第131話 初対面の男の子
わたしの出生は望まれてなかった。
認められるために頑張ったつもりだった。お勉強、ピアノ、バイオリン。彫刻から油絵まで、父と母はわたしにあらゆる習い事をさせた。あらゆる物事において優秀な成績を収めるのは義務。そんなことを毎日のように聞かされて育った。
でもわたしは凡庸だった。父は早々に私を見限った。
わたしを疎むのは父だけじゃなかった。叔父に会えば目を細められたし、男子にいじわるされてもわたしを助けてくれる人はいなかった。男性は怖い存在。そんな考えが時間とともに身に沁み込んだ。
ある日、お爺様のお屋敷で集会が開かれた。
父は用事を盾にして家を空けた。わたしは母と車に乗り込んでしぶしぶお屋敷に向かった。
車に揺られる間は、ずっとくちびるを引き結んでいた。
みんなわたしにいじわるだ。見たことのない家族もいじわるに決まってる。里帰りかなんだか知らないけど歓迎する気にはなれなかった。
屋敷に着くなり客室をのぞき込んだ。
きれいな部屋の中に従兄妹の姿はなかった。わたしは内心ほっと胸をなで下ろして、階段の手すりの陰に隠れた。来訪者は客室に通される。子供ながらに分かっていたから、出くわさないようにする。そのことしか頭になかった。
十分ほどして玄関の扉が開いた。
現れたのは三つの人影。さらっとした髪を垂らした女性と、父よりも接しやすそうな細身の男性。二人の間には、わたしと年の近そうな男の子が立っている。
見つからないように細心の注意を払っていたのに、男の子と目が合った。
わたしはとっさに隠れた。手すりに背中を押し付けて背筋を丸める。
またいやなことをされる。確信してまぶたをぎゅっと閉じた。
「何やってるの?」
背筋がぴくっとふるえた。顔を上げると男の子が見下ろしていた。
叩かれない。小ばかにもされない。男の子は大きな目をぱちくりさせるだけ。わたしは隠れていたことを正直に告げた。
「何で隠れたの?」
「みんな私をいじめるから」
「ひどいやつがいるね。ぼくはいじめないから安心してよ」
「ほんとう?」
男の子は本当と告げた。
わたしは信じられなくて何度も何度も問い掛けた。正直うっとうしかったと思う。でもその男の子は呆れることなく、繰り返し約束してくれた。
私は男の子の手首を握り締めて引っ張った。子供部屋のドアを開けて、男の子を部屋に招き入れる。いじわるな人に邪魔されないように、きっちりとドアを閉めた。
早速遊ぼうと思って、何をすればいいか分からないことに気付いた。自宅は肩身が狭いし、プリスクールにもわたしの居場所はない。何をすればいいのか遊びになるのか分からない。
男の子が小首をかしげて、胸の奥から焦りの情が泉のごとくわき上がる。頭の中が真っ白になって、言葉を告げることもままならない。
「あれ何?」
男の子が短い指を伸ばした。指し示された先を視線で追うと、ビーズで作ったアクセサリーがあった。
わたしがこっそり作った品。父に見つかればくだらないと捨てられる代物。
わたしは蚊の鳴くような声でハンドメイドと告げた。そまつな出来なのは自覚していたけど、男の子にばかにされるのが怖かった。
「すごくきれいだね」
予想と反した言葉を耳にして、わたしは目を見開いた。触って良いか問われて、思わず頷いてしまった。
次に、ブレスレットを壊される未来が頭をもたげた。わたしが知ってる男の子は乱暴だ。あり得ない話じゃない。
新たな未来図も外れた。男の子がブレスレットを頭上にかざして、様々な角度で観察する。
そこまで興味を持ってもらえたのが嬉しくて、他の作品も見せた。本当に出来の悪い品には突っ込みを入れられたけど、誰かに評価もらうのは恥ずかしくて、うれしかった。
ドアが開かれてバッと振り返る。
廊下に私の母と男の子の両親が立っている。後方ですっくと腰を浮かせる気配がした。
「もう帰るの?」
「うん。パパとママ来たし」
わたしは肩を落とす。本当に行ってしまうと察して、視線が重力に引かれたように落ちる。
「どうしてそんな顔をするの?」
「だって、もう会えなくなるから」
わたしをいじめない男の子。一緒に遊んでくれた同年代。
わたしのハンドメイドを褒めてくれたお友達。アメリカからいなくなってしまうんだと思ったら、どうしようもなく目頭が熱くなった。
「また会えるよ」
「うそ。にほんって国に行くんでしょ? すごく遠いよ?」
「確かに遠いけど、ぼくはここにいるじゃん」
「どういうこと?」
「今日ここに来たってことは、またここに来れるってことでしょ?」
言われてみて確かにと思った。
よく分からないけど、ひこーきに乗ればにほんとアメリカを行き来できるらしい。一日に何本もお空を泳ぐって聞くし、また会える日はいつか必ずやってくる。
気分が羽毛のごとく軽くなった。
「じゃあ次。次はいつ来てくれる?」
「それは分からないよ」
「じゃあ次来た時はおよめさんになってあげるね!」
「およめさんって何?」
言われてみたら何だろう。同い年の女の子が将来の夢で口にしていたし、幸せなものという印象しかない。
うーん……。
「ずっと一緒にいるってこと、かな」
「それならいいよ。今日は楽しかったし」
「ほんと⁉ 約束! ぜったいだからね!」
両親に呼びかけられて、男の子が廊下へと踏み出す。
わたしは小さな背中へ向けて声を張り上げる。
「わたし伏倉かすみ! あなたのお名前教えて!」
男の子が足を止めて振り向く。
「ゆう。伏倉ゆうだよ」
「ユウ! また会おうね! ぜったいだからね!」
去り行く背中に念を押して、わたしも床から腰を浮かせる。帰宅すると思うと気分が重くなる。
でも明日以降の日々が待ち遠しい。ユウが来るまでに、アクセサリー上手に作れるようになろう。きれいになったわたしを見せて、ユウをびっくりさせてやるんだ。
廊下に踏み出す足が軽い。口角を上げて子供部屋を後にした。