第133話 批判と皮肉
五月下旬に設けられた中間考査を終えて、俺はポーチを身に付ける。
ペンや紙のいらないフィールドワーク。ついお出かけ気分になるけど、その目的は見識を深めることにある。知見を深めるも友人と駄弁るも自己責任だ。
校舎を後にして、事前に構成された班のメンバーと下町風情の道を踏み鳴らす。
東京と言えばお洒落な建物を想像しがちだけど、視野を広げるとレトロな景観も残っている。ビル群と比べれば派手さに欠けるものの、視界に収めていると言いようのない情緒が湧く。
華美な物ばかりがお洒落じゃない。街並みを手がけた匠達が、古風な建築物を通して訴えかけているみたいだ。
神社や寺、商店街を遊び歩いて上野公園の地面を踏む。浅田先生の号令を受けて整列し、噴水を眺めながら自分の番号を告げる。
満を持して赤茶の建物に靴先を向ける。入り口に踏み入るなり、美術館特有のツンとした匂いに鼻腔をくすぐられる。
企画展の案内板に従って美術館の床を踏み鳴らす。油絵の画廊や彫刻など、これぞ美術品と言わんばかりの代物を片っ端から視線でなぞる。
後日待ち受けるレポート提出に備えて、メモ帳にペン先を走らせる。
先日ネットでリサーチしたからある程度の知識はある。企画展の内容はゴッホ。向日葵で有名な印象派の画家だ。
印象派と言えばゴッホやモネが有名だけど、印象派の概念を広めた立役者は他にいる。
著名なのはルイ・ルロワだ。印象派を批判したことで知られるものの、その発言がきっかけで印象派の概念が広く認知された。
百の肯定よりも一の否定。ルイ・ルロワは印象派を批判したはずが、逆に印象派の立場確立に貢献した。物理学で有名なシュレディンガーの猫も、元来は皮肉から生まれた概念だと聞く。批判は物事を根付かせるために欠かせない。それを歴史が証明した訳だ。
皮肉としか言えないのがまた皮肉だけど批評は批評。悪く言われて気分が良くなる人は希少種だ。印象派の画家はさぞ不快な思いをしたことだろう。
薬と毒。
批判が持ち得る二面性について思考を巡らせていると、芍薬のごとき立ち姿が映った。靴裏を浮かせて距離を詰める。
「奈霧」
呼びかけても応答はない。考え事でもしているのか、小さなため息が静寂をかき乱す。
「大丈夫か?」
間近で問いかけたのを機に、栗色の瞳が俺を捉えた。
「あ、釉くん。何が?」
「元気がないように見えたからさ。気のせいならいいんだけど」
多分気のせいじゃない。奈霧は誕生日会をしてから元気を失った。
原因は十中八九霞さんの発言にある。奈霧はハンドメイドに熱を入れていた。通信講座を通して学ぶくらいに意欲がある。売れ行きも良いと聞くし、一種の自信すら覚えていたに違いない。
そんな奈霧のハンドメイドは、他ならぬ霞さんによって全否定された。
霞さんはただの高億生じゃない。海外のコンクールで賞を取ったデザイナーの卵だ。デザイナーと目利きはイコールじゃない一方で、その発言には少なからず力がこもる。気にするなと言う方が難しい。
どうにかして慰めてあげたいけど、素人の俺が何を言っても焼け石に水だ。奈霧にも言いたくないことはあるだろうし、適当に話題を振って逃げ道を用意するか。
「ちょっとね、自信なくしちゃって」
思わず目を見張った。
奈霧が弱音を口にするとは思わなかったから意表を突かれた。
「自信って、ハンドメイドのことだよな?」
「うん。心のどこかで、霞さんは褒めてくれると思ってたんだ。通販での売れ行きが良いから調子に乗ってたのかなって」
奈霧の技術が発展途上なのは俺でも分かる。
だとしても霞さんが冷静に鑑定できたかどうかは怪しい。服飾のことは分からないけど、霞さんが平静さを欠く要素には心当たりがある。
それを俺の口から伝えるのはためらわれる。別の言葉で元気付けるには何が良いだろう。
「……調子に乗って何が悪いんだ?」
「え?」
奈霧の視線が床から離れる。
俺は意図して口角を上げた。
「ハンドメイドはそこそこ売れたんだろう? 数億使って広告を打ったわけじゃあるまいし、評価を数十得ただけでも凄いことじゃないか」
「でも、霞さんは粗末って」
「目利きでもない人に粗末って言われたから何なんだ? 俺は奈霧の作品好きだよ。クリスマスプレゼントに貰ったマフラーは今年も使う。製作者が粗末だと思ってたら、それを身に付けて歩く俺が馬鹿みたいじゃないか」
誰かがマフラーを褒めた時に、隣から粗末な物ですよと言われたら口をつぐむしかない。お世辞で好きと言ったわけじゃないんだ。粗品と断言されるのは悲しい。
「そう、だよね。自分の作品に自信がなかったら、買ってくれた人に立つ瀬がないもんね」
端正な顔に微笑が浮かぶ。
いつも通りの笑みを前にして、意図せず俺の口元も緩んだ。
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