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罪には罰を  作者: 原滝飛沫
4章
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第100話 次期当主


 案内された部屋は、ダイニングルームと言うには広々とした場所だった。天井から吊り下がるシャンデリアが明かりを灯して、がらんとした室内に温かみを付与している。


 中央に鎮座するのは、ドラマに出てきそうな長方形のテーブル。大きな天板の上には皿がズラッと並び、見慣れない銀色の丸い蓋が並んでいる。


「クローシュだよ。食べ物の温かさや鮮度を保つために用いられるんだ。給仕が開けてくれるから、それまでは談笑でもしているといいよ」

「それくらい知ってます」

 

 耳たぶに熱を感じて足を前に出す。


 黒白の衣装をまとった男性が腕を伸ばした。背もたれを握ってスッとチェアを引く。


 俺は会釈して、チェアの背もたれに体重を預ける。


 生物学上の父が隣のチェアに腰を下ろした。意図せず表情筋が強張る。


 会話は生まれない。霞さんと白鷺さんさえも口を固く閉じている。マンションの室内を賑わせていたのが嘘のようだ。


 才覇さんと聡さんのビジネスライクな会話を耳にすること数分。廊下に繋がる扉が音を立てる。


 老人が現れた。燕尾服をまとった男性が靴裏で床を踏み鳴らす。髪こそ白く染まり切っているものの、胸を張って歩く姿は堂々としていて隙がない。


 老人が一番奥のチェアに腰を下ろす。


 上座。おそらくは豪邸の持ち主なのだろう。当主を自称した生物学上の父を差し置いた辺り、相応に力のある人物と推測される。


 生物学上の父がチェアから腰を上げる。大学生じみた容姿からかしこまった言葉が発せられた。

 

 いわく、今日は老人の誕生日らしい。才覇さんや聡さんは、老人の誕生日を祝うべく外国から駆け付けたのだとか。


 聡さんはともかく、才覇さんが家族の誕生日に駆け付けたのは意外だ。赴かなかったら不都合があるに違いない。


「前もってお伝えした通り、本日は長男を連れて参りました。ご覧ください。これが私の息子、市ヶ谷釉です」

 

 生物学上の父が緩やかに腕を伸ばす。


「え」


 戸惑いが口を突いた。俺は反射的に老人を見る。


 目が合った。威厳ある佇まいの老人が、品定めをするように俺を見据える。


 あれが俺の、もう一人の祖父。


 可笑しな話じゃない。母に両親がいるように、生物学上の父にも父親がいる。人間である以上は当然だ。


 だけど父方の祖父がどんな人かなんて、今まで考えもしなかった。何を言うべきか考えがまとまらない。


 戸惑っていると、背中を歩く叩かれた。


「ほら釉、立って祖父に挨拶を」


 混乱していたせいもあって、迷うことなく腰が浮いた。お初にお目に掛かりますなんて、人生で初めて告げた気がする。


 テーブルの向こう側でくすくすと笑い声が上がった。


 声の源は才覇さんと聡さん。彼らの顔を見て、俺が小さい頃に二人と顔合わせした話を思い出す。


 記憶になくても二人と会っていたなら、その時に祖父と対面していても不思議はない。失礼なことを告げた可能性に思い至って口元を引き結ぶ。


 老人が気にした様子もなく口を開く。


「うむ。今日はよく来てくれた。儂ももう年でな、生きている内に孫の顔が見たくなったのだ。慣れない地で疲れているかもしれんが、今日は楽しんでいきなさい」

「ありがとうございます」


 俺はそっと腰を落とす。上手く挨拶できた実感を得て、内心ほっと胸を撫で下ろす。


「息子の紹介も済んだところで、私から一つ重大な発表がございます。父上、私は次期当主にはこの釉をと考えております」

「……え?」


 俺は反射的に生物学上の父を見上げる。


 当主という言葉の意味は知っている。創作上の世界では、権力を持つ人物の代名詞だ。


 今までその概念に触れたことはない。次期当主だなんて言われても全く実感が湧かない。


 問い掛けの視線を向けても、血の繋がりがある男性は振り向かない。


「それはまた、急な話だな」

「急な発表になって申し訳ございません。ですが前々から決めておりましたし、そのための準備もして参りました。この場をお借りする形にはなってしまいましたが、どうかご理解ください」

「お待ちください父上」


 反対の声が食堂内を駆け巡った。


 口を挟んだのは才覇さんだ。心なしか、先程よりも声に力がこめられている。


「当主の座は、実績を元に選出される決まりです。秀正の告白は道理が通りません」

「私も才覇と同意見です。いささか当主の権限を濫用らんようしていると思われます」


 才覇さんと聡さんが祖父に視線を送る。


 老人が生物学上の父に向き直る。


「秀正。釉は長い間不登校だったと聞いている。元が優れていたとしても、年月の差は如何ともし難いはずだが」

「確かに、息子の時間は悪意によって失われました。ですがそのハンデをものともせずに、多くのライバルを蹴落として、日本国内有数の進学校たる請希高校に在籍しております。昨年の期末考査では学年トップの成績を収め、文化祭で暴漢が刃物を振り回した際には、事を荒立てずに事を終息させました。この知力と胆力を以って、釉は次期当主に足り得ると判断いたしました」


 告げられた内容は間違っていない。


 間違ってはいないけど、言い方には少し疑問が残る。


 期末考査の総合点数は二位と僅差だった。


 文化祭の騒動に至っては偶々《たまたま》だ。以降の人生に佐郷を関わらせまいと一騎打ちを挑み、策がはまって勝利したからここにいる。一歩間違えていたら血が流れていた。


「釉さんは、可愛い顔して武闘派なんだね」


 何が嬉しかったのか、聡さんが微笑を浮かべた。才覇さんに横目を向けられて、聡さんが苦々しく口角を上げる。


「勉学に長けた人材ならいくらでもいる。それに、暴漢を沈めたと言ったな? 美談と思っているようだが、それは一学生が収拾を付けるべき事案ではない。大局的視点が致命的に欠けているのではないか?」

 

 生物学上の父が肩を竦める。


「まあ無謀ではあったかもね。単独での鎮圧を図った理由は知らないけど、釉は十代後半になったばかりだ。足りないものはあって当然だよ」

「それが足り得ない免罪符になると?」

「なるよ。足り得ないから人は欲し、学び、糧とする。釉が才覇くらいの年になる頃には、君以上に俯瞰ふかんした視点を持ち得ているよ」

「何を以って断言する」

「私が学びの場を用意する。釉の留学先には学閥がくばつがあってね、卒業後は何をするにも優位に進められるんだ。進学のサポートも手厚いし、理事長には個人的な伝手がある。まずは釉を転入させて、アメリカで高校を卒業させるよ」

「待て! 何を勝手に話を進めてるんだ!」


 俺は椅子を鳴らして立ち上がる。生物学上の父を射殺さんとばかりに睨み付ける。

 

 俺は短期留学と聞いていた。三か月頑張って、日本に帰国するつもりでこの地を踏んだんだ。アメリカの高校に転入なんて、受け入れられるわけがない。


 祖父が目をぱちくりさせる。


「秀正、釉に話していないのか?」

「ええ。私がこの話を持ち出したのは、本日この場が初めてですから」

 

 生物学上の父が靴先を俺に向ける。


「取り敢えず落ち着きなよ。皆驚いているじゃないか」

「当たり前だ! 進路を勝手に決められて落ち着けるわけ――」

「奈霧勲」


 小さな声で。おそらくは俺にしか聞こえない声が、恋人の父親の名を口にした。


「僕は、彼が運営する会社の筆頭株主なんだ。この意味は分かるよね?」


 心臓を鷲掴みにされたような感覚に苛まれた。


 勲さんの会社は、株式会社の形態を取っている。


 株式会社の社長は選出された人間だ。資金を調達して事業を行い、利益を株主に配当しなければならない。


 選ばれるという点では政治家や首相と似ている一方で、明確に違う点が一つある。所持する株式の量によって、行使できる権利の強弱が決まる点だ。


 株式を持てば持つほど強い権限を振り回せる。場合によっては、社長を役職から引きずり下ろすことも可能だ。


 生物学上の父が、どれだけの株式を有しているかは知らない。脅してきた辺り、保有量には相当な自信があるのだろう。


「社長って大変なんだよ。業績が悪化すれば頭を下げなきゃいけないし、倒産したら大勢の株主がお金を返せと要求してくる。そうでなくとも、せっせと積み上げた物が崩れ去るんだ。喪失感は相当なものだし、生半可な心じゃ耐えられない。勲さんは戻ってこれないかもね」


 喪失感に押し潰されて、堕ちるところまで堕ちる。


 そうやって破滅した奴を知っている。佐郷は俺の報復で居場所を失い、暴力的な世界に身を投じて堕落した。


 勲さんが同じ末路を辿るとは思わない。


 それでも奈霧の家庭は少なからず乱れる。関係が悪化して一家離散なんてことになれば、俺は彼らに合わせる顔がない。


 息苦しい。室内の空気が凝固したみたいだ。


 自分が呼吸を止めていたことに気付いた。意識して空気を吸い込む横で、生物学上の父が自身の席に戻る。


「お騒がせいたしました。釉も了承してくれたみたいです。料理が冷めてしまいますから、まずは夕飯をいただきましょう」


 各自食器へと腕を伸ばす。


 俺は働かない頭で考えて、椅子の座にぺたんと尻餅を付く。


「ところで秀正、たまの件はどうなっている?」

「現在は入国中のようです。居場所の特定については、もうしばらくお待ちください」


 生物学上の父と祖父が、何やら小さな声で話している。


 その内容を推測する余裕は、この時の俺にはなかった。


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