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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
5章
111/184

第111話 浮気疑惑

本日は連続投稿となります


 空港の外に靴裏を付けた。コンクリートの地面を踏み鳴らしつつ、奈霧に土産話を披露する。


 懐かしき母国の空気を突っ切って、目に付いたシックな建物に靴先を向ける。


 ドアの取っ手を引くなり鈴の音に歓迎された。香ばしい匂いの空間を突っ切って、奈霧と暗褐色の木製テーブルを挟む。


 注文を終えて談笑の続きに洒落込もうとした時、奈霧が口元に手を当てた。長い睫毛が重なり、間の抜けた吐息がテーブル上の空気を震わせる。


「眠いのか?」

「うん……遅くまで作業してたから」

「作業?」


 春休みの宿題を作業とは言わない。


 他に作業と称するものを思い浮かべて、思い付いたワードを口にする。


「通信教育で課題でも出てたのか?」

「うん。たくさん宿題を出されちゃって、昨日まで掛かりっきりだったの」

「春休みはまだあるんだし、ハイペースで片付けなくてもいいんじゃないか?」

「それはそうだけど、約束したでしょ?」

「約束?」

「帰ってきたら、またデートしようねって。忘れたの?」


 白い頬が小さく膨らむ。


 胸の奥がぽかぽかとして、何となくテーブルの天板に視線を落とす。


 覚えている。確かに出国前に告げられた。改めて言われると妙にこそばゆい。


 しかしデートか。アメリカにいた頃は、英語と勉強に忙殺されていた。デートの行き先なんて考えたこともない。


 さて、どこにしたものか。


「あれ、市ヶ谷さんと奈霧さん」


 視線をずらした先に既知の顔があった。肩に届かない黒い髪、知的な印象を付与する眼鏡。今度は名前を覚えている。花宮生徒会長だ。


 いや、元生徒会長か。すでに卒業しているだろうし、四月には大学生のはずだ。


「こんにちは花宮先輩。カフェで一服ですか?」

「うん、新商品出たから寄ってみた。二人はデート?」

「似たようなものです。帰国してすぐ帰るのも味気ないので、カフェで少し話そうかと」

「短期留学だっけ? いいなぁー私も行きたかった。あ、お邪魔じゃなければ同席していい?」

「いいですよ」

「ありがとう」


 花宮先輩が靴裏を浮かせる。

 

 奈霧の隣に座る――ことなくテーブルの横を擦れ違った。私服姿が俺の隣に腰掛ける。


 奈霧の微笑が強張った。


「ど、どうして釉くんの隣に座るんですか?」

「さて、どうしてだろ。ね?」


 花宮先輩が小首を傾げて上目遣いを向ける。


 何だ、その意味ありげな態度は。奈霧に誤解されたらどうしてくれる。


「釉くん、説明して」

「俺は何もしてないからな?」


 これじゃ本当に俺がやらかしたみたいだ。こんなしょうもない冗談で関係がこじれるのは勘弁してほしい。


 隣で愉快気な笑い声が上がった。


「冗談冗談! 奈霧さんが心配するようなことは何もないって。私と市ヶ谷さんは、図書館でナポレオンを勧めただけの仲だよ」

「ナポレオンって、フランスの軍人の?」

「そ、ポナパルト。市ヶ谷さんが生徒会長の名前すら覚えてなかったから、ナポレオンがいかに人心を掌握したか教えてあげたの」

「別に会長の名前を忘れてたわけじゃないですよ」

「思い出せなかった時点で同じでしょうが」


 レンズ越しに瞳が細められた。


 もしや根に持つタイプなのだろうか。とがめる視線を視界から消して、窓の向こう側を仰ぐ。


 うん、今日もいい天気だ。


「とにかく誤解は解けただろう? 機嫌を直してくれ」

「私は説明してって言っただけだよ」

「その割に目がマジだったぞ」

「そう? 私は捨てられた子犬みたいに見えたなぁ」

「先輩はもう口閉じてください」


 また愉快気な声が上がった。文化祭で二人きりにしてもらった恩義が無ければ、押しのけて席を立っていたかもしれない。


 花宮元先輩が満足げに息を突く。


「菅田さんと波杉さんが言ってた通りだね。普段は凛としてるのに、おちょくるとこんなに可愛いんだ。知らなかった」

「やっぱりあの二人の仕業でしたか」

「他人事みたいに言わないの。釉くんが美人の先輩に弱いからいけないんだよ」

「それ理不尽って言わないか?」


 あの二人には恩があるから強く出れないだけだ。容姿の良し悪しは関係ない。


 一悶着の原因が呼び鈴を鳴らした。店員が元先輩の注文を聞き届けて背を向ける。


 奈霧がむすっとしながら口を開く。


「先輩、遅れましたけど合格おめでとうございます」

「ありがとう。祝ってくれるなら嬉しそうに言ってよ」

「先輩が意地悪しなければそうしてました」

「それは残念。それでそれで? 市ヶ谷さんは短期留学で何を学んできたの?」

「強いて言うなら、価値観を砕いて再構成してきました」

「と言うと?」

「思ったより色眼鏡を掛けてたことに気付かされましたね」


 都会のビル群は東京に勝る一方で、都市を離れると一気に不便さが増す。


 食べ物は大きいし味が濃い。芳樹や佐田さんは大喜びで平らげそうだけど、俺の舌には合わなかった。あの国で自己破産する人の六割は治療費が原因と聞くし、色んな意味で極端な国柄なのだろう。


 店員が足を止めてお盆に腕を伸ばす。皿の底がテーブルの天板をことっと鳴らし、ケーキの鮮やかな色合いが視界を飾る。


 香ばしい匂いに誘われてコーヒーカップに手を伸ばす。


「花宮先輩は奈霧と仲良いんですか?」

「ええ。もう大親友よ。あなた達二人は時の人だったし、放っておく理由がないでしょ」

「何だ、それが理由ですか」

「おや、露骨に落胆したね」

「きっかけとしてはつまらなかったもので」


 湯気の立つ液体を再度口に含む。


 ブラックを飲まなくなって久しいけど、こうして口にすると美味しい。アメリカでの一件が俺を成長させたのだろうか。


 ブラックが飲めるから成長しただなんて、発想がちょっと子供っぽいか。

 

「きっかけなんてつまらなくていいと思うけどね」

「そういうものですかね」

「だって、取っ掛かりがないと何も始められないじゃん。娯楽にはいくつも種類があるし、その中からやりたいこと見つけるのは大変だよ? 市ヶ谷さんだって、理事長が変わらなかったら留学しなかったでしょ」

「そうですね。日本を出ることはなかったと思います」


 アメリカでやりたいことはなかった。貴重な機会を得たから身を投じただけだ。仮に父が介入しなかったら、俺がアメリカの地を踏むことはなかったと断言できる。


「私さ、大学出たら国外で働きたいんだよね。絶対今年の内に留学する」

「早稲田に進んだのもそれが理由ですか?」

「うん。留学に強い大学だから丁度良かったよ。留学って言えば、留学を推進した理事長と君は凄く似てるよね。ひょっとしてお兄さん?」

「違います」

「ふーん」


 瞳をすぼめられて、俺はそっと視線を逸らす。

 

 嘘じゃない。俺は父の息子であって弟じゃないんだ。虚偽は一切述べてない。


「先輩は理事長に興味あるんですか?」

「そりゃ伏倉秀正って言えば、投資家の間じゃ有名だからね。一度話を聞いてみたかった」

「話せなかったんですか?」

「うん。あの人すぐどっか行ったからね。個人的な興味もあったし、挨拶の後ですぐ突撃するんだった」


 視界の隅で何かが揺れる。

 

 奈霧がまぶたを閉じていた。長い睫毛を一つにして安らかな寝息を立てている。


「奈霧さん寝ちゃったか」

「道理でさっきから会話に入ってこないわけですね」


 俺もカフェインを摂ってなかったら危なかった。奈霧は紅茶に手を付けてないし、それが命運を分けたのかもしれない。


「市ヶ谷さんは奈霧さんの趣味知ってる?」

「服飾でしょう? 通信教育の先生から多めの課題をもらったとか」

「そこまで知ってるんだ。、ならフォローはしなくてもいいよね」

「フォロー?」

「ほら、私達が話してる途中で寝ちゃったからさ。変な誤解されたら可哀想でしょ?」

「そんなこと思いませんよ」


 空港で抱き締めた時にシャボンの芳香がした。わざわざお風呂に入ってから迎えに来てくれたんだ。そこを誤解するほど鈍感じゃない。


「そりゃ良かった。奈霧さん、君が渡米してから元気なくてさ」

「そうなんですか? ビデオ通話で話した時は平然としてましたけど」

「男が自分を高めようって国を発ったんだよ? さすがにそんな姿見せられんって。君が帰国する日をずっと楽しみにしててさー、もう可愛いのなんのって」

「また怒られますよ?」


 呆れ半分、嬉しさ半分。先輩が苦笑する間に頬の熱を引かせようと試みる。


 空港では思わず抱き締めたけど、今日を楽しみにしていたのは俺だけじゃなかった。その事実に胸の奥がほっこりして、そっと恋人の寝顔に横目を向ける。


「女の子の寝顔、あまり見ちゃ駄目だよ?」

「見ませんよ」


 いや見るけど。無防備に寝息を立てるさまは少しドキドキする。


 こんな機会はめったにない。宿泊研修では俺の寝顔を撮られたし、奈霧の寝顔をまぶたの裏に焼き付けても罰は当たらないはずだ。


「んじゃ、お邪魔虫はそろそろ退散しますよーっ」

「もう行くんですか?」

「うん。弟の面倒みないといけないから」

「弟いるんですね」

「いるよ。ちょっと前まで小生意気なお子様だったのに、最近女の子を自宅に連れてきやがってさー。子供の成長は早いねぇ」

「先輩も未成年ですよね」


 先輩がからからと笑って腰を上げる。


「本当に行くんですね。さっき注文したコーヒーはどうするんですか?」

「君にあげるよ」

「いらないんですけど」

「じゃ奈霧さんの寝顔代ってことで」

「出血大サービスですね」

「じゃ諭吉ちょうだい」

「調子に乗らないでください」


 先輩が悪戯っぽい笑みを残してカウンターへ向かう。


 店の外に消える背中を見送って、再度あどけない寝顔に視線を戻す。


「コーヒーお持ちしました」


 バッと振り向いて応対した。店員から寝顔代金のコーヒーを受け取り、微かな背徳感とともにカップの取っ手を握る。


 しばらく寝かせてあげよう。せめて店内が混むか、カップ内のコーヒーが枯渇するまでは。


 俺は携帯端末を顔の前にかざす。店内の様子を気にしながら時の流れに身を任せた。



お読みいただきありがとうございます。


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