第119話 小さな来訪者
会食を終えて帰路を辿った。
伏倉姓の祖母と会えたのは良かったけど、奈霧について聞かれた時は内容を吟味するのが大変だった。教室で恋愛トークに励む女子のようなグイグイ姿勢。女性はいくつになってもああなのだろうか。
オートロックを突破してマンションのエントランスに踏み入る。エレベーターの突き上げる慣性を靴裏で受け止めて、通路の床を踏み締める。
玄関の前に人影があった。
ウェーブ掛かった金色の髪。日本人離れした容貌は、通路に佇むだけでも目を惹く。足元に大きなキャリーバッグが鎮座することも相まって余計に目立つ。小柄でも力のあるタイプなのだろうか。
大小のギャップに視線を引き付けられていると、サファイアのごとき瞳と目が合った。
「ユウ!」
小さな顔に輝かんばかりの笑みが浮かぶ。目立つ容姿がキャリーバッグを引っ張って迫る。
「どうして日本にいるんだ?」
問い掛けて、詮無きことと思い至る。
霞さんはキャリーバッグを持っている。今は桜が綺麗な季節だし、観光にでも来たのだろう。
桜色の口元が上がる。
「日本の制服に興味があったの! それに、ユウと同じ高校に通いたかったから」
「そうか……ん、同じ高校?」
霞さんが請希高校に入学するってことか?
ヒール特有のコツっとした音で思考が中断される。
整った顔立ちが間近にあった。歓喜を滲ませていた顔に不満の色が浮かび上がる。
「それよりもユウ、今までどこに行ってたの? もう五回インターホン鳴らしちゃったよ」
「出掛けてたんだ。んで今帰ってきた」
「そうだったんだ。良かった。床に伏してるのかと思って、もう少しで強行突入するところだったよ」
「ドア蹴破って?」
「日本製を蹴破るのは難しいって聞くから、もっとこう物理的に」
「霞さんって結構アグレッシブだな」
せめて留守の可能性を考慮してほしかった。想像力豊かすぎて暴走した時が心配だ。
「取り敢えず、俺に用があるんだろう? 上がっていきなよ」
「うん!」
霞さんの横を擦れ違って解錠し、玄関に踏み入って二組のスリッパを用意する。
先にスリッパの裏を鳴らしてリビングに踏み入る。荷物を置いて手洗いうがいを済ませ、電気ケトルに水を注いで電源を入れる。
洗面所へと消える背中に紅茶でいいか問い掛けた。了承の返事を得てティーカップとソーサーを用意する。
菓子と紅茶をお盆に乗せてリビングに戻る。
アメリカでは、霞さんは白鷺さんの淹れる紅茶をたしなんでいた。俺が淹れた紅茶は口に合うだろうか。
「霞さんがいるってことは白鷺さんもいるのか?」
「うん、アンナも請希高校に入るよ。今は部屋を飾り付けてるんじゃないかな?」
気分が沈む。心に石が乗っかったみたいだ。
白鷺さんとはぎくしゃくしたまま帰国した。顔を合わせる日を想像すると気まずい。
幸い白鷺さんは新入生だ。一年と二年。住居さえ分かれば鉢合わせないように立ち回ることもできる。
「霞さんはどこに住居を構えたんだ?」
霞さんと白鷺さんは仲が良い。マンションの部屋を借りるにしても同じ建物を選ぶはずだ。
「ここの隣」
霞さんの指がリビングの壁を指し示した。
「隣って?」
「隣は隣だよ。四月になったら一緒に通おうね」
「ちょっと待ってくれ。そっちは山田さんが住んでたはずだ」
「その人なら引っ越したよ?」
「え、何で」
というかいつ引っ越した? 道理で最近姿を見ないと思った。
「一応聞くけど、悪いことしてないよな?」
「人聞きが悪いなぁ。ちょっとお金握らせたらいい顔で頷いてくれたもん」
「生々しいなおい」
そりゃ伏倉家の一員だしお小遣いは多いだろうけど、札束握らせて引っ越しさせるってどうなんだ。法には触れなくとも大胆極まると言うか、霞さんに抱いていたイメージが凄い勢いで塗り替えられていく。
いや、そんなことよりも重要な情報がある。
「もしかして、白鷺さんもこのマンションに?」
「うん。私の隣の部屋だよ」
これは遭遇を避けられそうにない。早めに話をしておくべきか。
霞さんの手前ため息はこらえた。腕を伸ばしてティーカップの取っ手を握り、鎮静効果のある液体で口内を満たす。
霞さんが菓子をつまんで口内に放り込み、小動物のごとく頬をもごもごさせる。甘味を口に含んで口角を上げるさまは、年相応の少女に映る。
いや年の近い少女なんだけど、ドア破りを考えたり札束握らせたインパクトが凄まじい。おてんばなお嬢様に映って仕方ない。
霞さんが身を乗り出す。
「秀正さん日本に来てるんだよね? 一緒に出掛けたの?」
「ああ」
「そっか。ちゃんと仲直り出来て良かったね」
「仲直りも何も、喧嘩なんかしてないって」
「えー喧嘩だよ。だってあれだけ苛立ってたじゃん」
「もうそれでいいや」
「素直じゃないね」
霞さんがにっと笑む。年下らしいあどけなさを目の当たりにして、意図せず口元が緩む。
付き合いは長い方じゃないけど、霞さんは思い込みが激しい節がある。
アメリカで空気が悪くなった件もそうだ。息子が父を好くのは当たり前。霞さんはそう思い込んでいたから、俺が苛立ちを抑えていたことに気付かなかった。
その短所は健在に映る。学校で同年代とぶつかることもあるだろう。
きっと根は悪くない。優れた容姿と明るい性格が人を惹く。嫌う人よりも多くに好かれて、短所との向かい方を学ぶはずだ。
何せ俺にもできた。俺より多くを持つ霞さんに、それができないはずはないのだから。