第122話 新しい教室
「金瀬さん?」
この明るい声色は聞き間違いようがない。人目を惹く容姿の近くには例の二人もいる。
見慣れない人影も混じっていた。ショートカットの女子が目を見張る。
「愛故にじゃん! ナナ達って愛故にと友達だったの?」
懐かしい響きだ。まだ残ってたのかその異名。
金瀬さんが目を丸くする。
「あれ、言わなかったっけ?」
「聞いてない聞いてない! どういう流れでそうなったの? 教えてよ」
「んーどうしよっかな~~」
金瀬さんが人差し指を口元に当てて首を傾げる。スタイルの良い体に、小悪魔の翼と尻尾を幻視した。
俺は男友達にそっと歩み寄る。
「尾形さん、あの人見たことないけど知り合いか?」
「ああ。市ヶ谷がナナを庇った時あったろ? あの後で仲直りした元友達」
「なるほど」
全校放送の件で、尾形さん達のグループは孤立した。察するに、見知らぬ少女はそうならなかったのだろう。周囲からグループの一員と認識される前に、離脱して事なきを得たと言ったところか。
ショートカットの女子が迫り、びしっと手刀を眉の上に添える。
「初めまして、井ノ原さやかです! 愛故にさん、お噂は兼々」
「はて、誰のことだろう。俺にはさっぱり分からないな」
「またまたー! あれだけ有名になっておいてそれは通らんでしょ」
「いや通る。誤解なんだ」
「誤解?」
少女がきょとんとする。
この反応、いける。
「そう。実は愛遊絵仁っていう女子がいて、皆その人とごっちゃにしてるだけなんだ」
「そうなの?」
井ノ原さんが顔の側面を向ける。
俺はとっさに腕を伸ばした。純粋すぎる金瀬さんはもちろん、佐田さんや尾形さんも悪ノリするに決まってる。彼らに話題を振らせたら俺の負けだ。
「ぎゃっ⁉」
両手で挟んだ顔がぴくっと跳ねた。
「な、なに!?」
「井ノ原さん。他の誰でもない、俺を見るんだ」
愉快な三人に問わせはしない。これ以上愛を語る者は増えなくていい。
「ゆーうーくん」
冷たい声で背筋が伸びた。俺は反射的に腕を引いて、紅潮した顔を視界から外す。
恋人がぎこちない笑みを浮かべていた。
「違うんだ」
「何が?」
「だからその、いるんだよ。愛遊絵仁って女子が」
最近「違うんだ」を告げてばかりだ。何で弁解を繰り返しているんだろう。俺は悪くないのに。
「あはははっ! 愛遊絵仁って、それ一発ネタじゃなかったのかよ!」
バッと振り向く。
大爆笑する男子と目が合った。
「芳樹、何でここに?」
「何でって、三組所属になったからに決まってんだろ」
胸の奥でほかほかと温かいものが込み上げる。
特別親しい同級生が、全員この教室に属している。
何という偶然。振り分けに関わったであろう教師に心の内で感謝を捧げる。
「愛遊さんって釉くんの異名とは違うの?」
「ああ。全然違う」
「芳樹、余計なこと言わなくていい」
「実は文化祭の日にな」
「俺言わなくていいって言ったよな?」
陽気な笑い声が室内に伝播した。四方八方から視線が集まり、耳たぶがお風呂でのぼせたように熱を持つ。
芳樹がしみじみと腕を組む。
「まさかこの面子が揃うとはなぁ。仲の良い生徒を集めるって話は本当だったのかね」
「別の説もあるよな。問題児を一か所に集めて、生徒のコントロールに長けた教師が一括管理するってやつ」
「誰だ問題児って」
「お前じゃい」
失礼な。俺はプリン頭から足を洗ったんだ。幾多ものボランティア経験を有する優等生を名乗っていい、と思う。
室内と廊下を隔てる板がスライドした。同級生が自身の席へと踏み出す。
尾形さんは生徒のコントロールに長けた教師と告げていた。となれば担任になる教師は相当厳格な手練れのはず。
俺は席に腰を下ろして担任の面を拝む。
知っている顔だった。だるそうな雰囲気は相変わらずな一方で、顎から伸びていた毛は剃られてツルッツル。室内で驚きの声が上がる。
浅田先生だ。俺は内心ほっと胸を撫で下ろす。
俺は問題児扱いされていない。その確信を得て担任の話に耳を傾けた。