく見えて、右腕でそっと抱き寄せる。