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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
4章
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第101話 伏倉秀正と一目惚れ


 小さい頃から争い事は苦手だった。


 弟に物を投げられても我慢した。理不尽に蹴られても耐えた。痛いのも苦しいのも嫌だけど、誰かに怒鳴ったり拳を振るうのはもっと嫌だった。


 勉学も苦手だった。志望校合格を知って口角が上がったのもつかの間。隣で上がった泣き声を耳にして、胸の奥で込み上げた歓喜が罪悪感に呑み込まれた。


 多分その日からだ。僕は競争に対して、明確な苦手意識を持つようになった。父さんからのプレッシャーで好成績を維持したけど、胸の奥にこびり付いた不快感は増すばかりだった。


 勝てば認められ、負ければ叱責される。


 そんな生活に嫌気がさしていた頃、母が日本旅行から帰国した。


 僕は日本産の菓子を口に運びながら、母が語るお土産話を耳にした。


 父さんと母さんの母国は、四季が綺麗な国らしい。


 街を歩いても銃声を耳にすることはない。口を開く際には差別用語に怯えなくてもいい。バスや電車の待ち時間に悩まされず、夜中に一人歩いても比較的安全。そんなおとぎ話みたいな話を聞かされた。


 僕は閃いた。それだけ穏やかな気質の国なら、誰かと競い合わずに済む道を選べるんじゃないか?


 思い立ったが吉日。僕は父の部屋に踏み入って、日本の大学に進みたいと希望を伝えた。


 留学の話は、意外とすんなり聞き入れてもらえた。一流大学に通うことを条件に、ある程度の自由を許してもらった。日本の地に靴裏を付けた時は、人生の再出発をした気分だった。


 僕の考えは甘かった。


 日本に来れば大丈夫だと思っていた。アメリカほど競争は激しくないし、長期のインターンシップを強制されない。少なくとも息継ぎする余裕くらいは確保できると思っていた。


 確かに、街を歩いても銃声は聞こえない。治安が良いし、口にする食べ物はどれも美味しい。


 だけどやっぱり競争が蔓延はびっている。母数や規模が違うだけで、名も知らぬ誰かと限られた席を奪い合う。


 受験戦争に勝った後は、試験の点数で競わされる。


 卒業が見えてきたら、就職活動に設けられた少ない席を奪い合う。


 第一志望の就職先に名前を刻んでも、今度は同僚と出世をかけた競い合いが待っている。


 出世しても終わらない。今度はライバル会社とシェアを奪い合って、株価の上下に悩まされる。


 ああ、もう考えただけで嫌になる。


 世界はこんなにも争い事で満ち溢れている。何故頑張れば頑張るほど、より多くの人を蹴落とさなければならないのか。


 帰国した際には父に相談した。


 僕の父は、名実ともに大成功を収めた実業家だ。多くのライバルを蹴落としてきた父なら、何か良いアドバイスをくれるんじゃないかと期待した。


 駄目だった。


 頑張る理由を見つける努力をしろ! と叱責されて、僕は日本の地に舞い戻った。

 

 父が言いたいことは分かる。


 生きるためにはお金が必要だ。人々はやりたくもないことを行動に移して、生活に必要な資金を稼いでいる。公園のベンチに腰掛ける今も、僕の知らない所で仕事が行われている。


 つまりは理由の有無。それさえ有れば嫌なことを頑張れる。そんなことは、僕も頭では理解しているんだ。


 理解して、それで理由が見つかるなら苦労はしない。


 誰かを見下して優越感に浸るなんて論外だ。僕にそういうのが向かないことは、二十年近い人生で嫌というほど味わった。写真を撮る趣味はあるけど、万札を湯水のごとく注ぐレベルじゃない。


 現実は果て無く辛いもの。確立してしまったその価値観が、重りのごとく僕の心にのしかかっている。


 ふとスマートフォンの画面に視線を落とす。

 

 次の瞬間には目を見張って、ベンチから腰を浮かせた。


 放心しすぎた。今日は大学の講義がある。急がないと間に合わない。


 はやる心に体が追い付かなかった。足がもつれて、土の地面に手の平を付く。腕に力を入れて、ちょっとした考えが脳裏をよぎる。


 このまま起き上がらなければ、僕は楽になれるだろうか。


 これからも蹴落とし合いの日々が待っている。勝ち続けなければ、それまで積み上げた物が台無しになる。だから止まることは許されない。


 逆を言えば、負ければ激しい競り合いからは解放される。ある程度の蹴落とし合いは仕方ないけど、そのレベルと苦しさは格段に下がる。


 そうだ、立ち止まってしまえばいい。


 思い至るなり、体からすーっと何かが抜ける気がした。口角が苦々しく上がって、頭すら重く感じて項垂れる。


「あの、大丈夫ですか?」


 それは泉のように澄んだ声だった。顔を上げた先で、女性と視線が交差する。


 儚気な出で立ちながらも光のある目。オイルに浸したように艶やかな黒髪。大和撫子を具現化したようなたたずまいは上品で、雅で、品のあるその立ち姿から目が離せない。手元にカメラがあったら、許可を取る前にシャッターを切っていただろう。


 重苦しい曇天に風穴が開いたみたいだった。気分を沈ませる憂鬱が吹き飛んで、見下ろす瞳をただ見詰める。

 

 衝動的に思った。


 僕は、この人と会うために生まれてきたんだ。


お読みいただきありがとうございます。


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