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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
4章
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第105話 お婆さんとの会話


 俺は一人街に出た。


 一応耳に装置は付けているけど居心地が悪い。


 アメリカ人は知らない人にも積極的に挨拶をする。少なくとも東京の街を歩くよりは呼び掛けの声を聞く。


 その際に浮かぶのは決まって笑顔。なるほど、これを見てアメリカ人に陽気な印象を抱く人が多いのも頷ける。


 実態は気さくとは縁遠い。

 

 アメリカは銃社会だ。誰がどこに銃器を隠し持つか分からない。


 街中で銃声が鳴り響いても、過剰に反応する人はいない。それくらい銃声は人々の日常に溶け込んでいる。


 今この瞬間にも、眼前の人がカウボーイのごとくハンドガンを抜くかもしれない。想像すると身震いするけど、恐れに負けて銃を抜けばそれこそ射殺される。


 そこで挨拶が持ち出される。言葉を掛けて、反応が良好じゃなければ速やかにその場を立ち去る。誰にでもフレンドリーな態度は、突然の凶弾を警戒した自己防衛の手段だ。


 降り掛かる探りに言葉を返しつつカフェに踏み入る。カフェラテを注文して奧へと進み、テラス席のチェアに腰掛ける。


 湯気の立つ液体をぼーっと眺めて、カップの縁を口に付ける。


 口内をほろ苦さで満たしても気分は晴れない。

  

 白鷺さんには連絡を入れずに外出した。短期留学の間は使用人として傍仕えするって話だし、今頃は血眼になって探しているだろうか。


 罪悪感はある。


 それ以上に、白鷺さんと顔を合わせるのは気まずい。昨晩は霞さんに対しても声を荒げたし、マンションにいると誰かが訪問して来そうでそわそわした。


 だから一人でカフェまで逃げてきたのに、このザマでは街をぶらついた意味がない。この場所にいられるのもラテを飲み終えるまでだ。この後はどうしよう。


「あら、市ヶ谷さんじゃない」


 日本語。


 視線を振った先に既知の顔があった。


「伏倉さん、こんにちは」

「こんにちは。今一人?」

「はい」

「駄目よーここは日本じゃないんだから」

「俺は男ですよ?」

「それでもよ。私達は子供に見られることも多いんだから。日本人男性が眠り薬飲まされてそのまま、なんて事件もあるんだからね?」


 どうなったんだろうその人。聞きたいような、聞きたくないような。

 やめておこう。色んな意味でアメリカの街を歩けなくなりそうだ。


「伏倉さんも一人ですか?」

「叱った私が一人じゃ示しが付かないでしょ。お友達があっちにいるわ」

 

 伏倉さんの視線を追う。


 離れたテーブルでひらひらと手が振られた。先日伏倉さんに同行していた人達だ。


「ボランティアに明け暮れていた頃みたいね」

「え?」

「あなたのことよ。凄く暗い顔してる。留学楽しくない?」

「いえ、留学自体は面白いです。日々驚きであふれていて飽きません」


 カルチャーショックの概念は知っていたけど、聞くのと見るのじゃ全然違う。


 はたから見ればいびつな環境でも、人々の営みは成り立つ。それを肌で学べるのは現地だけだ。


「食事はどう? 日本人は日本の味が恋しくなって、一部の店舗に通い詰めるみたいだけど、今の食事は市ヶ谷さんの口に合ってる?」

「はい。食事の面は大丈夫です」


 味が濃くてビッグサイズなファストフードがアメリカ式。


 脂っこいのが好きな人にはたまらないんだろうけど、俺の口には会わなかった。早々にリタイアして、白鷺さんに和食寄りの食事を用意してもらっている。


「それは良かったわ。同席してもいいかしら?」

「友人はいいんですか?」

「ええ。話してくるって伝えてあるから」

「それならどうぞ」

「ありがとう」


 伏倉さんが正面のチェアに腰を下ろす。


「話すだけならタダよ?」


 直球に問われて、一瞬思考が漂白された。


 確かに言葉として発するだけならタダだ。


 でも俺の中では色々と擦り減る。伏倉さんに話したところで、生物学上の父が考えを改めるとは思えない。


 後ろ向きに考えて、詮無きことと思い直す。


 内部事情を打ち明けても同じだ。俺自身、屋敷での出来事にはいまだに現実味を欠いている。伏倉家とか次期当主とか、他人も同然のお婆さんが鵜呑うのみにするはずもない。


 先輩や勲さんに話を聞いてもらった時も、少しは気が楽になった。今回も言うだけ言ってみよう。


「これは友人の話なんですけど」

「え? ええ」

「その人には生物学上の父がいるんです」

「生物学上って、随分面白い言い方をするのねぇ」

「その父はろくでなしなんですよ。友人が小さい頃に、父親の義務を放棄してどこかに消えたんです。なのに友人の女友達は、父のことを悪く言うなと怒ったんです」

「それはまた、どうして?」

「分かりません。理由を聞く前に走り去ったみたいですから」

「それはまた勝手な話ね。その子、お友達の事情を知らないんでしょう?」

「はい。でも気持ちは分かるんですよ。友人の父はその女友達を娘みたいに扱っているので、彼女にとっては大事な存在なんだと思います」

「娘ねぇ。あなたのお友達から見たその二人は、相当仲が良さそうに見えたのね」

「そうみたいですね。二人が接するところを見て、微かに胸の奥がうずいたみたいですから」


 きっと不整脈だ。慣れないアメリカの地、不慣れな授業形態、味方のいない屋敷での孤独感に苛まれて、弱っていた心が悲鳴を上げたに違いない。


 注目すべきは、白鷺さんと霞さんが生物学上の父をしたっていることだ。


 俺が知るあいつの人物像には、誰かから慕われる要素がない。俺の知らない、誰かに好かれそうな一面があるのだろう。


「疼いた、か」

「何か?」

「いいえ。そのお友達は、生物学上の父を憎んでいるの?」

「はい。いえ、嫌いなのは間違いありませんけど、憎悪かと言われると正直よく分かりません」


 生物学上の父が理事長に就任する前は、顔を合わせる事態なんて想定もしなかった。


 理事長室に踏み入る前は緊張した。屋敷に連れて行かれて驚いた。


 それだけだ。罵声を浴びせるどころか、母を捨てた理由についても聞き出せていない。


 憎悪をぶつけるだけなら簡単だ。佐郷と壬生相手にやったみたいに、さりげなく弱味を聞き出して暴露すればいい。いくら権力とお金があっても、世間体を気にする人達からは敬遠される。伏倉家の資金運用には大きな影響が出るはずだ。


 にもかかわらず俺は実行していない。する気も起きなかった。今後機会があっても実行しない確信がある。


 胸の奥で渦巻く何かは憎悪じゃない。おそらくもっと別のものだ。


「話は分かったわ。それで、そのお友達はどうしたいの?」

「どうしたい、とは?」

「生物学上の父がろくでなしなのは分かったけれど、そのお友達がどう思っているかは口にしていないでしょう? あなたは何か聞いてない?」

「それは……聞いてません」


 どうしたいも何も、俺に何ができるって言うんだ。


 第三者に愚痴るわけにもいかない。俺は感情を内側に留める。


「じゃあそのお友達に伝えてちょうだいな。一度でいいから、生物学上の父と二人きりで話してみたらって」

「無駄ですよ。それをして何か変わるんですか?」

「変わらなかったら、あなたはやらない?」


 返答の代わりに口を閉じる。


 愚問だった。無駄に怯えていたら何もできない。徒労に終わる可能性があるように、努力が実る可能性だって有る。諦めない姿勢が道を拓くなんて、この一年で散々学んできたことなのに。


 いつの間にか弱気になっていた。


 これじゃ駄目だ。話をしても無駄かもしれないけど、落ち込んだところで結果は変わらない。俺が取るべき択なんて初めから一つだった。


 俺はラテを飲み干して腰を上げる。


「伏倉さん、ありがとうございました」

「もういいの?」

「はい、考えがまとまりました。友人にはちゃんと伝えておきます」

「そう。頑張ってね、応援してるから」


 俺は一礼して身を翻す。足早にカフェを後にした。


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