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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
4章
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第103話 悪く言わないで


「釉くん、何かあったの?」


 俺はハッとして顔を上げる。パソコンの画面に映る柳眉りゅうびが微かにハの字を描いている。

 

 俺は顔に微笑を貼り付ける。


「何でもないよ」

「元気なさそうに見えるよ?」

「きっと疲れが出たんだ。寝れば治るさ」

「そう? 無理はしないでね。アメリカでの勉強は大変だと思うけど、体を壊したら元も子もないから」

「しないよ、体調管理はしっかりやってる」


 アメリカの治療費はえげつないほど高額だ。並みの家庭なら虫歯になっただけで破産するとまで言われる。おちおちと熱も出せない。


「そろそろ寝るよ、おやすみ」

「うん。おやすみ、釉くん」


 俺はビデオ通話を終了してアプリを閉じる。

 

 急激に気分が沈む。ジェットコースターの下りを想起した。


 笑顔がぎこちなかっただろうか? 微笑に努めたつもりだけど、奈霧は明らかにいぶかしんでいた。


 まさかこんなことで渡米はしないだろうけど、何かあったことはばれたかもしれない。今後はどう誤魔化したものか。いっそ全部話すか?


 想像して、口から深いため息がもれた。

 

 言えるわけがない。勲さんを人質にされて困っているだなんて。


 勲さんが取締役を解任されたら、奈霧の生活が一変する。返還義務のない奨学金があるとはいえ、奈霧の精神には負担が掛かる。好成績を維持できるかどうかは不明瞭だ。


 正直、これはあまり心配していない。

 

 奈霧は強い精神力を備えている。最悪な形で失恋したにもかかわらず真っ直ぐ成長してみせた人だ。したたかそうな母もいるし、勲さんが酒浸るなら引っ叩いてでも更生させるだろう。


 問題は俺にある。


 生物学上の父でも血が繋がっている。奈霧は俺とあいつを結び付けないかもしれないけど、責任を感じるなと言われても俺には無理だ。


 生物学上の父は、法に触れる行為を一切行っていない。脅迫と断定できる言葉遣いはしていないし、代表取締役の解任は株主の権利だ。法を鎖にして行動を縛ることはできない。


 俺は机の天板に肘を乗せて頭を抱える。全身の血を抜かれたような虚脱感に襲われて、指の先端に力を込める。


 二年生になってからも、奈霧と学校生活を送れると思っていた。芳樹とバカやって、金瀬さんや尾形さんと楽しい時間を送るつもりだった。


 そんな未来図は、屋敷の食堂で粉微塵に砕け散った。


 俺と母さんを放って蒸発したくせに、今さらになって父親面。母さんを死に追いやっただけじゃ飽き足らず、俺が思い描いた未来すら踏みにじろうとしている。


 そんなに俺が憎いのか。そんなに息子が疎ましいのか。


 それなら言ってくれればいい。俺だって嫌いなんだ。視界に入らない努力くらいはしてやるのに。


 俺だって、望んであいつの息子として生まれた訳じゃない。伏倉の名前で良かった頃なんて、小学生時代に奈霧と競っていた時くらいだ。長い擦れ違いの果てにやっと想いが通じたのに、どうして父親の手で引き裂かれなければならないんだ。


 インターホンが鳴り響く。


 強烈なやるせなさに身を任せようか逡巡して、二度目の呼び出しを機に腰を上げる。


 ドアホンのモニターに二人の少女が映った。ふて寝しようと思ってたけど、会話に花を咲かせるのも悪くないか。気が紛れていいかもしれない。


 遠隔でドアロックを解除する。


 室内と廊下を隔てるドアが開いた。銀の少女が離脱するのを尻目に、俺はソファーに腰を落とす。


 白鷺さんがティーポットを持って戻った。俺達の前にカップを置いて霞さんの隣に座る。


「それで、こんな時間に何の用だ?」

「明日は休日でしょ? ちょっと話したいなって思って」

「そうか」


 大方遊びの誘いだろう。とても遊びに出る気分じゃないし、どう断ったものか。


 視界内で霞さんの表情が陰る。


「ユウ、最近暗いね。具合悪いの?」

「いいや、そんなことないよ」

「そっか。明日なんだけどさ、またどこか遊びに行かない? 久しぶりにぱーっと遊ぼうよ!」

「悪い、そんな気分じゃないんだ」

「あ……そっか」

 

 霞さんの笑みがぎこちなさを帯びる。微笑に努めたけど失敗したようだ。


 ぎこちなさが薄れて笑顔が戻る。


「そういえばさ! ユウって伏倉家の次期当主に指名されたんだよね?」

「そうみたいだな」

「次期当主ってことは、秀正さんの次に偉くなるんだよね? 凄いね!」


 霞さんが目を輝かせる。胸の奥がチクッとした。


 秀正。その名前を聞きたくない。話題を終わらせたい一心で口を開く。


「何が凄いんだよ。次期当主なんて肩書きでしかない」

「でもいずれは伏倉家の当主になるんだよ? 財界との繋がりも作れるし、致せり尽くせりじゃん」


 伏倉家が力を有する一族なのは嫌と言うほど思い知った。執事や使用人の存在、大きな屋敷。仕事ができそうな親族もいたし、有事の際に団結すると考えれば影響力は目を見張るものがある。


 でも俺は一般的な環境で生きてきた。母方の実家は緑が多く、心の療養でパーティの類とは縁がなかった。財界なんて言われてもピンとこないし、異世界の言語にしか聞こえない。当主の座を押し付けられたって迷惑だ。


 泉のごとく湧き上がる愚痴を寸でのところで呑み込む。


「そうか? 一つの家ができることなんて、たかが知れると思うけど」

「伏倉家の歴史は浅いですが、資金力は相当なものです。ちょっと強引な介入くらいはできるでしょうね」


 横目を振った先で、白鷺さんがまぶたを閉じた。ティーカップの縁に口を付けて素知らぬ顔で傾ける。


 俺への当てつけ。そう思ったのは気が立っているからだろうか。


「俺は社交界に出たことないぞ」

「大丈夫だよ。秀正さんだって時間を掛けて一人前になったんだし。ユウはこっちに転入するんでしょ? これからは秀正さんと家族一緒に暮らせるね!」


 手の平に痛みを感じた。両の拳を膝に押し付ける。


「ごめん、今はその人の話をしないでくれないか?」

「その人って! ユウったら、父親なんだからダディとかお父さんって」

「やめろと言ったよな?」

 

 ピシャリと叩き付ける響きになった。


 誤魔化しようがない。室内の温度が低下したような錯覚があった。


「ユウ、もしかして怒ってる?」

「怒ってない、疑問に思っただけだ。そう言えば、二人は屋敷でも仲睦まじく話してたな。あいつのどこがそんなに良いんだ? 金か? 権力か? それとも顔か? ああ、確かにモテる要素はあるな。狙ってるなら好きにしてくれ」

「そんなつもりはないよ! だって、私……」

 

 霞さんの視線が膝元に落ちる。


 罪悪感が喉に詰まって、吐き出すように小さく息を突く。


「とにかく、俺の前であいつの話はやめてくれ」

「あいつって、どうしてそんな風に言うの? 秀正さんはユウのお父さんなのに」


 口端が勝手に吊り上がる。口から変な声がもれた。


「俺は、あいつを父親と思ったことなんてないよ」

「さっきから聞いていれば、あなたは一体何を不貞腐ふてくされているんですか?」


 冷たい声色をぶつけられて横目で応じる。深海のような深い青と目が合った。


「愚問だな。短期留学を半ば強制させられて、誘拐も同然の手法で屋敷に連れて行かれて、挙句の果てに進路を勝手に変えられたんだぞ?」

「全部あなたの意思で選んだんじゃないですか」


 俺はギリッと奥歯を噛み締める。


 短期留学は本人が望まないと実行できない。転入も然りだ。俺が自ら選択して今がある。そう考えるのが自然だろう。


 一方で、白鷺さんは自身の口で告げた。伏倉家の資金力があれば、ちょっと強引な介入くらいはできると。


 生物学上の父が行ったのはまさにそれだ。俺が選択を強制された線を考慮しない辺り、白鷺さんは初めから信じる相手を決めているんだ。


 憤りを抑える間も白鷺さんの口が動く。


「自分で選択しておいて、今さら親のせいにするなんて情けないですね。何様のつもりですか?」

「市ヶ谷釉様って言えば満足か? 君こそ何様だよ、あいつが何をしたか知らないくせに、随分勝手なことばかり言うじゃないか」

「ええ、言いますよ。私達はあなたの事情なんて知りませんから。でも、それはあなたも同じでしょう? 私があなたから見た秀正さんを知らないように、あなたも私達から見た秀正さんを知らない。私達の前で、恩人を悪く言わないでください!」


 白鷺さんがソファーから腰を上げる。強い口調を残して廊下に消えた。霞さんが機嫌をうかがうように一瞥し、小走りで白鷺さんを追い掛ける。


 リビングに取り残されて、俺は一人頭を抱えた。


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