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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
4章
108/184

第108話 息子と母


 ホテルの一室に踏み入る。


 無駄に広い絢爛けんらんとした内装。高い部屋なだけにセキュリティレベルも高い。お金を払わなければ、靴先を入れることすら叶わない。


 人によっては、この場に踏み入ることを目標にする者もいるだろう。お金で手に入らない幸せがあるように、お金でしか手に入らない幸福もある。奇麗事を並べてもその現実は揺るがない。

 

 だけど、僕にその価値観は合わなかった。預金通帳の増えていく桁を眺めても、胸にぽっかりと空いた穴は埋まらない。


 ソファに身を投げる。まぶたを閉じて一息突く。


 今日の予定は終わった。珍しく午後はフリーだ。


 こういった暇な時間は創造力を高めると聞くけど、僕はこの時間が大嫌いだ。余計なことばかり脳内に浮かぶ。思い出したくもないことで、胸がきゅっと締め付けられる。


 苦い記憶が脳裏をよぎって、たまらず腰を上げる。


 やはりぼーっとするのは性に合わない。少し早いけどシャワーを浴びてワインを開けよう。酒に酔っている時と、睡魔に身を委ねている間は嫌なことを忘れられる。


 着替えを準備するべく靴裏を浮かせる。


 バイブレーションが鳴った。床を踏み鳴らしつつポケットに手を突っ込み、着替えの準備に並行して携帯端末を引き抜く。


 通知の内容はメールだった。


 社員からのものじゃない。何かと思って液晶画面をタップすると、『電話掛けるから出ろ』の文字が並んでいた。


 匿名のメールが届くのはよくあることだ。僕の電話番号を知る人間はそう多くないけど、世に発信した情報は必ず漏れる。この手の輩を相手してもキリがないから、普段は無視を決め込んでいる。


 でも今日は時間に余裕がある。応じれば暇潰しにはなるかもしれない。アイコンをタップして、コンパクトな長方形を耳に当てる。


「もしもし」

「私だ」


 シャワールームへと歩を進めかけた足を止める。強烈な呆れと虚脱感が言葉に乗って口を突く。


「母さん、こんな真っ昼間から何してるの? というか今どこ?」

「アメリカよ」

「知ってる。州は?」

「内緒」


 ため息をこらえて身を翻し、元来た床をたどってソファーに腰を落とす。


「父さんが会いたがってるよ?」

「あの人が謝るまで戻りません」

「相変わらず頑固だね。連絡先までブロックしちゃって、子供じゃないんだから」

「それはあなたもでしょ。釉を次期当主に指名したんですってね? あの子の意思を無視して」

「どうしてそれを……」


 口では問いを投げつつ思考を巡らせる。


 才覇や聡がもらした可能性を考えて、秒で破棄した。良好とはいかないまでも、二人とはある程度の距離感を確保している。優峯を僻地に追放した件もある。表立って僕に敵対するとは思えない。


 では霞さんと白鷺さんが明かした? 


 それも違う。釉は、僕とあの二人が仲睦まじげに話す様子を見ている。釉があの二人を信じて打ち明けるとは思えないし、二人は僕の潔白を信じるはずだ。


 であれば可能性は一つしかない。


「さては、釉と会ったんだね?」

「ええ。お祖母ちゃんだもの。言葉を交わす権利はあるでしょ」

「それはそうだけど」

「そうそう聞いたわよ! 釉ったら、文化祭で奈霧さんに公開告白したらしいじゃない。親子ねぇ」

「僕は公開告白なんてしてないよ」

「職場まで百合江さんをさらいに行ったじゃない。罪悪感から奉仕活動に手を出すところもまんま。悪いところばかり似ちゃってまぁ」


 思わず口元を引き結ぶ。


 僕だって非常識とは思っていた。後で警察の人に事情を説明する羽目になったし、色んな人に迷惑を掛けた自覚はある。


 でもあれは百合江が悪いんだ。あんなに好き好きオーラを出しておいて、別れましょうと告げられて首を縦に触れるものか。僕だって別れたくなかったんだ、あの状況で身を引く男がどこにいる。


「それで、何で釉に意地悪するの? 独り身が寂しいのか知らないけれど、媚びを売ってるつもりなら逆効果よ。仲直りしたいなら直接話しなさい」

「それは無理だよ」

「無理なものですか。いい? あんたは釉の前で腕を広げなさい。後は息子よ! って抱き締めるだけでいいの」

「それができるのは母さんだけだよ。それに、釉は和解なんて望んでない。僕は罪をあがなおうとしているだけだ」

「だったら釉にじゅんじなさいよ。自分に酔ってんのか知らないけど、あんたの勝手な都合に私の孫を巻き込まないでくれる?」

「でも釉は」

「まだ言うか馬鹿息子! 現在進行形で父親できてないくせに、どの口で息子を語ってんだい!」

「分かってないのは母さんの方だろう! 伏倉家の金と力があれば、釉は間違いなく幸せになれる。でも僕がいると、釉は心の平穏を得られないんだ! だから!」

「復讐させてすっきり爽快だって? 寝言は寝てから言いな馬鹿たれが! 釉は一度でもあんたに消えてくれと頼んだかい? だったら消えな、息子のためにね! でもそうじゃないなら最低だ!」

「父親が息子の幸せを願って何が悪いんだ!?」

「だったらどうして百合江さんと結婚した!?」


 思わず口をつぐんだ。意図しない方向からの問い掛けを受けて、一瞬思考が漂白される。


 母がなおもまくし立てる。


「権力とお金があれば幸せになれるんだろ? それならどこぞの令嬢を迎え入れれば良かったんだ。でもあんたはそうしなかった。お金と権力で得られる幸せはたかが知れる。それを知っていたからじゃないのかい?」


 お金や権力で得られる幸せは、常に快適さと繋がっている。


 百合江との同棲を始めてからは、一般的な生活を前にして戸惑った。屋敷での生活は快適だったと思ったのも一度や二度じゃない。


 それでも僕は、百合江と歩む人生を取った。

 

 その理由は、母が口にした言葉そのままだ。億や兆の金を持つ幸福が、百合江と紡ぐ日々に勝るとは思えなかった。


 実際百合江と過ごした時間は幸せだった。釉が生まれてからは賑やかさを増して、童心に帰った気持ちにさせられた。


 掛け替えのない時間だった。伏倉家当主の僕がそう思っているんだから間違いない。結果的に不幸になったと言えばそれまでだけど、あの日々を否定する言葉なんて僕には吐けない。


 お金と権力を叩き付ければ釉は幸せになる。その価値観を掲げた僕にとって、母の指摘は猛毒だ。


「あれから何年も経ってるんだ、いい加減自覚しな。あんたは誰かに自分を裁いてほしいだけなんだ。 自罰衝動を満たすために息子を利用すんじゃないよ!」


 そこまで言われては、もう俯く他にない。


 釉のために事を進めたはずだった。お金も権力も無いよりは有った方が良い。今よりも幸福に近付ける。


 一方で、釉を利用していないのかと問われたら自信を以って頷けない。


 食堂で次期当主を指名した時、釉は明らかに抗議の意思を示した。話のスケールに戸惑っただけだと思ったけど、実は違ったのか? 釉なりに思い描いていた進路が別にあったのだろうか?


 だとしたら、僕が今までやってきたことは……。


「釉が言ってたよ」


 ハッとして通話に意識を戻す。


 語る母の声色は平静さを取り戻していた。


「霞さんとアンナさんに接する態度は親子みたいで、胸の奥がうずいたって。この言葉をどう受け取るかはあんた次第だよ。父親として息子にどう接するべきなのか、ちゃんと考えて答えを出しな」


 通話が切れる。


 広い部屋の中、僕は釉からの着信があるまで固まっていた。



次の話で四章は完結となります。


計50話以上と長い章になりましたが、ご愛読ありがとうございます。

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