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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
4章
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第106話 殺意


 事業が急速に傾いた。懇意こんいにしていた取り引き先が次々と心変わりして、取り引き中止を申し出てきた。


 足元の地面が崩落したような気分だった。父は約束を破る相手には容赦しない。実業家は多くのお金を動かす。その過程で何かがあったのは分かるけど、それを子供の僕らにも向けてくる。


 会社が潰れたら百合江と離婚させられる。


 何としても阻止しなければならないのに、理由に心当たりがない。不祥事があったわけじゃないんだ。株価だって大きく変動してはいない。


 それも時間の問題だ。理由は分からないけど何かが起こっている。情報が流出すれば株価はすぐに落ちる。


 僕は直接取り引き先に足を運んだ。あっちこっちへ靴裏をすり減らして、口と頭をフル回転させた。


 百合江から相談を受けたのはそんな時だ。釉の様子がおかしいものの、話を聞こうとしてもはぐらかされる。どうにもならず困っているようだ。


 家庭の事情に気を取られている場合じゃない。


 釉のことが気にならないわけじゃないけど、会社が潰れたらそこまでだ。どうせあの女の子と喧嘩でもしたのだろう。


 僕は決めつけて荷物をまとめた。立て直しに本腰を入れるべく、自宅を後にして会社に寝泊まりした。投資家や取引先のお偉方に頭を下げつつ、並行して新たな商売相手の開拓を進めた。


 それでも安定には至らない。まるで何かの意思に邪魔されているかのようだった。


 倒産の影がちらつき、僕は意を決して渡米した。もうなりふり構ってはいられない。屋敷に足を運んで、父さんに資金援助をお願いした。


 母さんの説得もあって、父さんは渋々首を縦に振ってくれた。取引先に圧力を掛けていたのは、父さんではなかったようだ。


 援助を受けてからは、それまでの不振が嘘のように好転した。取引を中止された所からも再度の取引を申し込まれて、株価はV字回復した。


 僕は久しぶりに帰宅した。


 長い間家を空けてしまった。父さんへの借金もあるから贅沢はできないけど、久しぶりに家族サービスをしようと思っていた。


 自宅はもぬけの殻だった。ほこりまみれどころか、生活用品の大半が無くなっていた。


 近所に聞き込みをしたところ、家を出る百合江を見た人がいた。


 何でも、釉をいじめたクラスメイトが身投げ自殺を図ったらしい。ネタを求めたマスコミが僕達の一軒家に押し掛けて、この場所での生活が難しくなったのだとか。


 天地がひっくり返ったような衝撃だった。


 だって初耳だった。百合江からの通話記録やメールも、僕が家を出てから一件しか通知されていない。仕事に忙殺されたこともあるけど、それにしたって数が少すぎる。


 愛想を尽かされた?


 そんな予感が脳裏をよぎって、僕は慌てて電話を掛けた。理由があったとはいえ、百合江と釉を放置したのは確かだ。許してもらえるまで頭を下げるつもりだった。


 それは叶わなかった。何度百合江のスマートフォンに掛けても繋がらない。メールやコミュニケーションアプリも試したけど、百合江からの返信は無かった。


 僕は心当たりがある人に片っ端から当たった。百合江の実家にも探りを入れた。


 お義父さんとお義母さんも百合江を捜索していた。彼女は両親にも行き先を告げなかった。マスコミが押し掛けるとでも思ったのだろう。百合江は頭が良い。本気で隠れられたら見つけるのは困難だ。


 捜索は難航した。探偵を雇っても鳴かず飛ばずだった。


 僕達の家庭はそれほど裕福じゃない。生活資金は僕と百合江が稼いだお金だ。働かずに一生を過ごせる額には程遠い。


 百合江は体が丈夫じゃない。釉はPTSDと診断された。慣れない地での生活を強いられて、釉を介抱しながら仕事もする。体と心に掛かるストレスは常軌を逸する。無茶をしていないかと、胸の奥から突き上げるような焦燥で落ち着かない日々を送った。


 ある日、探偵から連絡があった。


 落ち着いて聞けと前置きされて、伏倉百合江の葬式が執り行われたと告げられた。大学時代からの友人が言葉を続けていたけど、頭の中が漂白されて上手く聞き取れなかった。


 ふと我に返って釉の居場所を聞き出した。お義父さんが引き取って、百合江の実家で心の治療をしているようだ。


 僕は百合江の実家に向かった。


 玄関前で頬を殴られた。憤怒で真っ赤になったお義父さんに、二度と釉に関わるなと怒鳴られた。


 返す言葉はなかった。百合江の伴侶ってだけじゃない。釉の父親としても失格の自覚があった。僕は地面に額を押し付けて、ごめんなさいを連呼することしかできなかった。


 その日から、僕は今まで以上に仕事に没頭した。


 無気力な僕に戻ることは、百合江と過ごした日々を否定するに等しい。彼女との出会いは間違っていなかったのだと、競争の場に身を投じることで証明したかった。


 業績は伸びた。満たされない心とは裏腹に、僕の会社はどんどん大きくなった。


 気が付けば、幾つもの事業を展開するグループ企業になっていた。海外にも事業展開するほどに成長して、世界に知られる有名企業の仲間入りをした。


 虚しさを胸に当主指名の日を迎えた。


 一族が揃った中で、父は僕の名前を指名した。業績はダントツだ。顔をしかめる奴はいても、異論を挟む者はいなかった。


 重大な発表は他にもあった。僕が資金援助を依頼してから、父さんは秘密裏に何が起こったのか調べていたようだ。


 僕の会社を傾けたのは次男の優峯だった。それを証拠とともに聞かされて、僕は拳を固く握り締めた。


 今までも嫌がらせを受けることはあった。その度に、事を荒立てないように我慢してきた。年月が経てば優峯も大人になる。大人になればやめてくれる。根拠もなくそう信じてきた。


 それは幻想だった。性根の腐った奴は、何十年経ってもそのままだ。僕の怠惰が百合江を死に追いやったのだと理解して、噴き上がったものに頭の中を埋め尽くされた。


 気が付けば優峯を殴り倒していた。呆然とする周囲をよそに、マウントポジションを取って両の拳を交互に振り下ろした。


 殺してやる。


 三十年以上生きた中で、殺意に身を任せたのは生まれて初めてだった。


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