第123話 対面式
自分の椅子を持って廊下の床を踏みしめる。名簿順に列を作り、一階を目指してクラスメイトと靴音を鳴らす。
体育館は騒がしさで満ちていた。体育館を温めていた制服の群れに紛れて、教師陣が遠くで口を開いている。
この集会は始業式と対面式を兼ねる。手前と奧で、新一年生と上級生が分かれている。
俺のクラスも所定の位置まで歩かされた。気だるげな指示を受けてパイプ椅子に腰を下ろす。
最初に対面式が行われた。新一年生の代表として霞さんが起立する。
上級生の代表として向かい合うのは大人びた美貌。多くの視線を意識しているのか、男子の膝をなぞる系悪女のオーラが鳴りを潜めている。
霞さんと菅田先輩のやり取りが終わって始業式が始まった。ちょっとした挨拶に次いで表彰式に移行する。
全く身に覚えがない。耳を澄ませていると同級生のひそひそ話が耳に入った。どうやら留学中にプレゼンテーション大会が開かれたようだ。奈霧も壇上に立って表彰を受けた。
生徒がぞろぞろと椅子を持ち上げる。俺も体育館を後にして、階段を一段一段丁寧に上る。教室の床に椅子の脚を付けた。
戻ったクラスメイトの数に比例して騒めきが増す。
プレゼンテーション大会についての話を聞く内にドアがスライドした。浅田先生が教壇の前に立ってプログラムを進める。
名簿順での自己紹介が始まった。順番が回ってきて俺も椅子を鳴らす。愛のささやきを耳にした気がするけど気のせいだ。 名前と好きな食べ物を告げて腰を下ろした。
気だるげな声が明日以降の予定や注意事項を口にする。俺はメモ帳を広げてページの上でペン先を走らせる。
解散の言葉を機に、室内が賑わいを取り戻した。
俺はいつものグループと合流して校舎を後にした。コンクリートの地面を踏み鳴らしてファミレスに立ち寄る。
数分後に二つの人影が現れた。計四つの青い瞳が店内を薙ぐ。視線が交差するなり、二人の靴先が俺達のテーブルに向けられた。
入学祝いを兼ねて親睦会を開く。全部奈霧のアイデアだ。早朝先輩呼ばわりされたのがよほど嬉しかったに違いない。
霞さんと白鷺さんが俺達と同じテーブルを囲む。店員が新たに二人の注文を聞き届けて背を向けた。
談笑で間を繋ぐ内に、お盆を持った店員が歩み寄る。
料理を置いては奥に引っ込むこと三回。全員分の料理が揃った。店員が置き土産のレシートを残して踵を返す。
奈霧がグラスを握げて氷を鳴らし、入学祝と親睦会を兼ねた口上を口にした。各自グラスを打ち鳴らし、笑みとともに飲み物で喉を鳴らす。
飲食を挟みつつ、俺と奈霧を除くメンバーが自己紹介を交わす。三人は従兄妹の関係を内緒にしてくれた。
「伏倉さんは入る部活決めてるの?」
「はい。ファッション関連の部活があったら、そこに入るつもりです」
「確か奈霧さんは被服部所属だったよね?」
金瀬さんから視線を向けられて、奈霧が首を縦に振る。
「うん。部の雰囲気が合わなくて辞めちゃったけど」
「そうなんですね。想像より活動が厳しかったとか?」
奈霧がかぶりを振った。
「ううん、その逆。部のスタイルが皆足を揃えてって感じだったの。私は本気で打ち込みたかったから、通信講座に切り替えたんだよ」
「そうなんですか。じゃあ私も合わないかもしれませんね」
「結論を出すのは速いよ。入ってみたら案外合ってるかもしれないし」
霞が小さく笑う。
想定したニュアンスとの差異を感じ取って、一瞬場の空気が固まった。
「入るまでもないですよ。奈霧さんでもぬるかったんでしょ? だったら私が入って得することはありません」
形の良い眉がぴくっと跳ねた。
「ぬ、ぬるいって言っても、私はがっつりと勉強してるんだよ? プロの人から教わってるし、ハンドメイドだって最近売れ行きが良いんだから」
笑みがどこかぎこちない。負けず嫌いの奈霧らしい反応だ。霞さんが同年代だったら、もうちょっと挑発的な言葉をぶつけたかもしれない。
「がっつり勉強してるって話ですけど、そこまでじゃないですよね?」
「そんなことないよ? 服を作らせたらきっと学校一なんだから」
「ふーん。でも池蔵ミストを知らないんでしょ?」
「それくらい知ってるよ」
誰? 問い掛けを視線に込めて奈霧を見る。
俺だけじゃなかった。いくつもの視線を受けて奈霧が口を開く。
「有名な学生デザイナーだよ。海外を拠点にして、デザイナーの登竜門でいくつも賞を取ってる天才なの」
「へえ。凄い人がいるんだな」
感嘆する俺達をよそに、霞さんがストローから口を離す。
「なーんだ。日本は服飾に疎いって聞いてたけど、ちゃんと知ってるんだ。ちなみにそれ私のことね」
一瞬何を言っているのか分からなかった。
沈黙の中で目を瞬かせていると、霞さんがスマートフォンを取り出して液晶画面をタップする。
「これ見れば信じる?」
霞さんが手首を翻す。
液晶画面に映るのは賞状だ。コンテストの名前と詳細、授与された人物の名前が記されている。
細い指が液晶画面をなぞる。衣服のイラストが上に移動しては消える。流し見した限り、いずれの写真も至近距離から撮られている。挙句の果てには『池蔵ミスト』のSNSまで見せてくれた。
ふとアメリカのマンションでの光景が脳裏に浮かぶ。
「そういえば、霞さんの部屋にファッション雑誌と裁縫道具があったな」
スマートフォンの画面に見入っていた奈霧がバッと振り向く。
失言を悟って背筋が伸びた。
「いや、その、ちが――」
「池蔵さんの部屋に入ったの⁉ いいなーっ!」
「あ、そっちか」
二度あったから反射的に身構えてしまった。
今は興奮しているから、俺が霞さんの部屋に入った事実を認識できていない可能性もある。念には念を入れて話題を逸らすか。
「さっき日本は服飾に疎いって言ったけど、この前は日本の制服に興味があったって言ってたよな?」
「確かに日本のデザインは優秀な物が多いよ。でもこの国って、ブランド物付けてればお洒落とか思ってるでしょ? もしくは流行に乗ってればオーケーみたいな風潮。身に覚えない?」
「あるな」
俺はファッションに疎いけど、人々が流行物を好むことは知っている。
ブランド物も然りだ。どこぞのブランドが新商品を出すたびに、一部の人々が賑わって店舗前に列ができる。転売が行われてニュースになる。
「でも流行って需要があるから流行るんだろう? それは立派なお洒落じゃないか」
「需要があることは否定しないよ。でも服は人によって向き不向きがあるの。イエベブルベだけじゃない。髪だって日本人全員が真っ黒ってわけじゃないし、背丈や腕の長さだって違う。同じブランド物が全員に合うわけないのに、大勢が似た物を身に付ける。良質な衣服があふれてたって宝の持ち腐れだよ」
「はぁ」
イエベブルベってなんだ。言いたいことは理解できなくもないけど、物事を語る視点が違いすぎて付いていけない。
その点、奈霧は本当に勉強していたようだ。口をぱくぱくさせる男性陣をよそに、霞さんと服飾談議に洒落込む。途中まで付いて行けていた金瀬さんも小首を傾げて、すっかり二人きりの空間ができ上がった。
恋人の横顔は楽しそうだ。俺達の中に服飾を深く知る者はいない。今までそういった会話をしたくでも、分かち合える相手がいなかったのだろう。
今この時において、年下ながらも豊富な知識を持つ天才少女がいる。知識マウントを取られてすら真剣に聞き入っている。
口を挟む気にはなれない。二人の会話に耳を傾けながら食事の手を進める。