第116話 天体観測
都会の夜は明るい。そこかしこで自己主張する人工的な照明が、その明るさで闇を暴くからだ。
その暴力的な輝きは人目を惹く一方で、天然の光を容赦の欠片もなく蹂躙する。都会にいては星空を仰ぐことも叶わない。
反面田舎の夜は真っ暗だ。明るいのは街灯が立つ場所に限られる。
だから俺達はこの場を歩いている。濃厚な草木の匂いで肺を満たしつつ、ヘッドライトを頼りに高所を目指す。
春と言えば大曲線と大三角が有名だけど、パッと見ても分からない。星座早見表を持ってきた自分が誇らしい。
呼吸ペースが乱れてきた。防寒具をまとって歩けば体温は上がるし、隙あらば天然の地面が足を取る。
奈霧の前で情けない所は見せられない。姿勢と表情の維持に努めて坂を上り切る。
視界一杯に雑草の絨毯が広がる。
かつて祖父母と星を見た場所だ。地面が平坦だから寝そべるには都合が良い。
リュックからレジャーシートを引き抜き、地面の上に広げて背中を預ける。
藍色を背景に無数の点が散らばっている。都会では目立たない儚き光が、我を見よとばかりに輝きを放っている。
目の前に星座早見表をかざし、ハンドルのごとく左右に回す。
「星の位置分かる?」
奈霧も隣で仰向けになった。土と樹木の芳香に混じって、仄かな甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「分からない」
「だよね」
夜空で瞬く星は一つや二つじゃない。名のある星を見つけるのも一苦労だ。
「天体観測で星を楽しむ人って何割いるんだろうな」
「天体観測って星を観るものじゃないの?」
「本来はそうだけど、全員が事前にリサーチしてるとは思えないんだよな。水族館に置き換えると分かりやすいんじゃないか?」
「あーそれなら分かるかも。解説パネルを凝視する人ってあんまりいないよね。お魚を見に来たんじゃないの? って時々考えるよ」
「魚じゃなくて暗さを求めてるのかもな」
「暗さ?」
「ほら、人気のデートスポットって暗い場所多いだろう? 映画館とか定番じゃないか。暗いのを好む理由までは分からないけどさ」
「周りの目を盗みやすいからじゃない?」
「と言うと?」
「例えば、こういうこととか」
指先に温かい物が触れる。
それが何かなんて視認するまでもない。俺は無言で指を絡める。
「確かに、これだけ暗いと周りからは見えないな」
「今さらって感じはするけどね」
「空港でキスして抱き合ったもんな」
可笑しくなって笑みを交わす。
思い返すと大胆なことをした。やったことは公開告白と大して変わらない。大立ち回りを繰り返して慣れたのだろうか。それとも自信を持って周囲の目が気にならなくなったのか。短期留学のおかげならちょっと嬉しい。
「織姫と彦星は見えないな」
くすっとした笑い声が空気を震わせる。
「織姫と彦星が見えるのは七夕だよ。今何月だと思ってるの?」
「三月。俺達からは見えないだけで、宇宙のどこかには存在してるはずだ」
「そうなるね。地球の位置と角度で見えないだけだし」
デネブ、ベガ、アルタイル。有名な夏の大三角も、春の季節では形無しだ。
俺達と夏の大三角の間には、逃れられない地球の自転運動が立ち塞がる。人の身では宇宙へ発つ以外に方法がない。
「どうしてこの時期に星を観ようと思ったの?」
「夏は夏で色々あるからな」
「例えば?」
海水浴。そう声を発しかけて口元を引き締める。間髪入れずに挙げたら、俺が奈霧の水着を目当てにしているみたいだ。いや楽しみだけど。見てみたいけども、あの三文字が飛んでくると思うと尻込みする。
何かないかと探って、ふと高台の光景が脳裏をよぎる。
「夏祭りとか」
「そういえば去年は一緒に行かなかったね。釉くんは先輩方と遊び歩いたみたいだけど」
「あれは強制連行されたんだよ。そう言う奈霧こそ、男友達と仲睦まじく歩いてたじゃないか」
「友達なんだから当たり前でしょ? 大体、釉くんが私を避けるから面倒なことになったんだよ?」
栗色の瞳がすぼめられる。
しまった、墓穴を掘った。この点に関して奈霧を論破するのは不可能だ。何か話題を逸らさないと。
「星が綺麗だ」
「誤魔化し方にバリエーションがないね。アメリカンジョークは身に付けてこなかったの?」
「ジョークを磨く時間はなかったんだよ」
俺にできるのはHAHAHAくらいだ。そんなもので誤魔化せるなら苦労はしない。
奈霧の視線が夜天に戻る。
「七月まであと四か月か。織姫と彦星は今年も会えるかな」
「会えるさ」
「嫉妬した誰かが天体を破壊するかもしれないのに?」
「仮にそんな暇人が現れても、織姫と彦星なら何とかするさ。人の身でも悪意には抗えたんだ。伝承上の存在にできない道理はないよ」
「そうだね」
俺は星空から視線を外す。
栗色の瞳と目が合った。数秒見つめ合って長い睫毛が重なり、艶のあるくちびるが突き出される。
気持ちは同じ。暗い視界を端正な顔立ちで満たし、数か月ぶりに瑞々しい感触を得た。
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